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リアルな人間関係に悩む

noteに参加しているので、多くの人と触れ合う機会が多いが、仕事は別として、日常は、ほぼ家族とのコミュニケーションだけである。

ときたま、高校時代の同級生やらとの交流はあるが、

あとは、同い年のいとこぐらいである。

40歳で持病を発症してから、リアルな人間関係に悩む機会が増えた。

持病による体力や精神力の耐性を理解してもらえないからである。

実家での闘病経験もあるが、結局、最後まで父親にも理解してもらえなかった。

気の持ちようだとか。

最後の方は、父親もあきらめて、病気の事については、何も言わなくなったが。

リアルでは、表舞台に立つのが少ないので、出来る限り、普通に、任務を遂行しようとしている。

任務を遂行して、自宅でベットに倒れこむと言った具合である。

だから、よけいに誤解されやすいのかもしれない。

目に見える部分しか見えていないからである。

だから、単発の表舞台は対応できるが、継続で、どうこうしろと要求してくる案件は、するっと手を引く。

無理なもんは、無理だからだ。

家族さえもちょくちょく現状に我慢できなくて、苦情が来るが、他人に比べれば、よき理解者である。

無理強いはしない。

任務を遂行して、自宅のベットで倒れこんでいることに、文句は言われない。

しかし、他人がからむと、その点、難儀だ。

ベットに倒れこんでしまいたい状態の時に、継続して、要求されたりするからである。

そんな事の繰り返しで、だんだんと他人を排除していったら、家族しか残らなかったという顛末である。

それで、いいと思っている。

単発で、任務を遂行してお付き合いできる範囲の交流でいいと思っている。

今となっては、それ以上を望むのは、贅沢と言うものだ。

さて、我が家では、今日も一日何事も無く一日が終わった。

「鳩サブレー」も息子福山が積極的に食し、すべて完売となった。

息子福山が昨日に引き続き、お風呂にお湯をはってくれたので、noteを書く途中で、湯船に浸かって、ゆっくりした時間を得た。

一か月のサイクルは、2人の主治医との会話と週一回のヘルパーさんとの交流と家族との会話である。

そして、noteとお仕事関係と実にコンパクトである。

そんなコンパクトでも、毎日、割と忙しい。

おもんない人生だろうか?

もう、自分が元気で、ばりばり正社員として働いていたらなどという、つまらない妄想にも、惑わされることはなくなった。

人の価値観に振り回されることも少なくなった。

しかし、まだ、これから、波乱万丈な事が起きるんだろうな。

それまでは、休憩、休憩。


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