見出し画像

就活に役に立った生きた体験

子育てをする上で、大切に思っている事があります。

それは、周りの環境です。

周りの環境で、子供は腐ったりもするからです。

中学2年生の夏に反抗期に入った息子福山。

あとで話を聞いたのですが、その頃、進学塾では、理系科目偏差値69を叩きあげていたそうです。

そんな同級生たちに囲まれて、ただ、ただ、プライドの高い中学生でした。

しかしながら、高校受験本番で分かった事なのですが、その高偏差値も進学塾の優れたカリキュラムの上に成り立っているものでした。

進学塾をドロップアウトした中学2年の学期末のテストで、高熱がでて、保健室でテストを受け、2年生の内申がボロボロという現実を叩きだしました。

もう、この時点で、高校受験はあきらめムードになりました。

その後、個別指導塾に通ったのですが、高校受験を解き明かすカリキュラムはありませんでした。

高校入学後、初めての河合塾の模試で、数学で、早稲田A判定をもらいます。

結果、個別指導塾で指導していたのは大学生。

高校受験の問題を解く力では無く、大学受験の基礎が取得されていた現実をたたきつけられたのです。

高校受験で、息子福山の内申では、合格ラインの公立高校は、最低ランク。

はっきり言うと、その公立高校に入れたら、プライドの高い息子福山は、腐ってしまうと思いました。

周りの環境に飲み込まれてしまうと、大学進学さえもできなかったでしょう。

公立高校受験は、内申あってなんぼの制度、滑り止めの高校さえも、最初は、内申が足りなくて、断られる始末。

最後の内申で挽回して、どうにか、腐らない程度の滑り止めを確保し、内申は無いなりに、当日のテストで挽回できる公立高校にチャレンジをしますが、届かず、私立に進学しました。

そこから、息子福山の挽回劇が始まるのです。

河合塾の模試を受けた時に、学校内での偏差値は70でした。

提出物を出せなくて、中学の内申は取れなかったのですが、本人には当時、自覚は無くて、高校受験の失敗で、初めてその事を本人が知ります。

公立高校の受験のシステムを理解していなかった息子福山。

高校入学して初めてのテストで、クラスで5番までに入って、指定校推薦を目指します。

まさか、指定校推薦をゲットするのに成功するなんて、大きなかけでした。

息子福山に、ずば抜けた向上心があった訳ではありませんが、無事、良い環境である大学に入学することに成功。

大学でも苦戦しましたが、息子福山のターニングポイントは、高校受験であったと思います。

その積み重ねが、就活でも生きた体験となりました。


いただいたサポートで美味しいものを食べて、次のnoteに活かします。