お邪魔でなければ
noteって、クリエーターの集まりなんだって。
知らんかったわ。とつぶやいてみた。
横文字には惑わされない。もう、そんな若くは無いからである。
でも、新たな出会いはわくわくする。
それ以上に、ネットの中の人達に話しかけるように文章を書き続けるのは、実に面白い。
それが快感で、2011年からとりつかれたように、文章を書き続けるのである。
さて、本日のテーマは名前についてである。
もうすでに、発信者としてのネット上ではリアルな名前はひとつも存在しない。
ネット上では、愛くるしい『アジフライ』としてのハンドルネームが自分の名前である。
なぜ、『アジフライ?』
なんでなんだろうね。
2011年にブログを書き始めた時に、小学生の息子福山と一台のPCを覗いていた。何か名前をつけなければ。とあせった。
『アジフライ』って、たまに無性に食べたくなる時ありませんか?
ひらめいた時に、こんなに長い間ネット上を浮遊するとは思っていなかったのである。
ハンドルネームは、毎年変わる。バージョンアップをするのだ。
そして、『アジフライ2020★三』の『★三』は、息子福山が命名してくれた。星が飛ぶイメージであると。
もうすでに、アジフライという名前は体の一部である。もう長い間のお付き合いであるからそうなる訳であるが、本名とハンドルネームには大きな違いがある。
本名では失敗が許されないが、ハンドルネームであると、どこまでも好奇心のまま振る舞う事が許されるような気がする。
というか、本名がありふれた名前過ぎるからなのかもしれない。
ありふれた名前だと埋もれてしまいそうな不安に駆られるのかもしれない。
実に、埋もれたくないのである。
『アジフライ』は、本音のかたまりである。空気を読まないところが好きな部分でもある。空気を読まないけれど、毎日、数字だけは読んでいる。
どの記事が、どれくらい読者に読まれているのかを、夕食の納豆をかき混ぜながら数字と向き合っている。
noteは、フォロワーや好きの数だけでは測れないからである。
数字上にしか表れない読者達がいるからである。
そんな読者にささえられながら、noteの更新を行っている。
フォロワーになってください。好きもいっぱいください。でも、それ以上に書いたnoteを読んでもらいたいのである。
アジフライは、クリエーターではないと思う。
空気を読んで、大勢の人に共感され、商業ベースに乗る事を目的としていないからであるが、アジフライでしか発信出来ない事を受け入れてもらうのは正直嬉しい出来事でもある。
クリエーターではなく、常に発信者でありたい。
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