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渡りもぐらは、なんと答えるか。

作 拝啓あんこぼーる
絵 Stonewell

駅の電灯が見えはじめると、
もぐらは少し小走りになりました。

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木枯らしがどんどん強くなり、
大男のへたくそな口笛みたいに、
あたりでひゅうひゅうと音がし始めたからです。

急いで駅舎の待合室に入り、
しっかりと戸を閉めてから、
外の寒さを思い出すように身震いをしました。

待合室には大きな裸電球がひとつ吊り下げてあり、
コの時型に木製の椅子が配置されています。
真ん中には古い石油ストーブ。
その上には野原を転げ回ったような、
でこぼこで古いヤカンが湯気をあげています。

もぐらからすれば、
椅子もヤカンもすべてが大きく、
建物を見上げるような大きさでした。

椅子になんとかよじ登り、
ワカメ色のコートを脱ぎ
藁色のマフラーを外し、
ストーブに一番近い場所に行き、
そしてちこんと座りました。

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もぐらはきょろきょろと
部屋の中を見渡します。
なにか、音がするのです。
外でもない、誰かいる訳でもない。
つん、ちん、と、
どこからか聞こえます。

天井を見上げると、
二匹の蛾が競い合うように
裸電球に飛び付いています。
蛾が電球にぶつかるたびに、
つん、ちん、ぱさ、つつ、
と小さな音をたてていました。

まるで蛾にしか聞こえない、
とても小さな音楽会でも
開いているみたいでした。

木枯らしに舞い上がった枯れ葉が
窓ガラスにいくつかあたり、
かさかさと乾いた音をたてました。
やかんが、ちいいいいいいーと、
息の長い音を出しています。

つんちんぱさつつ
ちいいいいいいいー
かさかさかさ

つんちんぱさつつ
ちいいいいいいいー
かさかさ


がちゃ

突然、壁のドアが開きました。
待合室と事務所は繋がっていたらしく、
中から駅員さんが出てきました。

もぐらは少しビックリして、
五ミリ飛び上がり、
藁色のマフラーを握りしめました。

駅員さんは60才くらいでしょうか。
白髪混じりで帽子をかぶり、
とても上等な制服を着ています。

駅員さんは別のヤカンから、
ストーブのヤカンに水を足しました。
じゅぅううごおうおううううう 
湯気が上がり、駅員の眼鏡が曇ります。


やっと眼鏡の曇りがとれると、
もぐらと目が合いました。
もぐらは会釈をしました。

「おや、すみません気づきませんで。こんばんわ。」

駅員さんは綿菓子のような柔らかな笑顔で
もぐらに挨拶しました。
もぐらはもう一度小さく会釈しました。

「寒かったでしょう、よかったら飲んでください」
駅員さんは事務所から小さな湯飲みを
小走りで持ってきて、
もぐらのそばに湯飲みをおきました。

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小さな湯飲みといっても、
もぐらの3分の1くらいの大きさです。
もぐらは小さく「ありがとう」と言い一口お茶を
舌先でちろりと舐めました。
とても熱かったらしくほんの数秒だけ、
小刻みに震えました。

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それには気づかず駅員が尋ねます。

「この時間帯ですと、
兎ヶ原の方へ向かわれるんですか?」

もぐらはわかめ色のコートの中から
切符を取り出して、自分で切符を見て、
駅員にも見てもらいました。
どうやら字はあんまり読めないようです。

すみませんね、
小さい文字が見えずらくなってきてて、
と駅員が言い、もぐらのそばに座りました。
切符を受け取り眼鏡を外して確認します。

「あぁ、蛍橋ですか。
兎ヶ原のまだだいぶ先ですね。」

駅員さんは切符をもぐらに返しました。
切符を受け取り、もぐらは小さく頷きました。

「途中、狐塚丘を通るので、
外をしっかり見ていてくださいね。
今の季節だと、子供の狐が狐火の練習をしていて、
そこかしこでまるでお祭り騒ぎで
とてもきれいですから。
そうだ、事務所に写真が飾ってあるはずだ。
ちょっと待っててくださいね、
えっと、ほら、あった。
新人研修の講師の時にね
運転室から撮ったんですよ。
ほら、どうです、綺麗でしょう。」

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もぐらは目を細めて写真を見ました。
写真には大人や子供の狐たちが、
狐火の練習をする様子が写っています。
こくんと首を曲げてお礼を言い、
写真を返しました。

モグラはこんなふうに、
大勢で仲間と集まる機会がありません。
だから狐のことを何となく羨ましく思いました。

けれど、もぐらたちが集まっても
何もすることはなく、
謎の沈黙だけがひたすら続くだろう。
だから、やっぱり羨ましくはないや、
と思い直しました。

「蛍橋へは、お仕事ですか??」

駅員は尋ねました。
もぐらは首を振り、答えます。

「えっとう、、」






駅員はもぐらの次の言葉を待ちました。
しかし、一向に次の単語が出てこなかったので、
もぐらの顔を見つめ聞き直しました。

「えっと??」
「はい。そうです。」
「え?」
「そうです。」
「えっ?」
「え?」

駅員はもう一度聞き直しました。

「蛍橋へは、お仕事で?」

「えっとう。」

「えっと?」

「はい。そうです。」

「えー、お仕事なんですか?」

「いいえ。えっとうです。」

「えっとう?


えっとう??



あ!越冬ですか?」

「はい、越冬です。」

もぐらは越冬のために、蛍橋へ行くようです。

「えっと、蛍橋で越冬できますか?
滝とかあって、なんなら寒いような
気がするんですが。」


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「蛍橋はもぐら達の越冬の入り口です。
私たち渡りモグラは生まれて三年目の冬は
南半球で過ごすのです。」

「あぁ、そうなんですか!蛍橋から、南半球まで
掘り進めるんですか??」

もぐらはこくりと頷きます。

「南半球のどちらの国まで?」

「わかりません。」

「え?」

「わたくしも、渡るのははじめてなんです。」

「あら、そうでしたか。初めて渡るんですね。
だいたい、どれぐらいかかるんですか?
その、あっちに到着するまで。」

もぐらは首を振ります。
わからないという意味のようです。

「しかし大変でしょう。掘り進めていくのは。」

「ご先祖たちが掘った穴を通って行くのです。」

「あぁ、なるほど。すでに穴があるんですね。
その穴で行き来するのか。なるほど。」

もぐらはまた首を振りました。

「渡ったらそれっきりです。
父も母も、帰ってきていません。
3年目の冬に渡る。
それだけしかわかりません。
どんな道を通るのか、
道の途中にちゃんとミミズはいるのか。
ちゃんと向こう側に出られるのか、
なにもわかりません。」

「いやぁ、すごいですねぇ、
いままで生きてきて、もぐらの方々に
渡りもぐらがいらっしゃったことも
驚きですが、もう帰って来ないっていうのも、
なんだかこう、ねぇ、不思議ですねぇ、
いやぁ、なんだかすごいなぁ、
いや、初めて知りました。」

「たぶん、いいところなんだろうと思います。
だれも逃げ帰って来てはいないし、
いままであちらに行かなかったもぐらも
誰ひとりとしていません。
だから、いいところなんです。
あっちへいけば、父や母や親族や先輩たちが、
出迎えてくれるんです。
だから大丈夫なんです。
だから怖くないんです。」

遮断機の音。
電車の音。
駅員がゆっくりと立ち上がりました。

「電車が到着します。」

もぐらは頷きました。



濃い橙色の電車がゆっくり駅に現れました。
中からは暖かい蜜柑色の明かりが漏れています。

電車のドアが開きます。

もぐらは、ホームと電車の間の隙間を
ゆっくりとまたぎます。
駅員が、お気をつけて、と言います。
もぐらが頷きます。
もぐらは少し震えているように見えます。
扉が閉まり、窓越しに駅員を見上げています。

駅員は安全確認をして、笛を咥えます。

けれど、いっこうに笛を吹きません。
もぐらが駅員を見つめています。

駅員は、電車の運転室の方へ小走りに走っていき、
何事か話しています。

そして、電車の扉が、もう一度開きました。

小走りに戻ってきた駅員がしゃがみこみ、
もぐらに尋ねました。

「あのぅ、すみませんね、ひとつだけ、
あの、いいですか。その、あの、
あのぅ、あなたは、渡りたいですか?」

もぐらは驚いたように小さく口をあけます。
そしてもぐらは切符を握りしめて、
駅員を見上げて言いました。

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