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ミツバチじいさん










背高く空に伸びたバラたちだけは

花弁が空に還って行くんだ、

そりゃおめぇ、

そん時は

ふぁんたすてぃっくってやつだよ!

全ての花が地面に散るって

どこかで決め込んじゃいないかい?



ミツバチじいさんは、


バラ園を一緒に飛びながら


そんな話をしてくれた。



あの日私は、背の高いひまわりから、蜘蛛の巣に飛び降りようとしていた。

私は誰のためにこんなに必死になってるんだろう。毎日毎日毎日毎日命の危険にさらされ働いて、結局何になるんだろうと、恐ろしくなった。そしてそんなことを毎晩毎晩考えることが億劫だった。いっそのこと、もう全部終わらせたいと思った。

10数えたら飛ぼう。
目をつぶって数を数える。いち、に、さん、し、   ぶーーん

みつばちのおじいさんがふらふらと飛んできて、すぐそばで、ひまわりの蜜を集め始めた。私はいつの間にか溢れていた涙を拭って、景色を眺めるふりをする。



「あぁ~あ、ぜんっぜん集まんねぇわぁ。やってらんねぇよ。ったく。おっ、え?!なんだよびっくりしたぁぁ!なになになに、こんなとこで蟻の嬢ちゃんがなにしてんのよ。」

「いや、あの、えっと、こんにちわ、いや、別に、なにも。」

「年寄り脅かしちゃいけねぇよ!それよりほら、落ちたらあぶねぇ!下見てみな、クモの巣あんだろ?あんなとこに落ちちまったら、せっかくの美人が台無しだよ。ほら、こっちに来な、あんまり端っこには行かねぇほうがいい。」

私は仕方なく、おじいさんの方へ歩く。
おじいさんはふかふかしたひまわりの花弁に背中を預け、バカンスに来たみたいな体勢で休憩し始めた。っていうか私はバカンスなんて一度も行ったことないから、ほんとはバカンスってよくわかってないんだけど。

私はおじいさんの花弁からひとつ離れた隣の花弁に座る。

「今日も今日とて蒸し暑いよなぁ、ったく。むしむしするぜ………虫だけに。」

私はおじいさんの言葉に、曖昧に返事をする。

「無視しないでよぉ、渾身の駄洒落をさぁ…え!あ!まさか!なるほど!!さては!俺の“むしむし”を“むし”したわけ?!なるほど!まさかボケにボケを被せてくるとはねっ!!!すっごいレベル高いことするねえ!お嬢ちゃん!感心したよ!」

「いえ、あの、ぜんぜんそんなつもりは1ミクロンもないので。はい。まったくないです。」

「あら、そうなのぉ?そっかぁ。すっごい高度なことするなぁって思ってさ。感心したんだけど。そっかあ違うのか。あ、そうだ。花粉団子食べる?これだけなかなか足にくっつかなくてさ。どう?」

「花粉団子?なんですかそれ?」

「あ、知らないの?そうかいそうかい。これさ、花の花粉だけで作った団子なのよ。うちの巣のガキどもに食わせるために集めてんだけどさ、これだけうまく固まんなくてさ。よかったら食べなよ、ほら。」

おじいさんは片手で、黄色っぽいお団子を私に手渡す。私が断ろうとすると、それを半分に割って、全部食えねぇし、持って帰るのめんどくせぇから、もらってくれよ、と言った。私は小さく頭を下げながら、半分に割れたお団子をもらう。

さらさらとした手触りの乾いた半分のお団子。匂いを嗅ぐと、花のつぼみのなかにいるときみたいな、柔らかくて芳しくて、落ち着く香りがする。そういえば、朝からなにも食べてない。急にお腹がすいてきて、おもわずパクリと口に含んだ。

花の素朴な甘さと、しゃりしゃりとした花粉の歯応え。口のなかで蜜のような甘みと香りがほろりとほどけていく。私は口を手で押さえながら、思わず「おいしぃっ!」と声をあげた。

おじいさんは、そうだろ、カラスノエンドウの花粉なんだよ、と誇らしげに言ったあとに、お姉ちゃん、新卒かい?と訊いてきた。

「いえ、二年目です。」と、私は答えた。

「そうかいそうかい。じゃあ、うちの孫娘と一緒。孫娘はさ、分蜂して別の巣にいるんだけどさ、あっちもどうやら大変らしいぜ、新しい巣。まぁ、俺たち働き蜂は、そんなもんさねぇ。働き蟻さんも似たようなもんかねぇ?な、辛いよなぁ。ただ働くってさ…


……で、嬢ちゃん、なんで飛び降りようなんて思ったんだい?」


私は、びくっとした。バレてたんだ。なんと答えたらいいのだろう。しばらくお団子を食べながら黙る。そして、こんなおじいさんになんか話しても分からないって心のなかでは思ったけど、飛び降りようとしたその理由を、なぜだか私は話し始めた。

「うんまぁ、なんていうか、その、まあ、なんか、疲れちゃったんです。どうせこの先ずっと働くだけ。巣に餌を運んで、巣の子供たち育てて、それだけ。じゃあ私ってなんだろうって。ほんの少しの砂糖のために働いてるのか、じゃあ私の人生って砂糖なのかって。わかんなくなっちゃって。でも、もうどうなるにせよ、未来は見えてるから、だから、もう、いいかなって。そう思って。」



若いもんが甘いこと言っとったらいかん、両親からいただいた命だからどうのこうのって説教を承知の上で話をした。おじいさんは団子をゆっくりと噛みながら遠くを眺め、ほんの少しだけ微笑みながらゆっくり何度も頷いた。

「だよなぁ。ほんとそれだよなぁ。考えちまうと、そうなんだよ。働いて死ぬだけじゃねぇかって思っちゃう。そりゃ。ほんとにそうだわ。その通りだよ、嬢ちゃん。」

私は拍子抜けした。おじいさんが美味しそうにお団子を食べるのをぼんやりした顔で眺めた。


おじいさんは、お団子の粉のついた両手をぱんぱんと払うと、

「さ、行くかい、嬢ちゃん。」と言った。

「え?…というと?」

「食後の運動と、気分転換。嬢ちゃん、空飛んだことねぇだろ?どうせ死ぬつもりだったんなら、一緒に飛んでみねぇか?どうする?」

おじいさんはやる気がみなぎっているのか、準備体操みたいなことを始めた。私はしばらく考えて、飛んでみたいです。と答えた。よっしゃあっと肩を回してから、おじいさんは後ろから私のお腹の辺りで両手を組んだ。

「できるだけ力は抜いときなよ。疲れるから。じゃ、いくぞぉ?いいかい?」

私が頷くと、背中の方でぶうおおおおおおんと羽音がして、背中から風が吹いてくる。触覚が風になびいた。もわんって体が浮く感覚がして、ぐんってなって、気づいたらひまわりがだいぶ下にあった。

見渡すと、一面がひまわり畑。畑の真ん中には小川があり、ちろちろと水が流れ、きらきらしているのが見える。空のもっと上の方ではヒバリが鳴いていて、すっごく遠くの方に大きな山が見えた。そして山のそばには、なにかきらきらした地面が見える。

おじいさんの羽音と風圧がすごかったから、私は大声でおじいさんに質問する。

「おじいさん!あのきらきらした地面はなに??鉱石?」

「きらきらってぇと、あれかい?あっちの山のとなりのあたりかい?」

「そう!それ!」

「あれは、海って言うのさ!とてつもなくでけぇ水たまりさ!」

私は呆然としながら、「海」を眺めた。おじいさんは、ほぉら!それいくぞぉ!と言って、急降下した。羽音が大きく響いて、風がぶわんぶわんと下から吹いてくる。それぐらいすごい早さで降下しているみたい。おじいさんは水平飛行に移り、ひまわり畑のすれすれを飛んで、私がひゃあひゃあ言うのを楽しむようにじぐざぐに動いて、そしてふわっとまた急上昇した。ひまわり畑を抜けると、桃色の花が咲いている花畑にぶおんって出た。

「おじいさん!なにこのお花!」私はまた大声で訊く。体は恐怖でがくがく震えているのだけど、なんだか楽しくて爽快感もある。もしこのとき水溜まりを覗き込めていたら、そこに映る私の顔は、たぶん笑顔だったと思う。

「薔薇だよ!いい匂いだろう!棘があるから、上まで登ってこねぇと、蟻さんたちはあんまり見ることがねぇかもなぁ。この、薔薇のはちみつがよ、上品でよ、ほれぼれするような味なのよ!お嬢ちゃん、ちょっと味見してみるかい?」

私は大きく頷いた。

おじいさんは、一度急上昇して薔薇畑を旋回してから、急降下した。
そしてひときわ大きく開いた薔薇の中に着地して、桃色の照明のような薔薇のなかで、花の中心を指差して言った。

「ここをよ、つつつついってよ、吸ってみな。」

私は、頷き、いただきます、と言って、おじいさんが指差した場所を言われたようにつつつつついって吸おうとした。けど、じゅるるるるいって音がして少し恥ずかしかった。そう慌てなさんな、と笑いながら言われて、さらに恥ずかしかった。食いしん坊みたいじゃん。

蜜の味はすごかった。
口の中に、花の香りと、上品な甘味が広がって、身体中に染み渡っていくように感じた。からだがとろけたように感じた。

「どうだい。いいだろう。たまには、こういうのも。」

私は、おじいさんに笑顔で頷いて、ひんやりとした花びらにもたれ掛かかり、心から深呼吸をした。肩の力が抜けて、身体中がリラックスしているのがわかる。

「お嬢ちゃん、別に死ぬことは悪いことじゃねえさ。逃げ道は必ずあった方がいい。逃げ道があるからこそ、頑張れるってこともある。もし次、またそういう気持ちになったら、またさっきのひまわりのあそこで会おうや。次は、ライチの花の蜜をごちそうするさね。あれがまたうめぇんだ。あれを啜って、そのあと死んでも損はねぇぜ。」

おじいさんは、顎を掻きながら笑った。私はほんの少しだけ泣いてから、笑った。


おじいさんは、私を抱えて私の巣まで飛んでくれて、ゆっくりと薔薇の合間を飛びながら、言った。


背高く空に伸びたバラたちだけは

花弁が空に還って行くんだ、

そりゃおめぇ、

そん時は

ふぁんたすてぃっくってやつだよ!

全ての花が地面に散るって

どこかで決め込んじゃいないかい?













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