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こころの背中。


夜目覚めて、眠れなくなるときがある。

暑いとか、うるさいとか、環境的な要因だったりすることもある。そして、“なぜ今さらそんな過去を?”というような、昔の嫌な思い出をほじくり返して悩むときもある。

暗い天井を見上げながら、無言のうなりを上げる、眠れぬ夜。そんな夜の孤独は色濃く、さまざまな感情や情景が、雪崩のように押し寄せてきて、そして自分で自分を責めてしまう。

みなさんも、もしかしたら、そんな夜を過ごしたことが、あるかもしれません。


6月に書いたリレー小説 
「夢みる猫は、しっぽで笑う。」では、逆に、眠りから醒めない架空の病、ナイトメア病の少女が主人公です。

この小説は、闇夜のカラスさんが、起承転結の、起と転を担当。あんこぼーろが、承と結を担当しました。

けれども、そもそもの発端は、猫と少女を描いたイシノアサミさんの一枚の絵でした。

その絵からインスピレーションを得たカラスさんは、“ドリーマー”という生き物をこの世に誕生させます。

ドリーマーは、ナイトメア病の少女の脳に接続して、醒めない悪夢のなかで少女と共に闘います。

今回、カラスさんとは、内容の打ち合わせは、登場人物の名前と年齢と、ちょっとした性格ぐらいのやりとりしかしていません。

つまり、相手が何を書くのか分からない。相手の作品を読むまでは、自分が何を書くのか分からない。そんな体験の連続でした。


ここからは小説の内容をお話ししますので、ネタバレになります。

未読の方はぜひ読んで頂きたいです。もうまじでほんとにがちむちに読んでほしい気持ちがあります。がちむちです。




さて。お読みいただいた方々、ありがとうございます。

話は少し変わります。
現在僕は、手話通訳者の勉強をしています。各県のとある団体が主催する講座に、月に2回参加しているのです。

手話のことだけではなく、障害、社会の制度や法律、福祉について学んだりする時間もあります。実は、みる猫のラストは、その講義の最中、映像として浮かんできました。

昔、糸賀一雄さんという方が居ました。Wikipediaに詳しく載っているので、引用します。

知的障がいのある子どもたちの福祉と教育に一生を捧げた。戦後日本の障がい者福祉を切り開いた第一人者として知られ、「社会福祉の父」とも呼ばれる。

糸賀一雄さんは、寝たきりの方であろうが、何らかのサインを出している。どんな些細なサインでも、それはその方が人と関わろう、社会と関わろう、社会参加しようとしている意思表示なのだ。だから、それに気づくことが大事なんだ、とおっしゃったそうです。

著書「福祉の思想」の中では、以下のように述べておられます。

この子らはどんなに重い障害をもっていても、だれととりかえることもできない個性的な自己実現をしているものなのである。
人間とうまれて、その人なりの人間となっていくのである。その自己実現こそが創造であり、生産である。
私たちのねがいは、重症な障害をもったこの子たちも、立派な生産者であるということを、認めあえる社会をつくろうということである。
『この子らに世の光を』あててやろうというあわれみの政策を求めているのではなく、この子らが自ら輝く素材そのものであるから、いよいよみがきをかけて輝かそうというのである。『この子らを世の光に』である。

歯を見せて笑うことも、机を叩いて音を出して何かを伝えようとすることも、“自己実現”であり“生産”であると、そう説いている。そう僕は感じました。

生物学者のマジェリー・スワンソンは、人間が生きていくために不可欠な要素として、空気、水、食物、コミュニケーションの4つを挙げています。

人間には、理解したい、伝えたいという欲求があるのだと、そう思います。

難しい話になってしまいました。みる猫の話に戻ります。




みる猫のラストシーン。
現実世界でのドリちゃんと、菜花たちのコミュニケーション手段は、まばたきでした。

そして、菜花はドリちゃんに対して、さまざまなことを体験させてあげたいと、バイクの後部座席から海を見せたり、潮風の香りを嗅がせたり、部屋では歌を聞かせたり、ケーキやオムレツを食べさせたりしました。菜花は、さまざまなことを通じて、ドリちゃんに何かを提供しているのです。

対して、上条はハチ(ドリちゃん)の発するスプーンの音を、“ハチのことば”として捉えました。すぐにドリちゃんのスプーンを取り上げて、ドリちゃんのことを助けようとした菜花を遮り、その音を聴くという行動で、
“提供する菜花”とは対照的な動きを上条はしていました。

寄り添いや、支えるということ。言葉では簡単ですが、それらを行動で実践するのは、とてもむずかしいことだと、僕は感じています。

僕は、“寄り添う”という言葉も、“支える”という言葉も、存在しないと思っています。存在するのは、“寄り添われた” “支えられた” という主観的な実感だけです。

ドリちゃんは、菜花や上条に対して、最後、どう感じたのでしょうか。みなさんの心の中のドリちゃんやハチに、ぜひ訊いてみてください。


この物語の中で、ドリちゃんやハチに感情移入した方も、菜花の健気な強さ優しさに心震えた方も、菜花の母の辛さに心を締め付けられた方も、中川の心の叫びに、よく言ったっ!と拍手した方も、夢路さんの臨機応変さに心が暖かくなった方もいるかと思います。

ドリちゃんやハチ、すべての登場人物が、それぞれに輝いていたように、僕は思っています。それぞれが自分なりのことばを発していたからです。




ひとりで苦しみの沼に浸かってしまって抜け出せなくなっているそんな夜。

小説の中の彼女たちや彼たちが、みなさんの眠れぬ夜の闇をほんのすこしでも照らせたら。

星明かりでも雪明かりでも、蛍の小さな光でも、そんなふうにほんのすこしでも照らせたらいいなと、そう思って書きました。

眠れぬ夜に、また、読んでいただきたいです。

リレー小説
夢みる猫は、しっぽで笑う。

この小説は、読者の方々よりも、作者たちが誰よりも感動してしまった作品だと思っています。作者たちの心の背中をそっと押してくれる、そんな大事な作品です。

ここまでお読みくださり、ありがとうございました。

そしてみる猫を読んでくださった皆様、ありがとうございました。

そして、アサミさん、カラスさん、書かせてくれて、ありがとうございました。




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