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◇不確かな約束◇ 第5章 下

だから、あんなやつ忘れて、なんか大学生らしいことはしたいんですけどね。でも相手をどれだけ信じてても、わかり合えたとかって思ってても、あんな勝手な訳のわからん理由で簡単にさよならされてしまう可能性があるなら、じゃあ、いいや、って思っちゃうんです。だからなんか、女の子と付き合いそうな感じになっても、自分からたぶん、避けちゃってるのかもしれないですね。

堀さんと、堀さんの奥さんのユウコさんと僕の三人で店にいるときに、ユウコさんがシュウ君は彼女作らへんの?と聞いてきた。それで僕は、新宿のカフェでの事やなんかを話した。ユウコさんは、なんども頷きながら、僕の話を聞いてくれた。

「相手の女の子も、なんか理由があったのかもしれへんけど、まぁいくらなんでも唐突やなぁ、大学生の独り暮らしとかって、拠り所が必要になるときもあるわけやから、大変な時にそんな形で失恋して、なんかシュウ君気の毒やったなぁ。大阪来るのも不安やったやろう?まぁでも、傷つくたんびに磨かれてくから。そういう出来事は、紙ヤスリやと思ったらええねん。磨いてくれてんねんで。シュウ君を。せやから、大丈夫やで。辛くても、あとで意味がわかったりすることもあるし。」

堀さんの奥さんのユウコさんは奈良の人なので、大阪生まれの堀さんよりも、少しソフトで、なんだかゆっくりな関西弁を喋るような気がする。

「さっちゃん、今ごろディズニーシーリゾートでうまいもんでも食うてるのかなぁ、ええなぁ、東京なんかしばらく行ってへんわ。大学生ええなぁ。」

しばらくして堀さんが仕込みをしながら誰にともなく言う。今日はお客さんの入りがまだなく、店はとても静かだ。

堀さんが一年半前に開いたイタリアンの店「la casa felice」ラ・カーサ・フェリーチェは、結構好評で、天満の飲み屋の人たちも食事をしにくる。というのも、天満の飲み屋の人たちの賄い用の食事として、「まかないイタリアン」を裏メニューで作っているからだ。天満で働く人たちの「家」のような立ち位置としても、ラフェリ(結局略してこう呼んでる)は好評だった。ちなみに、店の名前の意味は「幸せな家」。

大学の二年が終わろうとしている。まもなく三年になる。就職先のことも、大学の友達もかなり意識しだした。船の事を考えることは、やっぱり楽しい。すべてが総じて楽しいということではないけれど、やっぱり差し引きすると、楽しい。どこでもいいから、この楽しさを持ち続けたまま仕事がしたいと思っている。

それは、堀さんや、ユウコさんを見ていても思う。大学卒業したら終わりじゃない。就職したら終わりじゃない。結婚したら終わりじゃない。子供が生まれたら終わりじゃない。一つ一つのステージが常に始まりで、そして必ず次のステージへ繋がっている。堀さんも、ユウコさんも、いつも楽しそうだ。

「シュウ君、お土産買ってきたで。」

サチはラフェリで小さな紙袋をくれた。開けてみると、なかにディズニーランドの缶バッチが入っていた。いったいこれをどうしろと。

「ありがと。めちゃめちゃ欲しかったんよ。これ。いや、っていうかおれ、東京出身やし。」

「なんやねんそれ、お土産もらってそんな感想ある?冗談やて冗談。ちゃんと買って来てるよ。」

ユキは別の小さな紙袋をまた渡してきた。なかを開けると缶バッチが入っていた。

「これこれ。これがなくっちゃね。ありがと、サチ。大事にメルカリに出すわ。」

「いや、売らんといてや、私と彼氏の思い出が詰まってんねんから。」

「それじゃあ大事に玉手箱とかにしまっておいてくださいよ彼女いない俺になんかに渡さずに大切に大切にしておいてくださいよ頼みますよ」

「拗ねんでええやん。しゃあないなぁ、つけたげるわ。」

サチは勝手に僕のエプロンにミニーのバッチをつけた。それを見た堀さんが、めちゃめちゃかわいいやん、シュウ。と言った。

「あ、じゃあ、堀さんにもつけてあげましょか?乳首に直接。」

サチが反射的に、きもっ と言ったけれど、堀さんがそれに反応して、きもないわ。めちゃめちゃかわいいわ。その缶バッチより俺の乳首の方が勝ってるわ。ディズニーランドに並んでてもなんの遜色もないで。と言った。どうでもいい。

なんだかんだ言って、今から思えばとても幸せに、あの頃の大学生活は進んでいった。




そして僕は、広島の造船会社に就職先が決まった。すでにラフェリを卒業して就職したサチと、堀さんと、ユウコさんと、バイトの後輩二人で僕の送別会が開かれた。

東京から出てきて四年。本当にあっと言う間だった。

サチが泣いて、それにつられてユウコさんが泣いた。そしてそれにつられて僕が泣いて、お前らなに泣いてんねん、という言葉を最後に、堀さんが声をつまらせて泣いた。堀さんは、五分以上黙って泣いて、口を開いた。

「俺な、自分で自分をめちゃめちゃめちゃ誉めたいねん。店オープンする前にな、シュウと、サチと働いてるとこが想像できてん。せやから、絶対二人に働いてもらいたかってん。お前ら、俺の予想以上に、期待以上にようやってくれたし、俺の思ってる以上に大人になってってるわ。それが嬉しいねん。ほいでな、おまえたちをあの店のオープニングスタッフとして採用した自分をめちゃめちゃ誉めたい。おれ、人を見る目あるわ。ほんま、ありがとう、シュウ。」

大阪に来てよかったと思った。あの時、自分の夢に向かってがんばってたユキに置いてきぼりになりたくなくて、自分の将来のことを考えたら、ここにくることになった。ユキのことは、今でも嫌いだけど、僕は、このとき、ユキにとても感謝した。

もしサポートして頂けた暁には、 幸せな酒を買ってあなたの幸せを願って幸せに酒を飲みます。