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「つくね小隊、応答せよ」(十一)



三人は、密林を早足で進む。

長い歩兵銃に銃剣を装着し、繁る枝葉を薙ぎ払う。



「敵さんは、空から偵察、日本人がいたら船に位置知らせて、艦砲射撃で森ごと壊す。しばらくしたら戦果確認でまた偵察機が来るだろう。見つかればまた同じ目だ。とにかくここから離れるぞ」

艦砲射撃を受けた岩場で、渡邉が言い放つ。


渡邉のその一言には説得力があった。

清水も仲村も、なにも言わずに頷く。

ふたりとも、渡邉にぶん投げてもらわなければ、自分の何百倍の大きさの漬け物石に潰されていた運命だったから、渡邉と、渡邉の判断を信頼している。その渡邉が、列の先頭を歩く。


進めども進めども、南国の森。

帽子についた布「帽垂れ」を出し、頭上から落ちてくるヒルから、後頭部や首や耳を守る。

気を抜くと、二の腕や手の甲に大きな黒いアーモンドのようなヒルが吸い付いている。

渡邉は先程の盆栽のことを思い出しながらも、無心に枝葉を薙ぎ払って進む。

仲村はその後ろでイライラしている。

「くそっ、おめぇらにやる血はねぇんだよっ、こっちがおめぇらの血を吸いてぇくらいなんだよ、ったく、しつけぇんだよっ、ああっこっちもかっ!くそっ!」

白いもち肌の仲村の血が、ヒルは好みらしく、やたらと仲村の皮膚に吸い付く。

仲村はヒルをひき剥がし、遠くに投げつけながらそうやって悪態をつく。

清水は、眼鏡をさわり、汗をぬぐい、一番最後を歩いて行く。

じとじとした南国の空気が、皮膚を蒸らしてゆき、じっとりとした汗が服を濡らす。帽垂れを垂らした帽子も、とっくの昔に汗でびしょ濡れだ。

清水は、蛭と格闘する仲村をぼんやりと眺めながら、呟いた。





ヒル…か…





「おい!忠義ただよし!」





…ヒル




「忠義!お前ら親子は、清水家の恥だよ!ご先祖さまに顔向けできねぇよ!」




ヒル…




「おい!忠義!お前もお前の親父も田蛭たびるなんだよっ!」



田蛭。

水田に住む、吸血性の蛭。田植えをする人々の足に吸い付き、血を吸う。黒く、手足のない、か弱い生き物。人の血で、生きる生き物。

田蛭。



「お前たちは、田蛭なんだよ」

清水が13才の時、親戚から、そんな風なことを言われ始めた。

最初は、「うちの親戚には、口の悪い変なやつらが多い」ぐらいに思っていた。けれど、あまりに親戚たちのあたりが酷かったので、ある日、父親の義照よしてるに理由を訊いた。


「父さん、ねぇ、なんで、俺たち、親戚からあんなに嫌われてるんですか?」

「あ?なんか…言われたのか?」

「うん。“お前ら親子は、田蛭だっ”って、…そう言われてます…」

「あぁ…なるほどな。…まあ、お前は気にするな。それより、しっかり勉強しろ。大学に、行け。いいか。大学に、行くんだ」

義照は、笑ってそう言った。





南国の密林を、眼鏡を触り、汗まみれで歩く清水忠義。

その忠義の父、義照。

父 義照は、子供の頃、だいぶ苦労したらしい。

義照の母は、義照が7才の時、家を出た。そして彼は酒呑みで暴力癖のある父に育てられた。

息子を殴る蹴る怒鳴る貶すは、あたりまえ。

義照の父にとって、息子を殴ることは、挨拶に近かった。

家から閉め出されることもしばしばで、大雪の日に薪を売ってこい、とマッチ売りの少女みたいなことをさせられたこともある。

義照は、ここから逃げたかった。

でも、子供は逃げられない。


子供の義照は、思った。

お金があれば、こんな思いをしなくてすむ。

寒い思い。

ひもじい思い。

みじめな思い。

人ができないような難しい仕事をすれば、お金がたくさんもらえる。

だから義照は、必死で勉強をした。

家で勉強をしていると怒られるから、夜は近所の寺へ行き、縁の下に隠れて勉強をした。

当時は、尋常小学校を卒業すると中等学校で学ぶことができた。

しかし、中等学校は義務教育ではない。お金がかかる。そして当時の中等学校への進学率は数%だ。


尋常小学校卒業間近のある日、義照は、父親に恐る恐る訊いた。


「父ちゃん、俺、中等学校に、行きたい、ん、だけど…」

父親は囲炉裏のそばで寝転んで、義照に背中を向けている。


義照は黙って、父親の答えを待つ。


湯飲みが、飛んできた。

額に当たった。

土間に落ちた湯飲みが割れた。

額からさらさらと血が流れ落ちた。

義照は動かずに、答えを待った。


義照の父はちらりと振り向く。

血を流し、微動だにせず、自分を睨むように立ち続ける義照を見て、ほんの一瞬怯んだような顔をした。

けれども、また何事もなかったかのように酒を煽る。

話は、終わった、のだ。

あっけなかった。


勇気を出してお願いをした。

でも、話は終わった。

話は終わったけれど、義照は動けなかった。

血も拭かず、暗くなるまで、そこに立ち続けた。






義照は、尋常小学校を卒業すると、家の農業の手伝いをしながら、働きに出た。お金を貯めたかった。

里中のりんごの箱詰めを朝までかかってやった日もある。大八車を押して、町まで白菜を売りにいくこともあった。

学校には行けなかったけれど、その真面目な働きぶりが大人たちの評価に繋がり、いろんな仕事を頼まれるようになった。

お金は少しずつ、畳の下の漬け物壺に貯まっていった。






14歳になったある夜。

いつものように漬け物壺に、お給金を入れた。

すると、いつもと音が違った。

いつもなら、小銭や紙幣同士がぶつかる、

しゃりじゃじゃり

というような音がする。

今日は、

ちんかららん

という音だった。




義照は青くなって、漬け物壺を取り出し、恐る恐る中を覗く。

壺の中身は空だった。



義照は、立ち上がって、父親のもとに向かった。彼はいつものように、相変わらず酒を飲んでいる。

父親はちらりと義照の持った漬け物壺を見て、目をそらす。


「父ちゃん、俺の…お給金、俺の…」


父親は、舌打ちをした。



遊ぶ間、寝る間、さまざまなものを犠牲にして、ここを出たい一心でためたお金。


それを父親は、姑息な小動物のように探しあて、盗んだ。

義照の、頭の中のどこか遠いところで、かちり、と音がしたような気がした。







気づくと、横になっている父親の顔や胸や腹を、義照は踏み蹴りしていた。





古くなって壊れそうな林檎箱は、薪にして燃やす。踏んで潰して薪にする。

脚を怪我しないように、脚絆を巻き、勢いよく箱を踏み抜く。

そんな仕事もやった。

父親は、ひぃ、やめ、やめれ、ひぃ、よしてる、ごふっ、と鳴き声をあげながら、義照を見上げて泣いている。

胃を直撃したらしく、酒が逆流して口から溢れてきた。溺れるような鳴き声に変わる。


父ちゃんやめてよ

ごめんなさい

ゆるしてください

ふと、父親に蹴られていたときの幼い自分の声が聞こえた気がした。

ふと我にかえると、無表情に父親を蹴り続ける自分に気づいた。

父親は、恐れに満ちた目で、義照を見上げている。

義照は、心臓に冷水を注がれたように、ひやりとして動けなくなった。



こいつと、同じじゃねえかよ…



義照は、胃の中のものをすべて吐いた。

恐れに満ちた父が震え、息子は嫌悪感に震えて泣いた。

この日から父は息子を殴らなくなった。






義照が15歳のとき、本家から養子の話がきた。本家の跡取りが病死したため、養子にきてくれないか、というのだ。

父は開口一番こう言った。

「いくら包んでくれるんですか」

本家の人間が金額を言い、父は頷いた。

それだけ、だった。


義照は本家の養子となった。

数日して家を出た。それきり、父の顔を見たことはない。





やがて義照は成人し、見合い結婚。翌年、息子が生まれた。名を「忠義」とした。

やがて義照の養父母は亡くなり、義照が本家の当主となった。



義照は、尋常小学校に通う息子の忠義に、いつも言った。

「忠義、お前はしっかり勉強して、いい成績をとって、そして大学へ行け、いいか、身分を変えるには、勉強しかないんだ。いいか、お前は大学へ行け」

忠義は尋常小学校を卒業後、中等学校から遠方の高等学校に通う事になった。遠いので、通学ではなく下宿。下宿の費用もかかる。

いったいどこからそんなお金が出てくるのだろうと、忠義は不思議に思い、引っ越してきた下宿先で、帰り際の父親に訊いた。

「父さん、本当に、お金、大丈夫なんですか?」

すると義照は、心配するな、とだけ答えた。

「心配するなって、俺だってもう子供じゃないんですよ?親のお金で学ばせてもらってるんだから、俺にも聴く義務があると思います」


忠義がそう強く言うと、五畳一間の畳の上に義照は座った。そして、お前も座れ、と忠義に言う。

「いいか。子供が親の心配なんかする必要ねぇんだよ、心配すんな。親孝行なんか、一切考えなくていい。俺は、お前に大学に行って、俺とは違う生き方をしてほしいだけなんだよ、わかったか、よし、じゃあ、なんかあったらまた手紙送れ、じゃあな」

まるで銭湯に行くかのように、振り返らずに下宿を去っていく義照。

忠義は慌てて父を引き止めたが、義照は後ろ手に手を振って駅まで歩いて行った。



半年ほどして里帰りしたとき、忠義は母親を問いただした。

母は、しぶしぶ、お金の出所を答えた。

「…お父さんは、田畑を売ったんです」

「え?どこの田畑ですか」

「うちの全部の、田畑」

「え、ぜ、全部?な、なんで?ですか?」

「なんでってそりゃ、忠義を大学に行かせるためです」

「…先祖から受け継いだ土地を、俺ひとりのために?ですか?」

母はゆっくり頷く。

忠義の脳裏に、親戚の言葉が蘇った。


「おい!忠義!お前もお前の親父も田蛭たびるなんだよっ!」

田畑を売ると決意した時の、義照の気持ちを、忠義は思った。決して生半可な気持ちじゃなかったはずだ。親戚中に後ろ指をさされることを覚悟して、決めたこと、だったはずだ…





清水忠義は、歩兵銃の銃身をぎゅっと握りしめる。腕に吸い付いた蛭を見つめながら歩く。

先祖から受け継いだ田畑は、自分の学費に消えた。

そして大学で学んでいた自分の命は、学徒出陣で今、戦場で使用されている。

いったい誰が蛭なんだよ。

親父や俺が蛭なら、国はどうなるんだよ。


いいようのない怒りが清水の胸に渦巻いて、大声で叫びそうになった。
そのとき、前方から、




パン  シュカンッ


      パン シュシュカンッ


  



銃撃の音。

3人は、背中に背負った鉄帽を慌てて被り、伏せる。



渡邉が歩兵銃に弾を、がち、ごちゃん、ずすん、と装填する。日本軍の使用していた三八式歩兵銃は、5発装填。発砲のたびに、弾を装填する必要がある。

「この発砲音、敵さんの銃じゃねえな…」

仲村も弾を装填する。
がち、ごがちゃちゃん、ずすん

「敵じゃないならなんで撃ってくんだよ」

清水も、弾を装填する。
がち、ごごごちゃん、ずずすん

「この音と、発砲の間隔は、三八式歩兵銃だろ。日本兵の銃を鹵獲した敵兵か、もしくは、錯乱した日本人じゃないか」



渡邉が、清水の言葉に同意するように頷き、大声を出した。

「聴いてくれ!俺は、大日本帝国陸軍 上等兵 渡邉道雄だ!その銃は、三八だろ?貴様が敵兵ならしったこっちゃないが、もし日本兵であれば返事をしてくれ!!!」

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