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ヒッチハイクには、見ず知らずの人の人生を深く覗き込むようなところがあると思う。

数年前のある日、僕は雨の中ヒッチハイクをしていた。

福岡方面と書いたスケッチブックをかかげて。

傘はさしているけれど、スケッチブックは濡れていく。濡れていくほど、文字は見えにくくなり、車は素通りしていく。そりゃあたりまえだ。僕を車に乗せても別になんのメリットもなお兄さん!乗って!

目の前に車が停まり、メガネをかけた初老の男性が、乗って!と手招きしている。慌てて車に乗る。

どしたのこんな雨の中!車なんてとまんなかったでしょう?大変だったねぇ。

おじさんは、高速のETCを通り抜けながら、曇ったメガネを拭いて僕に話しかける。



転職をした。

有給休暇がかなりあったので、その期間を利用して福岡の実家に帰ることにした。大人になって初めての長期休暇なので、ただの里帰りにはしたくない。できれば日ごろできないようなことがしたい。そうやってぼくは、ヒッチハイクをすることになった。と、おじさんに話した。

へぇ、転職きっかけにねぇ。しかし大変だったね、雨の中。あ、ぼくはね、一応、神戸まで行く予定だから、そこまで乗せていくよ。いや、あのね、東京にね、出張で、ほら、後ろにダンボールたくさんあるでしょう、あのなかに、いろいろ商品とか模型とか配線とかが入ってるんですよ。うん、あ、僕ね、ソーラーパネルの技師なんです。東京のビルにね、パネルつけられるかって企業さんから相談があって、昨日まで一週間、ホテルにこもってね、図面描いてみたりね、いろいろやってたのよ、ほんともぅ疲れるよ、東京って街は!

おじさんは、にこやかに笑う。

そうやってお互い、電力の話や、原発の話や、震災の話、天気や、家族や、社内での教育や、これからの日本で必要となるだろう職業の話や、いろいろな話をした。

おじさんは、高知の山奥で育った。父親は大工をしていて、昭和の職人のという感じの頑固で無口な父親だったという。

すっごい田舎でね、山奥だったからスーパーなんてないし、電車も通ってないわけですよ。夜になるとね、獣たちが庭にやってくるような、そんなところでしたよ。

親父はね、15で大工の見習い。下積みやって、なんとか一人前になって、ずっと、大工一筋で働いてきてましてね。

で、自分がそうやって生きてきたからなのかわからないですけど、僕とね、弟、あと、妹がいるんですけど、僕ら子どもたちにはね、頼んでもないのにね、ギターを買ってきたり、ピアノ買ってきたり、絵の具のセット、なんか外国の高級そうなやつとかをね、買ってきて、僕らに黙ってぽんっと渡すような、そんな親父だったんですよ。

親父は学校にも行かせてもらえんかったから、選択肢がなかったんでしょうね。子供のときから我慢しとったんでしょうね。僕らにはピアノ弾けとか、絵を描けとか、一切言わずに、ある日突然ぽんっと買ってくるんですよ。興味ないのに買ってくるんだけど、怒らせると僕らも怖いから、ほら、昭和の親父でしょ?機嫌悪くすると殴られるから、自然とね、絵の具触ったり、ピアノ触ったりして、なんか兄弟で弾いてましたよ。

頑固なんだけど、自由でね、突拍子もないことする、そんな親父でした。親父は早くに父親が死んでたから、僕たちと、どうやって接したらいいかわかんなかったのかもしれないですね。

親父ですか、今はね、もうね、おらんのですよ。半年前にね、逝きました。おふくろだけ、高知で暮らしてます。




おじさんはしばらく黙った。そして、まるで机の奥に仕舞った小さな箱をゆっくりと開けるみたいに、語り始めた。


親父はですね、人を頼るってところがなくて、無口に一人でなんでも決めて、やり遂げるみたいなところがあってですね、ほんと、昭和の男ってこういう男だなっていう、そういう親父やったんです。その親父はですね、常日頃から、家族に話してた事があってですね。

俺に意識がなくなったら、生かすなよ。
延命処置やらするなよ。

こういうことをね、家族に話すんです。酒飲んでるときも、しらふのときもね、テレビ見てたり、病気の話題がでたりすると、いっつもそれを言ってたんです。

親父もいろいろ悪くなりはじめて入院ってなったとき、軽い病気のはずやったのが、本人が病院嫌いなもんで、いろいろ黙っとったんでしょうね。他にも色々病気があって、入院してると、なんか、親父も病人の風貌にだんだんなってきてね。あの、怖かった親父がね、病人にね、なってく、んですよ。

なんか、寂しかったですよ。そういう親父をみるのは。親父が、手術嫌がってですね、みるみる弱っていって、家族は手術してくれって頼んだんですけど、んもー頑固でね!ほんとに!俺の命や好きにさせろ!いや家族のことも考えてくれよ!って、どっちも譲らん状態でね。でも、本人が承諾しない手術なんてね、できなくてね、で、その、ついにね、起き上がれなくなって、意識不明になりました。

医者には、回復はすることはない、意識が戻る確率も低い、長くはない、でも、延命は出来るって説明を受けました。

それでも、一ヶ月、待ちましたよー。いやー。そりゃ、ハイそうですか、じゃあ延命しないでください、とは、言えないですよ。親父の希望とは言え、だって、俺たちの親父なんですもん。おふくろにとっては、たったひとりの夫なんですもん。

一ヶ月たって、家族で話して、やっぱり親父の希望通りにって、そう、なりました。承諾書みたいなのに、サインする場があって、医者は、おふくろに聞くんです。本当にいいですか。って。サインをしてもらう必要があるって、ね。

おふくろはもう泣いて泣いて、そんなもんわたしにゃかけません!って言うわけですよ。そりゃ書けないですよそんなの。サインしたらね、親父を、ね、手にかけるのと同じことですからね。

でもあの、僕、長男なんで、僕が決めにゃ、ね。弟や妹も、僕を見るわけですよ。で、親父にね、聞きました。

親父、いいんか?

ほんとにいいんか?

いっつも言っとったよなあ?

嘘やないよなぁ?

俺、サインするぞ?

本当にそれが親父の希望なんか?

親父、いいんか?

親父、死ぬんやぞ?

親父は、なんも答えんけど、黙って頷いとるような気がして。僕がサインしました。

サインして、病院のエレベーター乗って一人になったら、ぼろぼろぼろぼろって、泣けてきてね。その後の葬式でも、泣かんかったけど、あのエレベーターの中では、涙がね、止まらなくて、声あげて一人で、泣きましたね。あのときは。

家族見守る中、医療器具外して、はい。親父の、希望通りに、なりました。親父の望みとはいえ、頼みとはいえ、僕はね、親父を殺したんですよ。うん。頼みとはいえ。


僕は、おじさんに、尋ねた。

その、決意に苦しんだ息子さんに、お父さんなら、なんて言いそうですか?

おじさんは、お父さんのことを笑顔で思い出しながら、

えー?考えたことなかったなぁ。えー???なんだろなぁ。多分、どうかなぁ、多分あの人のことだから、よう決めてくれたな、すまんやった。って言うような気がします。うん。そうだな、たぶん、親父なら、そういう気がします。

そう言って、おじさんは僕に笑いかけた。

僕ね、親父が亡くなってから、フルート始めたんですよ。親父が小さい時にいろいろ買ってきてくれたの思い出して、なんか、人生をもっと楽しんでやろうと思ってね、男がフルート?って思うでしょう?

それでね、つい先日、フルートの音楽会があって、僕は客席で鑑賞してたんです。そしたらね、窓の外見たらね、鳩が4羽電線に留まってて。音楽会なんでね、大きな音も出るでしょう?だから、大きな音が出た時にね、鳩が3羽びっくりして逃げて行ったんですよ。

でもね、1羽だけね、逃げないの。その鳩がね、窓の外からね、音楽会を覗き込んでて、そしてね、音楽に合わせて体が揺れてるんです。

あのね、変な話だと思うでしょうけど、親父だ、って思いましたよ、親父が音楽を聴きに来てるって、思いました、ばっかなこと言ってるなぁ、って思うでしょう?

でもね、あれはね、親父だったと、そう思ってるんです。うん。その鳩見ながらね、親父、親父、って涙が出てきましたよ。ごめんなさいね、なんか、変わってるでしょ?



神戸のパーキングエリアで、そのおじさんとは、握手をして別れました。

そして今でも僕は、埃をかぶったピアノや絵の具セット、音楽会を覗き込む鳩を思い出すのです。







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