見出し画像

伊勢と酵素とヒッチハイク

伊勢にいきます。車で行きます。

ところで、数年前にヒッチハイクで福岡に帰りました。

ヒッチハイクは、釣りに似ている。魚を釣るためには、魚にとって魅力的な餌が必要で、しかも魚がいるところへ釣り針を垂らす必要がある。魚が怯えないように、静かにしておく必要がある。

ヒッチハイクでは、車通りが多く、車が停まりやすい場所の手前で行き先の札を出す。この人なら乗せても安全だなぁ、という笑顔や雰囲気をつくっておかないといけない。

タクシーであれば電話で呼び、金銭を支払うが、ヒッチハイクは完全な相手の善意のみが頼りだから、こちらはもう待つしかない。まさに神頼みの釣りである。

見ず知らずの男を乗せてくれる人々はいい人でしかない。ありがたい。ヒッチハイクの世界では、乗せてもらって当たり前、という概念は存在しない。こういうことって、普通に生活しているとなかなかに感じることができない感情だな、と感じた。

お金を払えばピザも故郷も冷蔵庫も何でも行ったり来たりする。すごい世の中だなぁ、と思う。けれどもヒッチハイクは違う。ひたすらに待つ。

そしてポイントが悪ければ歩いて移動をする。

歩いているときに、ふと、僕は思ったんです。ヒッチハイクは人の運転で、人の車で、その車の持ち主の善意で連れていってもらう。いわば、他力なんです。

歩いている時は、もちろん自力。自分の足で歩いている。足がいたい。疲れる。自力なんです。でもずっと歩いていると、不思議な気持ちになってきます。

あれ、なんで俺、 

歩けてるんだろう。

この足のシステムや形状や指示系統や組成物質って、俺が考えたんだっけ。膝の中の軟骨ってどんな作り方するんだろう。どんな成分なんだろう。体重を支えている大腿骨のカルシウムはどうやって摂取したんだっけ。いきなりステーキのワイルドハンバーグかな。いつも飲んでるカフェラテのミルクから摂取したのかな。

食べ物を分解するには、酵素たちの力がいります。消化酵素です。僕は彼らの顔や声を知らないですが、僕がこの世に生まれてから、ずっと今日まで消化を頑張ってくれています。

自力で歩いていたなんて、ただの勘違いでした。何一つ自分でやってません。呼吸も鼓動も消化も。

世の中全部が他力でした。太陽があるのも、田畑に食べ物が実るのも、雨が降るのも風が吹くのも、全部僕はやってない。何一つ僕はやってない。

何一つ。

伊勢神宮には、太陽の神様であるアマテラスオオミノカミと、穀物や食べ物の神様であるトヨウケノオオカミがまつられている。

さっき、食器を洗っているとお嫁が、伊勢神宮ってだれがまつられてんの?なんのご利益があるん?と質問してきた。聖母マリアだよって答えようとしたけれど、めんどくさくなりそうだったので、アマテラスだよ、と答えた。

アマテラスってなんのご利益があんの?とさらに聞いてきたので、ご利益はいまご飯が食べられて生きていることだよ、と伝えた。お嫁は へー って答えた。

昔の人は、太陽が照って米が実ることを、当たり前とは思っていなかったかもしれない。太陽があって、なぜだか米が米として存在して、それを食べられる。そしてそれらがなぜだか消化されて体の一部になる。これってやっぱり普通のことじゃない。

ありがたいこと。

ということで、明日は伊勢からお届けします。

もしサポートして頂けた暁には、 幸せな酒を買ってあなたの幸せを願って幸せに酒を飲みます。