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「つくね小隊、応答せよ、」(十四)


社の戸の前、3匹の狒狒が立っています。


体中を覆う白い毛。

血のような赤い目。

黄土色の大きな歯。

朱色の皮膚。

床まで届く長い手。


弁存は息をのみました。

あの時の様子が、つい昨日のことのように思い出されます。



3匹は、棺を見て、




にいいいいやあありいいい




と嗤いました。



すると、それを見た娘が、あまりの恐怖に小さく声をあげてしまいます。

「ひぃっ」

弁存は慌てて娘の口を押さえ、僧衣の袖で、娘の顔を覆います。

娘は目をぎゅっとつむり、小さく震えだしました。弁存も、ぎゅっと目をつむります。


(聞こえていなければいいが…)






狒狒たちは、ゆっくりと、笑顔から、無表情に戻って言いました。














なああああ、こえ、したよなぁ…





うん、こえが、したねぇ…




わかあいむすめの、こえだったねぇ…





そしてしばらく黙ります。



なあ、やっぱり、こえ、したよなぁ


うん、こえがしたよう


あのしげみのあたりだよねぇ





むらのやつがまだのこってるのかあ


もしみられたらこまるねえ


そうだねえどうするどうするぅ




狒狒たちは、声のした茂みを、社の中から無言で見つめます。








きのせいなのかなぁ


そうだねぇ、けはいがしないねぇ


きのせいきのせい




そうだなそうだな


そうだそうだ


はやくひつぎのむすめたべちゃお



うんそうしよう


きょうもけんかせずにたべようね


うんみんなでなかよくたべようだまされるとでもおもったのかなああ!!!!!!




3匹は一瞬で社から飛び上がり、茂みの前に着地しました。


娘がびくっと体を震わせ、弁存は娘の口を押さえたまま、肩をしっかりと抱きしめます。

そして、(大丈夫、大丈夫だから)というように頷いてみせました。

娘は目をぎゅっとつむったまま、荒い息を押し殺し、涙を流し、頷きました。




ああはああぁやっぱりだぁあああはは

このしげみにむすめがいるね、息のけはいがするぅうふふ

ははははきょうはふたりもたべられるんだねええはははは




弁存は、娘を包むようにして手を合わせ、ゆっくりと呼吸しはじめました。

まるで、寺で座禅を組んでいるような、そんな顔つきです。




さああでてきなよお


でてこないならあ


わたしたちからいくよお



狒狒たちは目の前の茂みを、長い爪で何度も引き裂きました。


あははははははははははあ


ふひひひひひひひひひひい


ぬふふふふふっっふふふう


狒狒たちが楽しげに笑いながら茂みを引き裂くと、木の枝や葉が飛び散る、無惨な音が響きます。










狒狒たちの手が止まり、笑顔からゆっくりと無表情に戻ってゆきます。





声がしたはずの茂みには、誰もいなかったからです。


茂みの地面には、切った竹が一本、置いてあるだけでした。








あれえおかしいなあへんだなあ

うんおかしいたしかにこえがしたのにねえ

あれれれれおかしいなああいきのけはいがしたのにねえ



3匹は、とてもゆっくりと、辺りの茂みを見渡しています。










がたん









境内の中央の棺が音をたてました。


3匹は棺を見つめます。






まあことしもちゃんとくえるからいいかあ

そうだねえよくばりはよくないよねえ

そうそうたべられることにかんしゃしなきゃねえ





3匹は顔を見合わせて頷き、

しゅばだんっ、と棺の周りに着地しました。






ずっさ ずずずっさ


ずっさ ずずずっさ


ずっさ ずずずっさ


ずっさ ずずずっさ



やがて、ゆっくりと、棺のまわりを廻り、唄い始めます。





こよいこのばんこのばしょに

はやたろうはおるまいな


こよいこのばんこのことを

はやたろうには、しられるな


しんしゅうしなののはやたろう

はやたろうは、おるまいな


しんしゅうしなののこうぜんじ

はやたろうは、おるまいな


こよいこのばんこのばしょに

はやたろうは、おるまいな


はやたろうには、しられるな

はやたろうは、おるまいな





がらだばだんっ!!!!!



一匹がいきなり棺の蓋を開け、星空に棺の蓋が舞い上がります。



だんばるがるっ!!がらがらっ!



棺の蓋は地面に落ち、大きな音を立てて割れました。




3匹は、棺の中を覗き込みます。











しかし、棺の中には、誰もいませんでした。



狒狒たちは棺の底を不思議そうに見ています。


すると、棺の底になにか模様が浮き出てきました。

丸くて赤い模様です。




ぽた





ぽた ぽた





ぽたぽたぽたぽた




よく見ると、模様ではありません。棺の底に、血が滴り落ちているのです。

ん?誰の血なのだろう…3匹は不思議な顔をしています。

やがて滴りおちる血が勢いを増してゆき、

ぽたぽたぽたぽたたたたたたたたたたたたたたたぷしゅううううううううううううううううううううううううううううううううううう!!

狒狒たちの顔から血が吹き出しました。



ふんぎゃあああああああああああ!

ぎゅぎょああああああああああああ!

ひぃいいいいいいいいいいいいいいい!



3匹には、何が起こったのかわかりません。


血が吹き出している自分たちの顔をおさえて、泣き叫んでいます。


なんなのこれいたいいたいいたいよお

なにこれなにこれだれがやったのお

めをやられたよぼくはめをやられたあ



一匹は片目。

一匹は鼻。

一匹は片耳。


3匹ともそれぞれの場所から血が吹き出し、泣き叫んでいます。




ひぃいいいい!
う!
うえ!!!



一匹が空を見上げながら叫ぶと、他の二匹も空を見上げました。







神社の真上に白く輝く月から、ものすごい速さで白い何かが降ってきます。





すちゃっ 
どばだあああああんっ!!!!




棺にそれは着地し、棺は粉々に砕け散りました。


砂煙がたちのぼり、狒狒たちは腰を抜かします。





ひいいいいいいいいい

いたいいたいよぉおお

いったいなんだよぉおお




砂煙がゆっくりと流されてゆきます。

月が、神社のまんなかに着地した、白い「それ」をきらきらと、照らしています。






信州信濃の、光前寺。

山犬の、早太郎です。





早太郎は、口に咥えていた何かを、勢いよく吐き出しました。



ぼんごろころごろん



3匹の前に、それらは転がってゆきます。


狒狒たちは、転がってきたものをびくびくして、恐る恐る見ました。


それらは、狒狒たちの、目玉、鼻、耳でした。




もももももももしかして

もしかしてはやははははやはや

ししししんしゅうしなののの



は…はやたろう

3匹は同時につぶやきました。






早太郎の氷のように輝く瞳が、月明かりを浴びて光っています。

そしてその輝きの残像を残し、早太郎は平行移動するようにして、すぷんっと、消えました。

砂煙が一瞬ゆらめいて、あたりが静かになります。

すると、一匹が腰を抜かしたまま悲鳴をあげました。

ひぃいいい!うでっ!うでをやられたあああ!

狒狒は自分の腕を大事そうに抱えています。どうやらいつのまにか肘の腱を咬みきられたようです。


他の二匹はそれには目もくれず、自分のまわりをきょろきょろとせわしなく慌てて見回しています。


わわわわわかったよぉはやたろうこうさんする

うんうんそうだよそうだよもうわるいことしない


怖くなって観念した二匹は、うつ伏せになって額を地面に擦り付けています。




すんずざざっ

早太郎が、額を擦り付けている二匹の前に姿を表しました。

肘を抱えていた一匹も、同じように額を擦りつけます。






ごめんなさいもうしませんゆるして

ゆるしてくださいもうやまにかえる

いのちだけはどうかおたすけください





早太郎は黙って三匹を見ています。





おわびにわたしたちのたからものをさしあげます

そうそうゆうこうのあかしに

はやたろうさんにさしあげます




三匹は、早太郎に背を向けて、土から何かを掘り出すようなしぐさをしています。

やがて準備が整ったのか、三匹は息を揃えていいました。


よくもやってくれたなああああああああああ!!


境内の石畳を引き剥がし、ものすごい勢いで早太郎に向けて投げつけます。


3つの石畳は空気を切り裂きながら、早太郎めがけて飛んで行きます。すごい怪力です。




しゅぎゅるるるるるっるぅううううううううん


ばすっ 

どすっ

ぎゃしゃああんっ ぱらぱらら



石畳のひとつは地面に突き刺さりひとつは木の幹にめりこみひとつは大きな岩に当たって砕けました。

早太郎は、どこにもいません。



どこにいったはやたろう

はやくでてこいはやたろう

にげてばかりでおくびょうもの



最後にそう言った一匹の耳元に、なにか温かい空気が吹きかかります。その一匹は、恐る恐る振り返り、動けなくなりました。

狒狒の肩に、早太郎が乗り、狒狒を見下ろしていたのです。その氷のような美しく冷たい眼差しに、その狒狒は背筋が凍るような寒気をおぼえました。

他の二匹が、別の石畳を早太郎に向かって投げつけます早太郎が跳びその反動で狒狒はよろめいて倒れ、石畳はその上をかすめて飛んで行き木々にずんざりと突き刺さりました。


着地した早太郎は本殿の階段の一番上から、静かに狒狒たちを見据えます。息ひとつ乱れていないので、まるで置物のようにも見えました。


暗い本殿の前、白く輝く山犬。

それを見上げる三匹の狒狒。

まるで絵巻物を切り取ったかのような光景です。




やがて、一匹の狒狒が、にいやりと嗤いました。



あああぁ、いいことおもいついたああ

えええ?なになにおしえてよぉ

そうだよぉう、ひみつはだめだよぉう


狒狒たちは、こそこそと何か話しています。

ね?いいでしょう?

ああ、うんとってもいい

はやくやろやろぉう




狒狒たちには、なにか策があるようです。

また石畳を振りかぶり、本殿の早太郎に飛びかかりました。


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