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◇不確かな約束◇第3章秋冬


◇不確かな約束◇第3章秋冬


ユキは動物が好きだった。そしてなんと、月に1度は動物園に行きたがった。

女子高生なのに動物園?とか言わないよ?じゃあ毎月ディズニーランドならいいのかな?いやでしょ?安上がりな彼女でほんとにお得だよ?でしょ?

動物園に飽き飽きしている僕を、同じキャッチコピーで何度も説得した。

動物園なら東京にもあるのに、なぜだか神奈川の動物園が好きだった。なんでわざわざ遠い動物園がいいのって訊くと、こっちの方がライオンが無茶苦茶近いから。だと、彼女は答えた。


高二の10月。

彼女は、その無茶苦茶近いライオンを見つめながら言った。

「獣医か、動物看護師に、なりたいんだ」

そして、少し強い口調で、

「だから、東京は、離れる、と、思う。」

と、続けて言った。

しばらく、お互い黙っていた。

二歳くらいの女の子が「らいうぉんさん、らいうぉんさん」と独り言をいいながらライオンの檻に近づいてきたので、ユキは立ち上がり、場所を譲った。立ち上がりながら指先で目元を少しぬぐう。金色の細い指輪がよく似合う指だ。僕はその白い手を握って歩き出す。


「じゃあ、大学、遠いとこなんでしょ?」

しばらく歩いてから、何とか一言目を口に出した。いろんな言葉が頭のなかに出てきたけれど、それが口に到達するまでかなりの時間がかかった。やっと出てきた言葉だった。

「とおい。北海道。」

丁寧にひとつひとつの単語を自分で確認するかのように、彼女は言った。

「北海道?遠くない?遠すぎでしょ。北海道じゃなきゃ、ダメなの?東京にはないの?」

そんなの調べ尽くしてるに決まってる。ユキは黙ってコクリと頷いた後に、北海道では酪農とか畜産の歴史が長いから、だから、っていう、北海道じゃなきゃダメな理由の話をした。

ふと気づくと、何とか彼女の決めたことを否定しようとしている自分がいた。何とかもっと近場の大学とかで、ユキが妥協してくれそうな案を探した。ユキの話を聞いているようで、全く聞いていなかった。頷いているフリをしていた。

話し終えると、ユキは御手洗に行くと言い出した。僕はうん、と頷いて、自販機の傍のベンチに腰掛ける。風が吹いて、地面の落ち葉がカラカラ鳴る。空には、鯉のぼりみたいな雲がいくつか流れていく。空が高い。そして僕はユキを何とか否定して、妥協させようとしてる。とてもちっちゃい。

逆に僕がユキに、北海道の大学に行きたいって言ったら彼女はなんて言うんだろう。僕と同じことを、考えるだろうか。沢山悩んで告白してくれた想いを、聞いてるフリなんかするだろうか。否定できる要素を探したりするだろうか。ユキは、しないと思う。多分彼女なら、こう言うんじゃないだろうか。

シュウがほんとに悩んで悩んで、悩んで決めたことなんだったら、私はそれが、シュウにとって最高の決断だって思ってるよ。それを信じるよ。きっとそれが1番だって思う。

言いそうだ。多分こんな感じだ。そしてもし、僕が北海道の大学に行くってことを、初めてユキに伝えるとしたら、どんな言葉がいいんだろう。いつ言えばいいんだろうって、僕はかなり悩むだろう。それは、ユキも同じだったはず。

悩んで悩んで、彼女はさっきそれを僕に伝えてくれたはずだと、そう思う。そんな彼女の言葉を聞いているフリをして、操作しようとしていた自分を恥ずかしいと思った。

ユキが御手洗から出てくる。少し俯いて、僕に向かってまっすぐ、ゆっくりとぼとぼと歩いてくる。座ってる僕の前で立ち止まる。

しばらく、お互い黙っていた。

僕は座ったままユキの両手を握り、ユキを見上げた。

「ねぇ、ユキ、俺にそれ言うの悩んだ?」

ユキは頷く。

「すごく悩んだ?」

ユキは頷く。

「もしかして、付き合う前から大学のこと、決めてた?」

ユキは頷く。

「だから、ずっと、俺にいつ言うか悩んでた?」

ユキは2回頷く。

「これ言ったら2人が別れるかもって思ってたの?」

ユキはゆっくり頷く。ユキの手を握っている僕の手にぽたぽたと雫が落ちる。ユキは唇を固く結んで、大泣きするのを我慢している。

不安はある。でも、ユキのことをちゃんと考えたい、支えたい。と、思った。こういう時なんて言えばいいんだろう。分からない。分からないから、過去のデータベースから、何とか探し出してきた言葉を言った。

「松井さん、その、良ければ、北海道に行っても、俺と付き合ってくれませんか?」

「らいうぉんさんおひとりでさみしそうでしたねー」

ユキの後ろの道を、さっきの二歳くらいの女の子がお母さんと歩いていく。

「ライオンさんは、別のお部屋で奥さまが待ってるんだよー。昼間だけ、ちーちゃんに挨拶したいから、見えるところまで出てきてくれてるんだよー。だから寂しくないんだよー?」

「ほんとぉう?じゃあさみしくないじゃん。こんど、おくさまのおみやげに、花束をお持ちしようかなあ それともお肉がいいかなあ」

「何がいいかなあ、今日お風呂の中で一緒に考えましょうよ。」

「そうですよねー」

ユキが震え始めた。どうしたのかと思ってユキの顔を見ると、笑ってる。

「なにあの親子。無茶苦茶可愛いんだけど。」

泣き笑いで涙を拭う。そうだね、何の肉持ってくるんだろうね、あとめちゃくちゃタイミング悪かったね。と、僕も笑う。

ユキは小さく深呼吸して言った。

「武本くん、お願いします。」

ユキは涙だらけの笑顔で僕に頭を下げた。僕は笑って頷いた。

落ち葉が、からからと音をたてた。


この日から、なんだかユキは今まで以上に雰囲気が大人らしくなってきた。もしかすると、ずっと言わなければいけなかったことを言えて、すこし身軽になったのかもしれない。北海道での生活のために、バイトも増やし、貯金をはじめた。バイト先の人と電話で話す時は、まるで社会人みたいだった。

2人で、一緒に勉強をしたりもするようになった。ユキは家賃の事やバイトの事やなんかも、勉強の合間に調べていた。シュウが泊まりに来た時のために、バスタオル買うんだけど、どれがいいかなぁ、と、だいぶ先に使う予定のバスタオルをスマホで一緒に見たりもした。

「シュウは、どんなことがしたいの?」

ファミレスで勉強中に、ふとユキが言った。ユキがどんどん大人っぽくなっていくのを横目に見ながら、僕はなにひとつ大人っぽくなれなかった。でも、ユキと一緒にいると、自分が何をしたいのかを毎日意識させられてた。

「なんか、おれさ、たぶん、船舶とかに興味があるんだと思う。」

僕はユキに言った。ユキはオレンジを見つけたワオキツネザルみたいな顔をして僕の話に食いついた。ちなみに、ワオキツネザルは、ユキとの動物園通いで身に付いた知識だ。

「え!それ私も思ってた!横浜の赤レンガ倉庫行ったときも、東京ビックサイト行ったときもさ、イベントとか、料理とかよりも、船に異常に反応してたから、船好きなんだと思ってたの。あのとき、船好きなの?って訊いても、普通って言ってたけどさ、やっぱり好きだったんじゃん。当たってたね」

「そうみたい。前にユキにそういう風にいわれたから、親と晩飯のときにそのこと話してみたら、なんか、俺、小さいときから船が好きだったらしい。親を東京港になんども連行したらしい。今も、船の動画とかみてると、なんか、楽しいんだよね。高校生にもなって、船を見てると楽しいってどうかと思うけど、でも、事実だから。」

「前も美術のときに描いた石のオブジェの時の話で、船の話してなかった?だよね?うん。なんか、いいと思う。」

「どうやら、船の構造とかが好きみたい。だから、造船とか、設計とか、してみたいって思ってる。今はなんか、ユキがすごい頑張ってるから、焦って影響されてるところもあるから、ほんとかどうかわかんないけど、慎重に考えてる。」

ユキは笑顔で何度か頷いた。美味しいものを食べたときの、あの幸せそうな顔をしていた。


高三になると、もう気持ちは決まっていた。それまでに何度も自問自答したり、親とも担任とも、そしてユキとも何度も話したから。僕は船舶関係の大学に進むことにした。場所は、大阪。ユキとも、故郷である東京とも、離れてしまう。でも、なんどもユキとはいろんなことを確かめあった。だから、大丈夫だと信じてた。

高校生最後の冬は、今までの人生で、もっとも忙しかった。親と一緒に独り暮らしに必要なものを見て回ったり、念のため大阪に物件を探しにいったり、そして受験勉強したり。それでも、ユキと一緒にいられる高校生最後の時間だったから、二人ともそれをずっと意識してた。

ファミレスで勉強したりしてるときも、足先だけはお互いに触れていたり、左手どうし、握ったまま勉強したりした。とにかくできるだけ長い時間、一緒にいたい。そして、触れていたかった。お互いに心のどこかで、なにかを、とても怖がっていた。

今までのように、当たり前に駅で待ち合わせをしたり、突然行き先をライオンが無茶苦茶近い動物園に変更されたり、面白そうな映画やってるから今から一緒に観ようって呼び出されたり、それら一切ができなくなる。雨に濡れる綿アメみたいに、消えてしまう。

ユキと離れて生活することが苦しくて、何度か一人で泣いた。やっぱり別れた方がいいのかもしれない、と何度か思った。でも、別れるよりも月に一度でも会えるって方がよっぽどよかった。

ユキに告白された時、僕たちはまだ高校一年生だった。そして僕たちは18才になった。僕が大人になったのかどうなのかはまったくわからないけれど、ユキは明らかに大人になっていく。お互いの家からの中間地点での今日の待ち合わせも、最初見たときは知らない人だと思ってた。ユキだって分からなかった。

「なによ、何か怒ってるの?」

突然知らない女性に話しかけられて、ドキッとしたら、ユキだった。どう見ても、年上の女性に見える。いや、気づかなかっただけだよ、と答えながら、ユキの綺麗さに緊張していた。なんだかいつもよりも、更に大人の女性だった。

二人ともどこに行くのかは決めていなかったけど、新宿に行くことになった。二人で、電車の座席に座り、揺られる。

冬の暖かい日差しが、僕とユキを包む。ユキの髪が、少年が宝箱に大切に仕舞った美しい銅線みたいに輝いている。日差しに照らされた、温かなユキの手を握る。ユキが、あっ と声を出した。どうしたの?と問いかけた。

「ほら、あの小学生の白の水玉のリボンさ、バレンタインのときにシュウにあげたチョコレートのリボンにそっくりだよ。」

「バレンタインって、この前の?一番最初の?高一の時の?そうだったっけ。これ思い出せなかったら最低とか言われるんだろうけど、さすがに高一のバレンタインのリボンの柄は覚えてないよ。ごめんだけど。」

ユキはわざと唇を尖らせた。

「あの時さ、偶然女子たちがいなくなったからチョコレート入れることできたんだよね。あの一瞬がなかったら、私、入れることできなかったと思う。それって、すごいことじゃない?もし、入れることができなかったら、いま、ここに座って、手も握ってないんだよ?あのまま、クラスの女子と男子ってだけのまま。」

何か答えようとすると、新宿についた。電車を降りて、人混みを二人でうまくすり抜けて地上に出る。地上に出ても、人混みは途切れなかったから、信号待ちの人混みのなかで、「勇気だして、チョコいれてくれて、ありがとう。」向かいの信号を見ながら、そう言った。信号は青になった。

この日、たくさんの場所を歩き回った。二人でこんなことができるのも、あと数えるほどしかない。その後は、遠距離になる。だからユキのなんでもない、いつもの表情をたくさん見ておきたかった。デパートでシュシュを買った時の嬉しそうな顔も、大事にするって言った時の顔も、全部を大事にしたかった。

さんざん歩いて、たくさん話して、手を繋いだまま僕とユキは、新宿駅近くの、雑居ビルの2階のカフェへ入った。ドアベルの音が響いた。
















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