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アメリカにMBA留学した時のお話(その5:疲労の蓄積した私の身体を襲った病)

前回は、社内の海外大学院留学制度の留学候補生に選出された後、出願の際に提出が必要となるテスト対策として、他の候補生からの紹介がきっかけで通い始めた留学予備校に違和感を感じていたところまでお話しました。

今日は、毎日の本業と留学のためのテスト勉強により蓄積された疲労が元で、大変な目にあったことをお話します。

疲労の蓄積した私の身体を襲った病

1.急性腰痛症

2001年の夏のことです。
ある週末、私はいつものように、社宅の中の小部屋でTOEFL対策の学習のため、机に向かっていました。

午後まだ早い時間頃、腰の辺りに違和感を感じました。
じわ~っとした鈍い痛みです。

その時は、

「長時間椅子に座りっぱなしの毎日だから、少し腰が疲れているのかな?」

と、さして気にも留めていませんでした。

しかし、そこから30分、1時間・・・と時間が経つにつれて、腰の痛みが次第に強くなってきました。

リビングに居た妻にそのことを話すと、

妻:「うちにはコルセットは無いんだけど、どうしよう。」

私が痛みで辛そうにしていると、妻はしばし考えてから、

「犬の日用に貰った腹帯しかないんだけど、何もしないよりは少しはましかな。」

と言って、以前使用していた、お腹の部分に「寿」と刺繡の施してある腹帯を持ってきました。(当時、妻のお腹には長女が入っていました。確か、7か月目位だったか・・・)

その頃には、腰の痛みは激痛になっていて、立っているのもやっとの状態になっていたため、私は脂汗を流しながら、藁にもすがる思いで、その「寿腹帯」を腰に巻きました。

ですが、そもそも腹帯は腰痛のためのものではありませんので、コルセットのように腰を固く締め付けてサポート出来る代物ではありません。

柔らかく、伸びる素材の腹帯は、当然ですが、全く役に立ちませんでした。

私は痛みでもう立っても座ってもいられず、妻に救急車を呼んでもらうようにお願いし、自分は奥の小部屋からリビングに、匍匐前進のような恰好で移動しました。

腕の力で体を引きずるように前進する時も、少しでも腰が揺れると頭に突き抜けるような激痛が走りました。

数分後、救急隊が到着し、私はシーツのようなものに乗せられてからストレッチャーに移され、救急車に運ばれました。

妻も同乗し、私は救急車で近所にある総合病院に連れて行かれました。

病院の救急用診察室のような部屋に入ると、整形外科の医師が待っていました。私は痛みに耐えながら状況を説明すると、医師は、「腰の患部に痛み止めの注射を打ちます。」と言い、注射の用意をしました。

私は、腰に直接注射針を刺されることなどなかったため、どれだけ痛いんだろうか。という不安が頭をよぎりましたが、それよりも、腰の痛みが尋常ではなかったため、

「何でもいいから早くこの痛みを何とかしてくれ。」

と、観念して注射を打ってもらいました。

20年以上も前の事ですが、あの太い注射は今でも覚えています。

恐らく注射自体も普通に打たれたらかなり痛いのだろうと思いますが、それにも増して腰の痛みが強かったので、何も感じなかったような記憶があります。

それよりも、注射を打ち終わった時に、あの耐えがたい腰の激痛が和らいだため、一気に緊張から解放されたのを覚えています。

その後私はこの病院に2週間ほど入院することになりました。

病室に入ってからは、起きている時間には痛み止めの点滴、それでも痛みが辛い時には痛み止めの飲み薬も併用し、ずっとベッドで安静にしていなければなりませんでした。

このため、全くテスト勉強も手が付かない状況でした。

私の入院中、毎日のように身重の妻が社宅から病院まで歩いて見舞いに来てくれました。

妻も大変な時期なのに、自分はこんな状態になって妻に迷惑を掛けてしまった。という申し訳なさと情けなさに苛まれる日々でした。

2.化膿性扁桃腺炎

ようやく腰の状態が快方に向かい、病院を退院し、

「入院でできなかったテスト対策の後れを取り戻さなければ!」

という焦りを感じながら、また仕事と勉強漬けの日々が戻ってきました。

今度は、病院で処方されたコルセットがあるので、腰痛が再発しないように常にコルセットを巻いた状態で机に向かうようにしていました。


退院から1か月ほど経過した頃だったでしょうか。

腰には気を遣うようになっていたのですが、今度はまた予想もしていなかった事態が起きてしまいました。

いつ始まったのか知らない内に、つばを飲み込むと、喉がヒリヒリする感覚が出てきました。

何となく違和感を感じつつも、原因が分からないため特に薬も飲まずに過ごしていたのですが、ある日突然40℃の高熱が出ました。

私はこれまで40℃の熱というものを出したことがなく、高くても39.6℃ほどだったので、何か今まで経験したことのない状況になっていると直感しました。

高熱が出ているものの、前回の腰の時のように歩けないほどではなかったため、熱でふらふらしながらも、着替えなどの身支度をバッグに詰めて、何時でも入院出来る準備をしてから、自分で救急電話を掛けました。

この時、妻は既に出産準備のために実家に里帰り中で、私は社宅に一人暮らし状態になっていたのです。

つい1か月ほど前にも救急車に乗ったばかりで「慣れている?」ので、救急隊が来て「救急車まで歩けますか?」と言われた時も、「はい、歩けます。」と言って、荷物だけ持ってもらって救急車まで歩いて行きました。

連れて行かれた病院は、ついこの前入院していた総合病院でした。

今度は症状から耳鼻咽喉科で診察を受け、「化膿性扁桃腺炎」と診断されました。

そして、また入院です。
この回の入院は何日間だったか忘れてしまいましたが、腰の時よりは短かったと思います。

留学候補生辞退を申し出る

この一連の身体の不調により、結果的に1か月間会社を休みました。

業務に復帰すると、沢山の仕事が待っていました。
非常に遣り甲斐のある担当業務でしたが、沢山の新しい事を覚えて行かねばなりませんでした。

仕事だけでも帰宅時間は連日深夜。
そこからテスト勉強をしなければなりません。

入院で留学予備校も休んでいたので、テスト対策は全く進んでおらず、TOEFL用の学習テキストも遅々として進みません。

更には予備校の授業を受けていてもテストでスコアを伸ばすための内容になっていないことに対する不満が高まっていました。

このままでは、ビジネススクールを受験するために必要なTOEFL、GMATのスコアを出願期間までに獲得するのは絶望的でした。

私は思い悩んだ末、思い切って、留学を進めてくれた上司に

「申し訳ありません。私はこのまま準備を進めても合格できる可能性がないので、候補生を辞退させてください。」

と切り出しました。

するとその上司は、

「今回は体調を崩して会社を長期間休まざるを得なかったなど、特別な事情があるので、人事部に掛け合って、留学候補生資格を1年間延長してもらおう。」

と、請け合ってくれました。

私は正直なところ、もう留学候補生という看板を外してもらいたかったのですが、生憎そうはさせてもらえませんでした。

本気で留学したいという人にとっては、「格別の特別措置で命拾いした」と胸をなでおろすところなのでしょうが、私にとっては、

「逃げる口実を与えて貰えなかった。」

と、また始まる仕事と勉強漬けの日々を思い、表向きは

「ありがとうございました。大変ありがたいです。」

と言いつつも、内心陰鬱な気持ちでいっぱいでした。

数日後、人事部から「留学候補生資格を1年間延長する。」との通知が届き、受験準備の第2幕がはじまることとなります。

ここまで読んで頂き、ありがとうございました。



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