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平和の思いを次の世代に

私は、近年の日本を見て、不安を感じずにはいられません。
社会全体の雰囲気として、平和への思いが薄まっていると感じるからです。
今年の夏のテレビ番組表を見ても、戦争関連の番組は大幅に減っており、国の予算も教育や福祉の予算が減らされ、防衛費に多く充てられています。
「日本という国は、再び戦争に向かっていっているのではないか。」そう思わざるおえません。

フリースクールのスタッフとして、子どもたちの学びと育ちに携わっている身としては、いま関わっている子どもたちが社会に出た時に、安全に、幸せに暮らせる社会であってほしい。そうでなくてはならないと思っています。
しかし、今の社会情勢が続けば、いま目の前にいる子どもたちの将来はどうなってしまうのか。
社会や個人の都合によって多くの人の生活が脅かされることがあってはならない。そうならないために、今の自分がやるべきことは何かを考え、まとめてみました。



平和教育の質の低下


今の日本は「平和への思い」が薄まっている。
そう思う理由の1つに、平和教育の質の低下があると思います。

みなさんは、日本で起きた、いや、日本が起こした戦争についてどのように習いましたか?
私が15年前ほどに小学校で受けた歴史の授業は、とても簡素なものでした。
「昭和16年に真珠湾攻撃があって、太平洋戦争が起きた。」
「昭和20年に原子爆弾が落とされて、日本は8月15日に玉音放送をして降伏した」
授業は1コマ45分ですが、内容をまとめるとこの程度のことしか伝えられていませんでした。
「歴史の教科書の中に戦争のことが出てきたので授業の中で伝えた。」ただそれだけの内容でした。
当時は何も疑問に感じずに授業を受けていましたが、今思い返してみるとあまりに中身のないものです。

戦争で日本は世界にどの様なことをしたのか。戦争で一般市民はどんな思いをしたのか。平和とはいかに尊く、守っていかなければならないものなのか。そのことが学校の授業では一切伝えられませんでした。

ただ、私はその後も「平和」ということにずっとアンテナを貼って生きてゆきます。社会が、世界が「平和」であるために自分は何ができるのか。それを昔から今もずっと考え、探し続けています。
なぜそのような意識が芽生えたのか。学校の授業で聞いたからではありません。
祖父から戦争の話を直接聞いていたからです。

祖父からきいた戦争の話


私の祖父は14歳で太平洋戦争が始まり、青春時代を戦争の中で過ごし、終戦時は18歳でした。
そして親しく、敬っていた兄が戦地で亡くなってしまいます。
終戦後、帰ってきたのは1枚の紙と、軍人遺族記章だけでした。後から勲章も贈られていますが、今見てもとても悲しい勲章に見えます。
祖父は当時小学校4、5年生ほどだった私に、時間をかけて戦争のことを話してくれました。私から見ると大叔父に当たるお兄さんの遺品を見せながら、当時のことを伝えてくれました。
残念なことに、その話の内容をしっかりとは覚えていませんが、祖父の悲しそうな顔と、大叔父さんが戦争で亡くなってしまった話をしてもらったことはしっかりと覚えています。
そして、「戦争は絶対にしてはいけない」という祖父の思いは、今でもわたしの胸に深く刻まれています。

15年ほどが経ったいま、心に強く響き、平和への思いを強くしているのは、祖父から聞いた話です。
祖父から受け継いだ大叔父さんの遺品の日記や手帳を読み返しては、戦争の悲惨さ、平和の尊さを感じる日々です。
一方、学校の平和教育はどこか形式的で中身がなく、私の心には一切響きませんでした。

「戦争経験者から直接話をきいた人」が減っている


私は大学を出たあと、フリースクールのスタッフになりました。
私のいるフリースクールでは、広い意味での学びも大切にしており、各教科のスタッフが揃っています。
わたしはそこに、社会科のスタッフとして入ります。右も左も分からないまま、必死になって学びの時間のサポートをしてゆく中で、あることに気が付きました。
「子どもたちが戦争のことを全く知らない」
原爆がいつどこに落ちたのか。太平洋戦争はどこが始めたのか。日付は愚か、その事実すら知らないという子がほとんどでした。
みんな興味関心が旺盛で、学ぶ力のある子ばかりです。相手の人の気持ちに寄り添える、そんな優しい子どもたちです。しかし、そのような子どもたちが戦争のことを一切知らない、関心がないというのはなぜか?

原因は、戦争のことを知る機会が今の日本社会の中に、あまりにも少ないからではないかと思いました。
私が子どもの頃はテレビを見ていても、本屋に行っても、どこかしらで戦争のことを取り上げているものがありました。
また、現代はテレビよりも個々人が動画を見る時代です。みんな自分の興味の赴くことにはアクセスして知ることができますが、興味を持たなかったものには触れる機会がほとんどありません。
事実に触れる機会がなければ、そこに思いを巡らせる機会も減ってしまいます。

さらにもう一つ、社会の中に「戦争を経験した世代から直接話を聞いた人」が減ってきているというのも、この問題を加速させているように感じます。
私たちの世代では、「戦争を経験した世代が減っている」と言われていました。それでもまだ、周りの友人たちの家庭にも戦争を経験した人がいて、身近に話を聞ける世代でした。
しかし、今は戦争を経験した方がいないという家庭がほとんどで、直接戦争の話を聞いた人も家庭の中にいないのではないでしょうか。

また、子ども達に関わる先生、テレビなど報道に関わる人の世代にも、直接戦争の話を聞いた人が少なくなってきており、伝える側の思いも薄まってきているのではないでしょうか。
「戦争を経験した人が減っている」時代から、「経験者から直接戦争の話を聞いた人が減っている」時代になってきており、平和教育の環境は著しく悪化しているように感じます。
伝える側の意識・思いが薄れてしまうと伝える力が弱まり、戦争関連の番組が減ったり、授業の中でも機械的に伝えたりということが起きてくるのだと実感しています。
その結果、社会全体として「平和への思いが薄れてしまう」ということに繋がってしまっているのだと思います。

子ども達は根源的に、戦争の悲しみに寄り添い、平和を大切にする心を持っています。
しかしそれが薄れてきているというのは、日本社会、教育環境の悪さから来ていると思います。
伝える大人側に責任があるのではないでしょうか。

文化の力の弱まり


平和の思いが薄れていることに加えて、もうひとつ不安に感じていることがあります。文化の力の弱まりです。

近年、防衛費が増えいます。2023年度予算案では、「防衛関係費」が6兆7880億円で増額幅が26.4%となっています。加えて、新設された「防衛力強化資金繰り入れ」にも3兆3806億円充てられており、防衛関係に10兆円近くのお金がかけられています。
比べて「文教および科学振興」には5兆4158億円で増額幅が0.5%
と、防衛費と比べるとかなり少なくなっています。

NHK公式サイト「令和5年度予算」を参照

また、税金の取り方も変わり、クリエイターの方などが非常に厳しい立場に置かれています。
日本が世界に誇るアニメ分野も、優秀なアニメーターの海外流出が止まらないとの話を聞きます。

戦争・軍隊という「武の力」を抑えるには、「文化の力」が大切だと思います。
武器を持って戦うのではなく、スポーツや将棋などで熱い戦いをする。
軍隊を応援するのではなく、選手や棋士を応援する。
戦車や戦闘機をかっこいいと持て囃すではなく、スポーツカーやバイクレースに熱狂する。
軍歌や軍隊の映像ではなく、質の高い映像作品や本が生み出され、それを楽しむ文化が醸成される。
軍隊の式たりを守るのではなく、伝統的な文化守り、新しい文化を大切に育てる。
文化の力が社会に満たされてゆくと、多くの人が感動や笑顔で包まれ、生き生きとした活気ある社会になるのではないでしょうか。

文化の力は誰も縛りつけることができないものだと思います。
自分たちの文化を大切にできるということは、他の人や国の文化も大切にできるということです。
人種や文化、時代をも超えて緩やかに地球全体が繋がってゆく。平和な世であるためには欠かせないものではないでしょうか。
この文化の力が軽視されてゆくと、社会は途端に戦う方に流れてゆきます。
自国の文化を軽視する国が、他の国の文化を受け入れられるでしょうか?
武の力の強まりは、他国の文化をも否定し、争いへと発展してしまうのです。
文化の力は戦争を抑えるものであると同時に、戦争に向かっていってしまっているかどうかを知る物差しでもあるかもしれません。

自衛隊キャンペーンの怖さ


最近はショッピングモールなどでの自衛隊キャンペーンが頻繁に開かれています。
自衛官の数が減ってきており、深刻な人手不足の中でなんとかそれを打開しようと開いているのは承知していますが、そこに参加している子ども達がどう感じていて、どのような道を進むのかが心配でなりません。

自衛隊のキャンペーンでは、戦車や戦闘機を子ども達に見せます。
子どもは当然、「かっこいい」と感じるでしょう。私自身も小さい頃はそうでした。
自衛隊のキャンペーンは自衛官になってくれそうな若者向けに開いているのでしょうが、開いているのは休日のショッピングモールです。当然子ども達も立ち寄ります。
「こんな戦車に乗っているんだよ」「これが今使っている戦闘機だよ」と伝えるのは良いのですが、そこで終わってしまっていることが危険だと思います。
「自衛隊はかっこいいもの」という印象だけ持った子ども達は大きくなったときに、武器や軍隊というものに危機感を抱かなくなります。
それどころか、賛美するような雰囲気が生まれてしまう可能性もあります。
スポーツ選手やチームを応援するが如く軍隊を応援してしまう。
こういう雰囲気が、戦争へと歩みを加速させてしまうのです。

戦時中、少年航空隊への勧誘が街中で行われていたようです。
「航空隊はかっこいい」と教えられていた当時の子ども達は、喜んで入る人もいたそうです。
私の祖父の知り合いでも入った人がいたそうですが、入隊した後にしばらくして一時的に帰郷した際には、「とんでもないところだ。あんなところ入るものじゃない」と語っていたそうです。
「かっこいい」という意識を使って人を集めては戦争に利用する。しかし、軍隊がかっこいいものという雰囲気の中で、反対の声は上げづらいので、この流れは止まることがない。
今の日本では、これと似たようなことが再び起ころうとしているとしか思えません。

自衛隊のキャンペーンをするのは良いのですが、どうか「かっこいい」だけで終わらせないで欲しいです。
「戦車や戦闘機を使っているけれど、この武器が使われず平和であることが一番大切なんだよ。」ということを伝えてほしいと願っています。
戦争が再び起こり、多くの人が大切な人を失った悲しみを経験してから「軍隊はかっこいいものではないんだ」と気がつくのでは遅いのです。

子ども達に伝えた戦争の話


今まで挙げたようなことにならないために何ができるか。
それを今までずっと考え、探してきました。
まだまだ考え続けなければなりませんが、今の自分にできることは、「戦争と平和のことを次の世代に伝えること」です。

戦争のあった時代との物理的な距離はどんどん広がっています。
すると、戦争は自分と関係のない話だと感じ、どこか他人ごとのように受け取ってしまいます。
「戦争は絶対に起こしてはいけない」、「同じ悲しみを繰り返してはならない」と、自分ごととして捉えられるように次の世代に伝えていかなければなりません。
物理的な距離が開いても心の距離はいつでも近くに置けるはず、そう信じて伝えていくことが大切だと思っています。

私の働くフリースクールでは今年、大叔父の遺品を子ども達に公開しました。
祖父から聞いた話を、大叔父の遺品と共に子ども達に伝えました。
いつもは元気が有り余って、スタッフの話をよそに他の活動に取り組む子もいるのですが、大叔父の話のときはじっくりと聞き入っていました。
話の一つひとつに反応があり、飛んでくる質問に答えながら私は驚いていました。

「実際に物を見たり、見知ったスタッフの親戚の話を伝えて戦争の時代との距離を縮めると、子ども達はここまで関心を持って受け止めるのか」と。

驚くと同時に自分自身の今までの伝え方も反省しました。
子ども達は本質的に戦争の悲しさ、平和の尊さを分かる力を持っている。話が届いていないように感じるのは、私自身の伝え方が足りなかったのだと思いました。

「自分ごととして感じる」ことができると、その物事に対して考えが深まります。
子ども達は大叔父が亡くなったあとに送られてきた、1枚の紙と1個のバッヂを見たとき唖然としていました。
開戦した昭和16年に教員になるための教育実習をしていた大叔父は、夢だった先生は1年半ほどしかできずに軍隊に入りました。
「子ども達の学びと育ちに関わっていくんだ」という思いを遂げられなかったことを思うと無念でなりません。
しかし、大叔父の残してくれたものは、時を超えて子ども達の力になっています。

平和のためにできること


戦争の話を子ども達に伝えることがいかに大切か、身をもって感じました。
私はこの話を自分の中だけに留めておくのはもったいないと感じました。
「多くの子ども達が戦争のことを知り、平和の尊さを知れるための活動をしなければ」
その想いは日々大きくなっています。

祖父から戦争の話を直接聞いた者として、次の世代にこの話を伝える。
戦争のことを知って平和の思いを深められる環境を整える。
これは私の使命だと思っています。

具体的には、
・まだご存命の戦争を経験された方の話を、1人でも多く記録として残す。
・戦争遺構を子ども達が見れて、平和について考えられる形で公開・保存する。
・全国の社会科の授業での戦争の伝え方を、事実をしっかりと伝えて、平和について考えられる時間となるための発信をしてゆく。
・大叔父が、祖父が残してくれたものを、誰でも見られるように公開する。
などのことをしてゆきたいと思っています。
これらの活動を通して、次の世代へ平和の思いを繋いでいきたいと心に強く思います。

絶対に同じことは繰り返させない。
私は人生をかけてこの活動に取り組んでゆきたいと思います。

菊池天陰



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