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【超便利】明日会社で話せるアントニオ猪木都市伝説詰め合わせ 

今日は明日会社で話せる猪木さんの都市伝説詰め合わせをnoteにまとめました。 

朝礼のスピーチ、上司や部下との1on1ネタ、年下の部下とのちょっとした会話などに使える超便利な話しばかりですので、是非ご活用ください。



●幻のリングネーム『死神酋長』

力道山は「死神酋長」を猪木さんのリングネームにしようとした。

当時大人気だったプロレスを題材にした漫画「チャンピオン太」がTVドラマ化される事になり、プロデビュー前の新人だった猪木さんが悪役である死神酋長役でTVデビューしていた為。

師匠の力道山もこのドラマに出ており、実際戦っています。

●日系ブラジル人ではない


猪木さんの実家は石炭問屋を営んでいましたが第二次世界大戦後、世界のエネルギー資源の中心が石炭から石油に変わっていったこともあり倒産。

13歳の時に貧困を抜け出せるかもしれないという希望から、母親、祖父、兄弟とともにブラジルへ渡りサンパウロ市近郊の農場で少年時代を過ごしており、ブラジルで力道山にスカウトされました。

力道山が猪木さんを日系ブラジル人として売り出そうとしていたので、猪木さん自身が「実は横浜生まれ」と自身の出身を公にしたのは力道山が亡くなってから。

●顎の深さは指2本分


倍賞美津子がテレビ朝日「徹子の部屋」に出演した際に、猪木さんの顎の深さを図ろうと、寝ている間に口を開けて、中指と薬指の2本を入れてみたら全部入ってしまったと語っています。

●モハメッド・フセイン・イノキ


猪木さんは1991年にイラクのカルバラーにてイスラム教に改宗し、ムスリム名は「モハメッド・フセイン・イノキ」。

ただし、ワシントン・ポストによると本人は仏教徒と話しています。

●プロスポーツの世界に上半身の筋肉のみで合格


1960年(昭和35年)4月11日、興行でブラジルサンパウロを訪れていた力道山から直接スカウトされて日本へ帰国し、日本プロレスに入団。
力道山から掛けられた最初の言葉は、「オイ、裸になれ」。

そして、上半身を脱がされてその筋肉のみで見事合格している。 

おそらく、プロスポーツ史上唯一上半身のみでプロデビューを決めた人物と言えます。

●アントニオ猪木の命名は豊登


リングネーム「死神酋長」を辛うじて回避しその後本名でデビューした猪木さんは1962年(昭和37年)アントニオ猪木に改名しています。

「ブラジル帰りの日系ブラジル人」であることを強調する為や当時の人気レスラー「アントニオ・ロッカ」を真似たなど諸説あるが、命名したのは豊登。

●力道山の過剰なシバキ


力道山の弟子として馬場とプロレス界に入るも、馬場はすぐにアメリカ遠征に出され、デビュー前から給料も出ていたという特別扱いの馬場に比べて、猪木さんは力道山からはまるで目の仇のように厳しく育てられたと言います。

猪木さんが力道山にリングシューズを履かせる際、紐の掛け違いから血が出るほど殴られたとか。

また、記者らの面前で日常的に力道山から「あご」「こじき野郎」と罵られたり、遠征で汽車に乗っている時、眠りについてしまいそうになると、葉巻を額に押し付けられたりと時代次第ではきっと力道山は逮捕されていたでしょう。

●船から飛び降りさせられ東京まで泳いで帰る都市伝説


力道山が弟子や関係者らと船でクルージングしていた際、力道山がいきなり「降りろ」と言われ、1時間以上かけて泳いで東京へ帰ったことがある。

のちに力道山の妻が「猪木さんを認めていた為、厳しく接していた」と語ってはいるが物は言いようですね。

●猪木さんの人質解放伝説


1990年、サダム・フセイン大統領(当時)のイラクがクウェートに侵攻しました。

国連の制裁措置を受けたイラクは当時クウェートにいた日本人41人を事実上の人質としてイラクに連行・国外移動禁止処分に。

日本政府による人質解放交渉は難航していたのですが、1990年12月3日、猪木さん(参議院議員だった)はイラク・バグダッド市内のサダム・アリーナで「平和の祭典」と題してプロレス興行をすると突如発表。

日本政府が大反発する中、猪木さんは個人でトルコ航空機をチャーターし、関係者や人質被害者41人の家族の旅費を自腹で払いバグダードへ。

そして大会は3500人(満員)の観衆を動員し大成功を納めます。

その後イラク側は猪木さんの平和の祭典を評価するとして、日本人人質を「解放する」と発表しました。  

国が成し遂げなかったことをたった1人で解決させたのである!!

●独創的な健康管理


猪木さんは39歳の時、糖尿病で血糖値が一時596にまでなったが、自然治癒で血糖値を180まで下げなんと44日後にはカムバック戦を行った。

どのように血糖値を下げたのか聞かれた猪木さんは「氷風呂に入り全身の筋肉をガチガチと痙攣させ、血糖を消費させた」と発言。

これを聞いた専門医師は「とんでもないことだ」と答えている。

●イノキアイランド


2013年にキューバの親善大使になり、アントニオ猪木の名前がつけられた「イノキアイランド」と呼ばれる無人島をフィデル・カストロからプレゼントされています。

ちなみに、イノキアイランドの口コミは☆3.24(8/22時点)
https://4travel.jp/os_shisetsu/10406585


●投資ビジネスの癖


突如永久電機の開発を発表した猪木さん。

成功すれば、わずかな磁力で半永久的にエネルギーを生み出すというこの発明。 

理論上不可能と言われるも「この発明は学校の教科書を書き換えることになる」と自慢げに語るほど自信ありげだった猪木さん。

そして、2002年に永久電機完成記者会見が行なわれた。
会見冒頭で「エネルギーの常識にないことが起こりました!」挨拶する猪木さん。
しかし、いざ起動スイッチを押しても、永久電機は一切反応せず。

なんと会見前に金具にトラブルが発生してしまい、どうやら外れた金具を接着剤で補強して公開記者会見に臨んでいたのだ!!

結局「アメリカの巨大資本が妨害した」という陰謀論的な理由でこのビジネスは幻に。

●猪木さんと北朝鮮との関係


猪木さんの北朝鮮への訪問は1994年から続き、実に30数回を超えていたと言われています。


猪木さんはなぜ北朝鮮にこだわり続けたか。

実は猪木さんの師匠である力道山は北朝鮮出身で、金正日総書記の義弟で、金正日時代のナンバー2だった張成沢氏(チャン・ソンテク)と関係があったそうです。
ちなみに2012年処刑されています。

そして、張成沢氏(チャン・ソンテク)の側近で北朝鮮の体育相(にほんでいうスポーツ庁)の朴明哲(パク・ミョンチョル)氏は力道山の娘婿。

その為、力道山の家族が北朝鮮で有力なポストにいるため、弟子の猪木は北朝鮮ととても密な関係を保っていたといわれてます。

●死ぬまでエンタメ精神


猪木さんは「100万人に数人」の特定疾患とされる心アミロイドーシスに罹患し死亡しました。

死ぬ間際にYouTubeでガリガリ君を食べているところ動画に撮りたいと語り、それが最後の姿として公開されました。

その時猪木さんは「がりがりの俺がガリガリくんを食べているところみんなに観てほしかった」と言ってました。

最後まで人を楽しませることを考えていた猪木さん。

「俺は人が喜んでくれるのが、生きがいというか喜び」そう生前語っていた猪木さんならではの「最期のエンタメ」だったのではないでしょうか。


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