「LGBTQIA+」という言葉に対する違和感と、それにかわる新たな名称・それから拡張するものを考えてみた。

画像1

あの番組の裏で…

時は2019年8月25日深夜。NHK「バリバラ」にてジェンダー・セクシュアリティの悩みとその他の不自由が重複している悩みを取り上げている番組を見て、私はツイートから参加した。

その番組から感じたのは、色んな特性があっても恋愛は多種多様で恋愛や性愛の形も多種多様である、という啓発の内容だった。

最初に貼付した図はLGBTQIA+から拡張される「ジェンダーの多様性」の図であるが、やはりこの中に書ききれなかった自認や指向だってあるかもしれない。ラベリングするのも難しくなってきたので単に「Gender Identity Diversity」略して「GID」と言ってしまったほうが分かりやすく感じる。

今度は「アセクシャル」と「Xジェンダー」の啓発

今度は2019年10月17日、8月の「あの裏番組」の番外編としてアセクシャルXジェンダーが取り上げられていた。アセクシャルについてはやはり30分の中の一節ですべてのケースを取り上げることはやはりできなかったが、番組では性的魅力を感じないというケースを取り上げていた。Xジェンダーについては番組中では「心の性別が揺らいでいる」という私とは別の「ノンバイナリー」の形が取り上げられており図には書ききれなかった「Flued」という名前があることを知った。FはLGBTQIAの略語に入っていないが、Q(クィアー)に含まれることがあるという。私の場合は「性別学的な性は男性であるが、精神的性が男女どちらかと問われたら戸惑ってしまうほど曖昧で、性に関しては過激なものしか理解しづらいほどの鈍感なタイプである」「ジェンダーロールに縛られることにだけ精神的重圧を感じる」という具合であり障害というものだとは思わない。それに付随する「トランスヴェスタイト」だと思われる理由もそれである。もしかしたら「生きづらさを自分他人問わずもたらすものなのかも」という認識は確かに僅かながらあるが、そういう負の考えよりもその特性をアートや音楽、芸術や舞台などで正に活かせることが出来ることが多いのでやはり「障害」と言わせられるのはとんでもないと感じる。かつてはそれについて「クエスチョニング」という名前しか知らなかったが、「Xジェンダー」「ノンバイナリー」という名前があることはこの番組により初めて知ってその語義の広さもありやっとしっくり来た。

追記2020/01/25
愛の不自由 その後に感じた事の記事を書きました。


どうしてLGBTQIA+よりGIDなのか

ここまできてしまうと、いちいちラベリングしてしまうのも無理がありすぎるのがよくわかるように(バリバラでも、あかたちかこ先生が同様の事を述べられていました。)、イギリス発、カナダ発の性多様性とそれに関わる人権と課題に関するニュースでは、略語をまとめたらアルファベットが10文字以上(!!)で、たとえば
LGBTTQQIAAP
LGGBDTTTIQQAAPP
LGGBDTT2IQQAAPPF

などという長大略語になってしまうものまで見られた。
たとえば、フォックスニュースでは…


…え?本当に略語なの?というくらいの本当に疑わしいくらい欧文が羅列された言葉に見えてしまった。私が欧文読みに苦労する特徴であるのは承知であるがあれでは略語の意味を成さないくらい読みづらく、啓発に渋ってしまうことは間違いないだろう。ここから、個性やアイデンティティとして捉えて十人十色無限大の可能性があるという事を踏まえてひとつひとつラベリングすることなしに
Gender Identity Diversity
を略した
GID
と言ってしまった方がわかりやすいのではないか、と考えている。

今度は「自認・指向」から「嗜好」「性癖」にも拡張する

時は戻って、あの裏番組で取り上げた内容についてに戻る。統合失調症の当事者が「幻覚」に恋愛をするケースが取り上げられた。統合失調症の二次症状として起こりうる「パラフィリア」であり、その中に「幻覚性愛」があるということを理解した。統合失調症当事者が抱えている生きづらさはどこから来るのだろうか、という問題とともに取り上げられていて、これは少なくとも否定されることによりストレスが増幅されてしまうようで、理解をすることは難しくても真っ向から否定しないということが大事であるということがわかった。

タブーとされる話ではあるがタブーを破る事により解决のいとぐちを見いだせる事が多いのでその話題をあげる。「嗜好」というものは単なる趣味などにもあるこだわりであって、統合失調症当事でなくとも世界中の人々の嗜好は「恐怖症」のように対象がさまざまであるしまだ未知の領域があることは間違いない。それが「性に関わるもの」である単純なものであり、単なるフェチもその仲間に入れたい。しかし、さまざまであるがゆえに種によっては他害行為や犯罪に走ったり他害行為に走らないようにと抑圧しているうちにストレスを溜め込んでしまう加害妄想が起きるという場合もあり、これによる障害・被障害ひっくるめてこれでICD-10 F65の「パラフィリア症候群/性倒錯症候群」というそうでしかもこの中にさらに小分けされたカテゴリがあり療法があるそうだが、いまだ何をもって「パラフィリア」が病気なのか障害なのか長く議論されている事象になっているようで、本当に難しい問題になっているように感じる。だからこそ性犯罪抑止や医療観察法の諸問題を解決する課題に挙げられてもおかしくない事でもある。
しかも、パラフィリアやフェチの定義が世間一般と精神科医療界隈では狭義な用法と広義な用法とでは大きく異なるようであるため色んな事典をひいても混乱させてしまう。
どちらにせよ、やはり全ての「特殊」または「変態」と認知される嗜好やフェチである当事者が犯罪をおかす、絶対悪であると断言し存在を真っ向から否定するのは個性を否定するという物騒な事になりかねないので、一部性癖というものに触れるが「嗜好」の多様性も考えておく必要がある。

「自認・指向」と「嗜好」をひっくるめた略語を考えてみる

ここまで拡張してしまうと、ジェンダーアイデンティティからロマンスや性の事象そのものにまで広がるのでGIDに「性のあり方」を示すようにSexual(ity)をさらに加えて
Gender Sexual(ity) Identity Diversity
として
GSID
と言うのがしっくり来ると思う。ジーエスアイディーともグシッドとも読めるので啓発言葉の語感としてはかなり馴染みやすさを期待できると思う。Iを抜いてGSDでも良いかもしれない。

もうひとつの難しい問題、「性恐怖症」「性嫌悪」について

GSIDの中には、恐怖や嫌悪が絡むものがあり、それが性恐怖症・性嫌悪である。

私自身限局性恐怖症であるのだが、限局性恐怖症は、例えば高所恐怖症であれば高所でヒステリックになる程身の毛がよだつなどの神経的不安や嫌悪感を覚えるという症状が出る。私は動物恐怖症であり、今でも万が一動物園へ行けと言われて強制的に行かせられた時は、もしかしたらパニックになるかもしれない。幼少時代にそれがわかるまえには犬や愛玩者に対する他害行為に走りかける症状があったので病識がなかった頃が怖い心の難であると自覚した。もしかしたら、罪を犯していたかもしれないというのに気づいた。現在は、距離をできるだけおく事により解決している。

限局性恐怖症で恐怖の対象が性的なものである場合に性恐怖症であり、嫌悪感を伴う場合に性嫌悪という。
当事者が日常生活でこれが原因により自分に支障をきたしてしまうタイプもあるのだが、少しでも性的なものに敏感になって他者攻撃に走ったり、排除をする事によりますます周りとの摩擦を引き起こしたりするケースもあった。HSPの一つの形態であるようにも見える。
性恐怖症・性嫌悪そのもの全体が悪いわけではないのに、攻撃的な排除をするタイプという負の側面が見られてしまうことが原因で、前述した「アセクシャル」や「フェミニズム/マスキュリズム」の当事者が必ずしも性恐怖症・性嫌悪と重なるものではないのにこれと混同され厄介な目で見られたり、誤解されたりしているというTwitterなどでの悩みの呟きも見られたりする。
ここまでくると本当に悩ましい問題だが、性恐怖症や性嫌悪を性多様性に含めさせるかどうかは、「性の多様な話題だが、どうしても性の話題に抵抗がある、身の毛がよだつ」というこれらの当事者の思いも尊重したい考えがあり、性の話題に触れるのが嫌ならば放っておくべきなのかどうか、と悩みどころでもある。

最後に、色んな「性の多様」を図にしてみる。

GSDGSIDと言ってもよいし、やはり色んな言葉が思いつきそうだ。
そして、心の難や障害・問題ともつながっている(図の「精神的でもあるもの」)ことを感じて色んな事象を書いてみた。そして思想・嗜好、嫌悪と排外を伴う場合などを別図に詳細化してみた。なお、「性染色体の特異なもの」と「インターセクシャル」は、ICD10のQ65が含まれている。
あくまでもこれは私が見えた図であり、眺めてみると犯罪加害行為をしやすかったり(嗜好多様性の中の「性的倒錯」にアスタリスクで示したようなその群があるなど)、逆に犯罪被害を受けやすい特性があるのもわかります。

画像4

画像3

画像3


追記 2020/08/30
現在、SOGI(ソジ/性的指向と自認)という言葉が確立されるようになりましたが、さらに性的表現と性的特徴の多様を包括してSOGIESC(ソジエスク)という言葉もできました。
ただし、今度はLGBTQ+と一緒に性嗜好の多様性も考えていく必要もあり(記事はLGBTと性嗜好をくくって考えたもので、実際には分けて考えるべき問題も有る)、その中に「性嗜好障害」があり中には小児性愛やサドマゾヒズムの一部の形態など犯罪被害や加害につながる場合もあるが、ひとくくりに「性嗜好の少数者」を犯罪者だと言うのは人格否定にもつながるものであるということなどまだ問題は沢山あるものだと改めて感じました。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?