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77日目

※投稿するの忘れてたやつ今更ですが発掘しました


今日(11月13日)が留学77日目。

怒涛の9月を終え、保育園実習の10月を終え、11月。
今までに比べると、身の回りのことに慣れてきて、一日の過ごし方とか勉強への力の入れ具合が日本にいたときと同じようになってきた。

そして最近、「留学に行った人は、毎日友達と遊んでたくさん英語喋って英語上達させる人と日本人同士で固まって家に閉じこもって帰国してから後悔する人の2パターンだ」みたいな言葉を聞いた。
10月後半から11月にかけての2週間くらい、風邪をひいて誰にも会わず、誰とも話せず家に閉じこもっていたことでこの言葉が頭から離れなくなってしまった。
今はもう元気になって学校にも普通に行けるようになったけど、いまいち外に遊びに行く気にならなかったり、誰かとワイワイする気分じゃない日が多い。というか毎日そう。
わたしは日本にいるときから、中高通して土日に友達と遊ぶことは2か月に1回くらいで、ほとんど学校の行き帰りとか、放課後とかで友達との時間を楽しむタイプだったし、大学にきてみんなと同じアパートに住んでいるにも関わらず、大して遊んだ記憶はない。けどわたしは部屋で好きなドラマや映画を見たり、編み物をしたり、刺繡をしたり、お菓子をつくったりパンを焼いたり、わたしの家が独特なのかもしれないけど、それぞれの部屋を持っているのに寝る時しか部屋には行かず、常にリビングに全員集合している家族なので、永遠と家族と喋って楽しんでいた。こういう楽しみ方、暮らし方が好きなんだと思う。
だから、海外に来てもこの楽しみ方は変わらなかったし、友達と遊んだりワイワイしたりするよりも、ひとりで黙々と好きなことをするのが好きなんだと思う。
もちろんみんなで過ごす時間も楽しくて好きだよ。

だけどね、世間では留学に行ったらこうするべき!とか、これはNG!みたいな情報が多すぎて、最近友達と会ってないし、英語を話す機会も減ったから、「わたし帰国したら後悔するのかな」とか思ったりもしたの。
でもね、わたし、前のnoteにも書いたけど、保育園実習で忘れられない経験をしたの。英語は全然伸びていないけど!
もともとそこまでやる気がなかった実習だったけど、いつの間にか熱中して一生懸命になれてた。今ではこの実習の経験は人生の財産ともいえる。

だからね、留学の目的って、人それぞれ違っていていいと思うし、もちろん海外にいるし、何事を学ぶにも言語ってすごく大事なものだから、言語習得に重きが置かれがちなことはわかるけど、それが全てではないし、それだけが留学の目的、ゴールじゃないの。

それに、留学を通して何を得たか、も人によって違っていて良いと思う。
わたしはもう今回の留学の半分は過ぎちゃっているし、残りの授業もそれぞれ5回とかしか残っていなくて、着々と終わりに向かっているから、ここから帰国までに劇的に言語が上達するなんてことは起こり得ないし、それは自分でもちゃんとわかっている(諦めじゃないよ、最後までしっかり英語はできないなりに頑張るよ)。
でも、だからといって、帰国してから「思っていたより英語伸びなかったな」と後悔するかと言われたらそれはどうだろうと思う。
それは、わたしが保育園実習はもちろん、ほかの部分でも一生懸命になれた、熱中できたものがあって、そこでわたしなりに成果を出して、良い経験を手に入れたから、そう思えるのだと思う。


情報が溢れて自分自身のことがわかりにくくなっている分、誰かがつくった世界の軸に乗っかることもすごく簡単になっている世界にわたしたちは住んでいる。
SNSで多くのイイネが付いている意見に乗っかってそれを自分の意見として持つことは、自分がどういう人間かを考えて意見を持つよりずっと簡単なことだと思う。
だけど、結局わたしは、自分が自分じゃない状態のときに何かに出会ったとしても、感動できないと思う。
実際、自分の気持ちを押し殺してカウナスに遊びに行ったけど、全く感動できなかったし、終始ふてぶてしい顔してたと思う。これってカウナスは全く悪くなくて、自分を抑えたわたしと、そうさせた周りの環境が悪かった。

自分が自分であることがまず最初にあって、そのうえで自分が好きなこと、得意なこと、興味があることを一生懸命やれているからこそ、出会えるものが特別に見えて、感動できるんだと思う。
自分が自分でいれたわたしは、もちろんヴィリニュスのことも大好きになれたし、日本のことも好きになれたし、大好きな人もたくさんいるし、親切な現地の方にも出会えたし、かわいい!って思えるものやわたしの性癖にグサッとくるものにたくさん出会えた。


「自分が自分でいる」とか「自分が好きな自分でいる」とかいうと、すごく前衛的で今どきな言葉に聞こえてしまう。
「自分が自分でいること」が解決方法だとわかっていても、「だから、自分って何なの?」となる気持ちはめちゃくちゃわかる。
でもね、すごくシンプルな答えを見つけたの。

それはね、「嘘をつかない」ということ。

できなかったら「できない」って言う。
苦手なら「苦手」って言う。
怖かったら「怖い」って言う。
無理なら「無理」って言う。

楽しかったら「楽しかった」って言う。
好きなら「好き」って言う。
できそうなら「やってみる」って言う。
幸せなら「幸せ」って言う。

嘘をつかないで、正直に素直に言葉にできたら、きっとわかってもらえる。
自分の思いを素直に伝えられたら、相手のことも素直に受け入れられる。
相手に気を遣って嘘をつくから、相手にも同じようなことを求めてしまって、結局傷ついてしまう。だから、嫌なら嫌って言う、好きなら好きって言う。
それが、自分が自分でいられるようになる方法のひとつ。
わたしの場合、正直に気持ちを伝えたときに、日本ではなかなか受け入れてもらえなかったけど、リトアニアでは誰も否定せずに温かく受け入れて親切に接してくれたから、わたしもここでは常に自分自身に誠実でいられた。(リトアニアだから受け入れてもらえた、というわけではなく、たまたま出会った人たちがそうだったということ。)
もし受け入れられなかったときは、その人からはすぐに離れて、別の人のところにいってみてね。自分を自分でいさせてくれない人のそばにずっといても、ただ辛いだけだから。
受け入れてくれない人はもちろん存在するけど、受け入れてくれる人だって同じようにわたしたちの周りにいる。

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