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雨上がりのあした~交差点篇~

新しいことをおぼえた
そのひとは じっとこちらを見て 「あじさいさん」とよんでくる ということだ
このごろ 花がちっていくのを見かねて そのひとはむずかしそうな顔で 「どのひりょうがいいんだろう」などとパソコンに向かってぶつぶつつぶやいている
もうしわけないのとどうじに 少しうれしくもあるのは ここだけの話


でも その日は とても悲しそうだった


「もしもし!」
「電話、出るの早いな~。待ち構えていたんでしょ。」

はつらつとした おんなの声が 聞こえてくる
 
「だって、びっくりしたから。」
「まぁそうだよね。」
「会社、辞めるって本当ですか?」
「うん。本当。」

そのひとは 息をふ~っとはきだし かたをガックリと落とした

「理由、聞いてもいいですか?」
「実は1年位前から考えてたんだ。」
「1年も前から・・・・・・。」
「そう。ぼんやりと、私と会社が大切にしていることは違うのかなって。」
「大切にしていることって?」
「仕事ってさ、二種類のモチベーションがあると思うんだよね。一つが自分の能力を伸ばしたい、発揮したいっていう自己実現。もう一つが、誰と一緒に働きたいか、つまりリーダー力や組織。」

ただ だまって うなずいている

「私は後者が大切だった。会社を変えたい、こうしたいって思いが人一倍強かったのね。けど、ふと思ったの。もしかしたら、変わらないことがこの会社の魅力なんじゃないかって。」
「変わらないこと?」
「時代がどれだけ効率化、マーケティング重視になっても変わらないもの。例えば、対面の非効率、マーケティングではなく直観。そういう人間くささが魅力で、らしさなんだって。だとしたら、私が会社に求めていること自体、違うんじゃないかと思うようになったの。変わるべきは会社じゃなくて、私の考え方なのかもしれないって。っで、80日間が始まった。」
「どういうことですか?」
「いい機会だと思ってこれからを真剣に考えてみたの。子供を何歳で産みたいのか、どういうライフワークバランスでありたいのか。」
「ライフワークバランスって、よく聞く言葉ですね。」
「でしょ? 人生設計ね。それで分かったの。私は時間が惜しいって。」
「沢山の時間が、先輩の背中を一押ししたんだ。」
「そういうこと。色んなものが制限されて、自由であることが永遠じゃないってことが、この80日間で分かった。だったら後悔がないように、生きなきゃ。」
「でも、寂しいです。いなくなるなんて。」
「そうだよね。辞める私が言うのもなんだけど、私もすごく寂しい。
なんというか、あなたは全てを言わなくても、分かってくれているような感じがしていたから。」
「私もです。」
「お互い口には出さなかったけど、一緒の気持ちだったんだね。」

そのひとは お茶をゴクリと 飲んだ
いっしょにいるから 分かる
大切なこと言う前に かならず お茶を飲むくせを

「私、先輩が前に言ってくださった言葉に励ましていただいたんです。」
「なんて言ったっけ?」
「あなたの言葉は聞きたい、聞かなきゃって思う。って。」
「今もそう思ってるよ。」
「認めてもらえた気がしました。一生懸命仕事をしていれば、誰かが見てくれている。頑張ることに意味があるんだって。だからいつか恩返しがしたいな~って思っていたんですけど・・・・・・。何もできないままになっちゃった。」

スマホの向こうのおんなが 言っていることは 分かる気がした
毎日話しかけてくれる このひとのことばには 思いがこもっている
そして 一言 一言が 根っこのすみからすみまで 行きわたるのだ

「あなたの武器は、ことばの力よ。」

おんなは つづける

「嘘がない。今だって、素直に感謝の気持ちを伝えてくれたでしょ。それって、できるようでできないのよ。
真っすぐに自分の気持ちを伝えることをこれからも、忘れないでほしい。」


その後も ふたりはたわいもない話を していた
さい近見た えい画のこと ちょっとした仕事のぐち・・・・・・
けれど そのたわいもない話が ふたりにとっては たいせつな時間であるように思えた
きっとたわいであるか そうでないかは ふたりにしか分からない
そういうものが まどの外の世界には ありふれているのかもしれない

「まぁ、でもさ。別に一生のお別れじゃないんだから。」
「そうですね。今度、新しい会社に遊びに行ってもいいですか?」
「もちろん! いつだって待ってるよ。あなたはあなたの道を。私は私の道を。今は進む道は違っていても、思いあっていれば、必ずどこかでまた交わることができるはずだから。一緒に頑張ろうね。」
「元気でね。」
「先輩も。お元気で。」

西日が 部屋にさしこむ
石やきいもを売る声が きこえてきた
日がしずむ
でも しずんだ太陽は またのぼる

ひらり


花びらが ちった


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