【#18】東大・京大で一番読まれた「思考の整理学」を読んでみた
なぜこの本を読んだか
大学の生協で何度となく目にしたことがある。早稲田大学の生協に「東大・京大で一番読まれた本」というポップ。そのおかしさから、見覚えはあった。しかし、実際に手に取ったことはなかった。
今回は、たまたま国語の評論文を読んでいた。その時の出典がこの『思考の整理学』だったのだ。よく目にするし、実際に相当売れているらしい。
これは中学生に国語を教える立場として一度読んでおこう。そう思い読み始めた。
見つめるナベは煮えない
外国に「見つめるナベは煮えない」ということわざがあるらしい。「まだか、まだか」と鍋のふたをとって、中を覗いてばかりいると、かえって煮えるのに時間がかかってしまうということだ。
このことは考えるときにも同じことが言える。同じことを一生懸命に考えるのは一見とても良いことでもあるようだが、実はそうではないらしい。
一つのことを考えすぎるとかえって詰まってしまうことがあるのだ。だから、解決に時間のかかりそうな問題は一旦置いておいて、他のことを考えるのも有効だよということだ。
文章がなかなか書けない人へ
これは僕の実体験もあって、かなり共感できる部分だった。
文が書けない人はとにかく書き始めてしまえ
大学四年生の時、演習クラスの中ではかなり卒論を書きあげるスピードが速かった。卒論に限らず、面倒なことは先に片付けたい人なので、レポート課題などもかなり早い段階から取り組んでいた。(参考文献の争奪戦に勝ちたいという動機もあったが)
とにかく書き始めてしまえば、案外文章は進むものだ。これは一度やればわかる。とにかくまず初めの一文を書き始めてしまう。
そうすると、新たな考えが浮かんでくる。それを取り入れてまた書き進める。気づくとあれだけ嫌だったレポートも、画面の左下を見ると1000字くらい進んでいたりするのだ。
『平家物語』がなぜ美しいのか
『平家物語』は義務教育で必ず習うので、ほとんどの人が聞いたことくらいあるだろう。
「祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響あり」からはじまる小気味の良いテンポで読める古典文学だ。
『平家物語』は琵琶法師によって「音」で語り継がれたものが人々に広まったものだ。だから声に出した時にとてもスムーズに読むことができる。
言葉というのは始めは文字よりも音声から始まている。日本でも、コミュニケーションの手段として言葉はあったが文字は後になって大陸から入ってきた。
書くということ。
話すということ。
どちらの大事なアウトプットの手段だが、やはり話した方が効率は良いと思う。このようにブログを書いてもアウトプットにはなるが、結局限界があることも薄々感じている。
誤字があってもリライトできるし、考えながら書くこともできる。
しかし、話すとなるとその場の集中力は段違いに変わる。声に出すと脳内の色々なところに刺激が入る感じがする。
昭和版『アウトプット大全』
『思考の整理学』を読んで、一言で内容を表すなら、「昭和版アウトプット大全」だ。『思考の整理学』が書かれたのは1986年。思考の整理=アウトプットにはノートをこのように使ったらいいというようなことが書かれている。
その手段がアナログな部分は多少あるが、言っていることは樺沢紫苑著『アウトプット大全』と何ら変わりはない。
どうりでこんな昔の本が今も読み続けられるわけだ。「東大・京大で一番読まれた本」も納得だ。
自分の行動にどう反映させるか
この本の中にこんなことが書かれていた。
馬上は馬の上、枕上は枕、すなわち布団の上のことだ。として厠とは「かわや」と読む、トイレのことだ。僕はこれにプラスして風呂の中も考えるのに適した場所だと思うが、昔の中国でも今でも人々が良いアイデアが浮かぶ場所というのはそれほど変わらないのだ。
僕は枕の上では考え事をしているうちに夢の中に入ってしまうので難しいと考えた。そしてトイレもあまり意識することはないと思う。
残る「馬上」
今で言うと、通勤時間だろうか?確かに電車の中の一定のリズムで揺れる空間は考え事に適している気がする。さらに、歩く時間も昔の馬上に当てはまるのでないだろうか。
そう考えて、僕はあえて歩く時間を一日に取り入れるために、昨日最寄り駅の駐輪場を解約した。毎朝最寄りの駅まで歩く生活にしようと思ってのことだ。
やることがたくさんある毎日の中で、朝晩の徒歩の時間は思考の整理に使おうと思う。
この本をオススメする人
この本を読んでもらいたい人。
それはやはり大学生が良いのではないかと思う。
大学の教授が書いた本なので学生に向けて書いた本だと思う。読んでいるとそう感じる。
せっかく時間のある日々なので、やることのない大学生是非読んでみてほしい。
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