仁恥雅清風

神と仏に仕えたい怠慢者。 面識ある人のほとんどには読まれたくないことを書く…

仁恥雅清風

神と仏に仕えたい怠慢者。 面識ある人のほとんどには読まれたくないことを書く場所。幻滅のいざない。

マガジン

  • アニメ・漫画抄

    アニメや漫画の感想や考察を置いとく場所です。創作された世界は実は私達の現実世界に起こるかもしれなかった可能性の一つという認識で書いてるので、読みにくい可能性があります。許して… 日本芸術一般の優れた特徴は、客観的観点から見て、無限の表現と言える、とする。造形芸術における空間からの解脱、詩と音楽における時間からの解脱。 九鬼周造 全ての創作者と、それを愛する人々、そして愛すべきその世界の住人に捧げる。

  • 幼女に捧げる文章

    幼女に関する所感と、それを幼女という幻想と現実の揺蕩う世界に捧げる祈りも込めた文章。 私の激情が、幼女達の恵みと私達の営みに平穏と小さな幸せをもたらすことを願ってやまない。

  • 世界と僕のこと

    社会と戯れて愛せ

  • 私はこういう者である。

    言い尽くせないことを言い尽くせ

最近の記事

少女終末旅行 彼女達は生きて幸せに往生するに違いない

一度立った湯気はもう一生戻らない、でも世界は愛で溢れてたんだ、終わるのは愛が無いからじゃないんだ。だから柔らかくてしなやかで世界は美しいのかなと思えた作品でした。 この世界は循環が約束されている さて、この作品は終末を迎えている世界で、チトとユーリの会話と、二人の生存への日常が物語を進め、そんな中で生きるとは何か。世界とはどうあるか。が全体の問いとして存在していると言えよう。 チトとユーリの掛け合いは私達の脳内の対話にも思えた。チトは理性や知能の面を、ユーリは欲求や本能

    • 血という縁に花束を

      最近思う、血の価値について。私達は血のつながりと言うと、少し古臭い感じがする。でも血に古いも新しいもないだろう。僕達の体は血でできる。血は今ここに生まれ死に生まれ死んで生まれている。血が通うから生きてる。血は生きてる証拠であり、死を思い起こすきっかけでもある。血は生死の境界を司る。 僕達日本人が、ある田舎の風景を見て、懐かしく感じる。延々と弘がる田園、小川のせせらぎ、山に日が暮れる様、古びた神社と三毛猫、畳の香りと風鈴の音、道端に御わす仏様。これを何故懐かしく思うのか。

      • AIとは占いの復古である(仮)

        はじめに何を宣うか、と仰る貴方は正しいだろう。私事態はここ半年で、三週間おきにふと思い起こす、 「このAIてやつ、なんか占いぽくね?」 ていう問いをついに文章に認めたのであるが、風呂でなんとなく思い起こすような法螺を書いてることはここに断っておこうそもそも今から書いてって近似点なんざ微塵もないじゃんてことに行き着く可能性がある。楽しみだ。まった、どちらかと言うとAIで文章を書いたりする、いや、AIの応答に応じて何か行動や考え方、思いを変化することか。とまぁそんな感じで始ま

        • 第一次幼女に捧げる文章

          分からない、でも幼女は真実かもしれない。永遠の甘美、儚さの極意、そう、夢の通い路なんだと思う。源氏が若柴を見つけた瞬間を想像してみて欲しい。私達はその精神を受け継ぐ民族である。嗚呼、少なくとも言えるのは、そこに絶対的な抱擁と絶対的な喪失があるってこと。絶対矛盾的自己同一がそこにある、ような気がする。 さて、ロラン・バルトはエロについて、出現―消滅の演出と決定付けたが彼は素晴らしいと思う。言わずもがな幼女というのは空間的、肉体的なものでもない、それは付随される装飾である。諸君

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        • アニメ・漫画抄
          1本
        • 幼女に捧げる文章
          1本
        • 世界と僕のこと
          2本
        • 私はこういう者である。
          1本

        記事

          求道者宣言

          私はここに宣言する。神仏と人々に仕え、日本という国に語られ、奏でられたものに敬愛を込めて、私は私の言葉でもって応え、永久に伝え遺すことを。 私はここに国を愛したことを記した。 私は出来る限り、本当は一切を愛し、支持し…つまりは全てのものに好意を示したい。その誠をここに表明する。妙を観たい。貴方のことを本当は好きになりたい。しかしその想いすらも私の単なる自己逃亡に過ぎないのだろう。故に絶対的にその想いは泡沫に帰する。私は醜い、怒りと恐れを捨てられない薄情者であることを認める