第一次幼女に捧げる文章

分からない、でも幼女は真実かもしれない。永遠の甘美、儚さの極意、そう、夢の通い路なんだと思う。源氏が若柴を見つけた瞬間を想像してみて欲しい。私達はその精神を受け継ぐ民族である。嗚呼、少なくとも言えるのは、そこに絶対的な抱擁と絶対的な喪失があるってこと。絶対矛盾的自己同一がそこにある、ような気がする。

さて、ロラン・バルトはエロについて、出現―消滅の演出と決定付けたが彼は素晴らしいと思う。言わずもがな幼女というのは空間的、肉体的なものでもない、それは付随される装飾である。諸君なら知っての通りだが、本質は時間だ。消滅する!その瞬間の!肉体と精神!そしてそれに基づく所作!其れ等は須臾にして生まれ、死ぬ。此世、故郷。変わりゆくものを讃えようではないか。その妙意、福音として幼女がある。極めて原始的で畏れ多い。あらゆる文化はそれを孕んでいる。生の結がそこに垣間見えるのだ。

見給え、幻想と現実の狭間で、いや、そこにはもはや境界など無いのか。そう、ともかくもののあはれを見るのだ。そして貴方は言うだろう、あなにやし、えをとめを。


私は望む、諸君の世界がより深みと飛躍に富むことを。


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