AIとは占いの復古である(仮)

はじめに

何を宣うか、と仰る貴方は正しいだろう。私事態はここ半年で、三週間おきにふと思い起こす、

「このAIてやつ、なんか占いぽくね?」

ていう問いをついに文章に認めたのであるが、風呂でなんとなく思い起こすような法螺を書いてることはここに断っておこうそもそも今から書いてって近似点なんざ微塵もないじゃんてことに行き着く可能性がある。楽しみだ。まった、どちらかと言うとAIで文章を書いたりする、いや、AIの応答に応じて何か行動や考え方、思いを変化することか。とまぁそんな感じで始まるよ。

易経

さて、まず占いとは言っても私が想定したのは易経である、というかちゃんと知ってる占いは易経とかしかよくわからない。とりあえず易経について説明します。でもこれいらないかもしれない。なので忙しい人はここ飛ばして次の見出しに行っても良いかも。

さて易経ですが、占い結果は六十四通りで、無限大です。意味が分かりませんね。取り敢えずこの占いの一番小さな部分から観ていきましょう。「⚊」これが陽です。そして「⚋」が陰です。唐突ですが許して下さい。んでこの棒のことを爻と呼びます。爻を3つ組み合わせたものが八卦というものです。八卦には一つ一つに名前があります。下に示します。

☰(乾)、☱(兌) …… ☶(艮)☷(坤)

面白いのは乾と坤は、天と地という意味で、逆を示しています。まさに“陰陽”ですね。
そして八つの部品を二つ重ねたものが、完成品です。んでこの二つを重ねたものは全部で六十四通りあるので、答えは六十四通りあるという訳です。
下に例を示します。
 ☰   ☷   ☵ …… ☲
 ☰   ☷   ☳ …… ☵
(乾) (坤) (屯)……(未済)
一   ニ   三    六十四

とまぁこんな感じで、法則的なものです。西欧の占星術もそうですが、よくよく考えてみたら自然の規則を読んで答えを出すという意味では法則性みたいなものはあるわけですね。余談ですがこの⚊、⚋で進んでいくということでライプニッツ博士はこれ二進数やんてことで驚いたとのこと。実際中国でもこれで数学やる学問、象数易というのが生まれたらしい。つまり数学的、科学的側面が占いにはあるということです。更に全体に通じる考え方として、爻の上を上爻、一番下を初爻と呼んで、各爻の状況がについてすら解釈が決まっています。因みにこの解釈にも流派があったりしますが、神の想いを綴ったものであることに変わりはありません。上の方が天で下が地とか、あとは社会的な地位も反映して考えており、その動きは循環し続ける宇宙を示しています。(詳しくはググってくれ…)なんというかたかだが二種類の棒の組み合わせで解釈を膨らませ過ぎな気がしますが、私達が如何に普段から二分して物事の理を観ているか思い知らされるでしょう。八卦には方位や天気、家族、方位が意味づけされており、そこから世界観を創っており、日本含めて東洋の世界観の論法として重要な存在になってます。んで話を戻して簡単は占い方(占筮法)ですが、正式なもの(これも江戸期の簡略版ですが)は竹を使って云々するのですが、簡単な擲銭法のほうを見てみましょう。

①何を占いたいか決める

②六枚のコインを一斉に両手の中で混ぜる。表は陽、裏は陰。

③一枚ずつ抜き出して下から上に並べる


とまぁこんな感じです。これに変卦を出したりとかありますが、置いておきます。

占いとは

①占いたいこと(行動方針を決めたいこと、分からないので知りたいこと等)を決める。
②作法(決めた原則)に則り、何らかの答えを出す。
③出された答えについての解釈を、予め定められた原則を加味しつつ所感を定めたり、今後の行動を定める。

という手順で行われます。そしてその特徴は

・創られた偶然に沿って考えを定める。(これは簡単に言えばじゃんけんで順番を決めたり、くじ引きでリーダーを決めるのも同じである)

・科学的かつ論理的な作法の範囲外である。

・自己判断については、あくまで一部を委ねている。

・偶数の裏に神のまにまにがある。

まぁこんな感じかしら、うん。

AIとは

AIとは「人工知能」とも呼ばれ、コンピュータが人間のように知的な行動を行うことを指します。これには言語の理解や推論、問題解決などが含まれます。AIは、計算機科学の一分野であり、人間の知能をコンピュータ上で実現する技術です。AIの研究は、自然言語処理、画像認識、データ分析など多岐にわたります。また、AIは日常生活においても使われており、スマートフォンのアシスタントや自動運転車などが例です。AIの進歩は、社会に大きな影響を与えていますが、同時に倫理的な問題も提起されてす

ソース: Copilot との会話、 2024/6/23

自分のことなので自分で喋って貰いました。良い子良い子。まぁ簡単に言えばAIの活用とは自分の脳(能力)でやってたことをコンピュータという計算機に任せるということですね。コンピュータの扱い方は、数の計算という誰がやっても同じ答えになるものから、検索という情報探索(読書)へ、そしてAIでは問いかけに至りました。この(読書)の段階で、そこに集まったテキストは私達人間の誰もが、ネットに提供できるわけですが、AIは此等私達のテキストを知り整理して最適なものを問いかけに応じて答えられるように日々頑張っています。文字だけでなく、音楽も絵もやってらっしゃるようで、羨ましい限りです。

AIを活用するということは、全体の知というある種の自然化されたものから答えを得るということです。これは科学的、客観的であるという保証、権威が裏付けにあるので私達はこれを歓迎しているのです。勿論科学や客観性の本質について知らないわけではありません。ただ占いにおける神意だとかも同じように本質があると私は信じてやみません。(謎の意見表明)

どこが同じか、どこが違うか


さて、じゃあどこが同じなのか。なんとなく分かってきました?ようは判断の過程に自己の知能外のものを挟んで活用するという意味で同じということです。そしてそこにはそれを許容し得る権威があります。それはAIなら科学的、客観的であること等です。占いならそれが神意と結びついているものであること、古典として実績があること等です。逆に違いと言えば科学的であるか否か、神聖性があるか。です。占い、こと易経に関しては、得られた応えに対してどうするかの本人の自由度は高いです。占う主題の如何に問わず出される応えは六十四通りしかなく、その応えの内容も定められたものです。なので主題との擦り合せ過程で、自己の判断は研ぎ澄まされるでしょう。極めて自己の働きかけが必要とされます。またこの応えは論理性からではなく、完成なランダムで導かれます。であるが故に神の意なのです。神のまにまに。それであるが故に思ってもない回答を喰らい、自由度を大きく削がれる可能性はあります。
AIはランダム要素などありません。なので思った回答をしてくれるか、してくれない。また聞きたいことを分かってくれない等。しかしその為には唱える言葉を変えることで聞きたいことに沿った回答をくれるかもしれない。そういう意味では、応えに対して解釈する自由度の高い占いに対して、AIは問う主側としての自由度は高いと言える。

終わりに


占いの復活と書いたが、多分私達は普段から判断の助太刀を色んなものから得ているし、それこそくじ引きじゃんけんも論理的なものから排除されたものだ。いや、じゃんけんで決を取るのは公平性の担保だったりするので論理性があるのだが。そう考えると占いも公平性の担保があるのか?そこまで考えてるとつかれるので今は止めておく。まぁなんか、世界て全てが科学的なのかもしれないし、全てが神のまにまになのかもしれない。でも相反するものとされてる。俺は同じではないけど友達くらいだと思って仲良くしたいと思った。眠いぜ、終わり。

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