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無職の戯言 〜おまけ〜


2019年の7月、「自殺について」
言語化しようと、「無職の戯言
という題でざぁぁっと、
noteを書いた。





生と死については、小学生のときから
考えていたし、あの時、noteを書いた時
強く生きたいと思えるようになっていた
私自身が、


死にたかった時のこと

生きていたくなかったときのこと

そして強く生きたいと思えた時のこと

を「あの7月の時の私」の感情で

書き残しておきたい、

そう思ったからあの記事を書いた。



さて、そろそろ、これまで

#思いつき以上思考未満
というタグをつけて
様々に書いてきた
このタグを、まとめようと思う。


もともと、noteは大学院での
研究内容や大学院生活、
専門分野について小出しにまとめて
書いていこうとはじめたのだが、


研究内容以上に
言語化したいと思っていたことが
たくさんあり、
粗野な文章のまま、
書き連ねていた。



この無職の戯言や、
さえりさんの本を読んだシリーズも
そう。



文系大学院修士卒で、
これまで、学校に行かないなんて
インフルエンザ等でしか
経験しなかった、
無職(とは言っても
アルバイトはしているが)で、
宙ぶらりんの状態の私のままで
その私が書ける言葉のなかで


生と死について

・教育について(発達障害等も含め)

・元放送部として発声について

・そこからSNSでの英語学習チャンネルのおすすめの人について

おすすめ英単語帳

ウェーバーについて

などを書いてきた。



これらは、私の経験と、
持っている情報の中で、
研究分野であった第二言語習得に
直接的にはかかわらない周辺のことを
気の向くままに、思いついたままに
たいした推敲を経ずに書いていた
のだけれど、

そろそろこれらを元に少しずつ、

項目分け、専門分野とそれ以外
などにわけて
いき、

専門分野には、きちんとそれなりの
思考を経て学部生時代から現在に
至るまでの時間や労力を
かけた分を、
ざぁぁっと、書くのではなく

整理して、なるべく分かりやすく
言語化し、どこかのポイントに
落とし込んで書いていきたいと
思ったからだ。



もしかしたら、note以外のツールも
使用していくかも、しれないけれど。

その前にこの、「無職の戯言」について

もう少しだけ書き加えたいと思い

再び記すことにした。


先の、「無職の戯言」の投稿で
こう書いた。


①こういう時やこういう時間は楽しいと思うのだけれど、なんらかの苦しみがそれを凌駕するために生きてはいられない、無理だ、死のう
という思考過程と
②死にたいなぁ、
という積極的に死へ向かう思考過程
それから
⑴本当は死にたくなるほど、本当に苦しいのだけれど、生きたい理由を捨てきれずに生きていること

⑵積極的に(positiveなベクトルで)生きたいと思うこと
それぞれちょっとした、でも決定的な違いがあるんじゃないかと。
その中で、自殺という面で考えた場合、
死にたいなぁと思ってそこへ向かうことを
仮に“positive suicid”とでも名付けたとしたら、
そうではなくて、苦しみ苦しみ苦しみの果てに、生きているのがもう本当に耐えられない…この耐えられない苦しみをどうすれば解放できるのだ…ああ、そうだ
生きることをやめるしかないのだ、
と、苦しみの果てに死を選ぶことを
仮に“passive suicid”とでも名付けたとしたら、 その2つは、同じ「自殺」という行為だとしても、全く別のものであるはずだ。
「ああもう生きていたくない……」
とふらふら歩いて屋上にたどりついて
地上を見下ろす時と
死のう!と思って地上から空を見上げる時は、
言葉では説明できないのだけれど、
少し違うんじゃないかと思うし、
さらには、
見下ろしてそこで終わることと、
実際飛び降りてしまったりして
結果として死んでしまうことは
はっきりと違うと思っている。


と。



「自殺」ということばは、
「自分で(自分を)殺す」と書く。

「殺す」なのに、単語が
「自殺」になると
どこか地上から少し浮いたような、
私には重みのない言葉にかんじる。


自殺した、と身近なところで聞けば、
ものすごいショックを受ける方も
大勢いると思うし、
身近な人、大切な人が
自殺で亡くなってしまって
「どうして助けられなかったのだろう」とか
「どうして気づいてあげられなかった」と心を痛める方々、
そういう経験をした方にとっては
とてつもなく重くのしかかる言葉
なのかもしれないが、

または、例えば目の前で飛び込んだ人を
見てしまったとかであれば、
その映像が頭に焼き付いてしまうことも
あるかもしれないが、

ニュースで、どこの誰ともどんな人とも
知らなかった方が自殺したとなった場合


いやそうでなくても、
結局助けられなかったにしろ、
助けなかったにしろ、
傍観で終わってしまったにしろ

他人であればあるほど、
「自殺で亡くなった」
「自殺したらしい」
という言葉は、そのひとのなかで
時間とともに重みが消えていく。
嫌でも、消えていってしまう。

自殺を考える時には、やはり
自殺を考えたことが
ある人にしかわからない、
死にたいな、
または生きていたくないな
と思った時の心がキュッと苦しくなる
独特の痛みがある。

その痛みについて、
言語化しておこうとおもって、
このnoteを執筆することにした。


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例えば電車に飛び込んで自殺した時の、
見えた光景とか轢かれたその痛さ、

ビルの上から飛び降りた時の浮遊感や
地から足が離れた瞬間の空気や
飛んでいる時の風の感覚、
そのあと地上に身体が衝突した衝撃、
その痛みや死んだ後のこと、
刃物を身体に刺した時の痛み、

そういうものを私は
結局、自殺を実行しなかったため
わからない。

だけれども、

カッターのような刃物を腕に当てた時のなんとも言えない冷たさや、恐怖心、
緊張感、興奮、

地上からビルなどの屋上を
見上げた時の、張り詰めた気持ち、

逆に屋上から地上を見下ろして、
ここから飛び降りたら…などと
考えて鼓動が速くなるあの感覚、

ホームを歩いていて
電車が入ってくる瞬間の、あの
一瞬世界が止まったように見えるなかで飛び降りるのはこの瞬間なんだろうな
と感じるあの時、

そういうものは経験したことがある。

ああいう瞬間は、
それぞれに感覚は異なるのだけれども

あの感覚たちを経験したことの無い人と
話していると

刃物を腕に当てた時の
脈の浮きでたところ、

これで血が出てきたらどうなるかな
とその、赤い血が溢れでるのを
想像している時、

飛び降りようとした時にかんじる
風の匂い

そういうものを感じたことは
ないのだろうなぁ

と思う。

"active suicide"なのか
"passive suicide"なのか

死にたかったのか、
生きたくなかったのか

その、同じに見えるけど異なる
その死の選択の、差延を、

その違いを前提としなければ

なぜ死ななければならなかったのか
とか
彼女にいったいなにが、
なんてものは
生きているこちら側の人間のためだけで
空虚に感じる。

ここから先は以前の投稿でも
記載したが、

生きているというのも、

生きたいという強い意志で
生きているのか、
死んでしまいたいくらい苦しいけれど
それでも最後の手綱を、命綱になる
何かにすがって生きているのか
ちょっとした違いがある。

つまり"積極的生"なのか、
死を選ぶことを差延させているのか
は異なる。

そして、生きているという事実により
後者は見落とされがちだと思うのだ。


でも、この、後者の方が
生きている理由を失ったときの
「決断」はとてつもなくはやい、
と思う。

自殺について話すどんな"専門家"も、
ここにいる私たちも、

自殺未経験者(もしくは自殺未遂者)
なのだから。

生きたいと思って生きている
(または特段死を見つめるほどの苦しさを感じず考えず生きているのか、)

生きているのが辛いけれど、
死へはむかえない未練や少しの希望に
すがって苦しみながら生きているのか

死にたくて死んでしまうのか

生きているのが辛いと思っていた果てに
死を選んでしまうのか

もっと生きたいと思っていたのに
生きられないのか、
死にたいのに全然死ねないのか、
死のうとして死ねたのか
死ねなかったのか、

はすべて異なる。

さらに、

結果として生きているのか、
死んでしまったのかは、
字義通り、"取り返しのつかない"
違いがある。


これを読んでくださった皆様が、
今どんな状況でどこにあてはまって
生きているのか、

過去にどんな状況だったのか、

今想像しているのだが、

この、
死を選ぼうとしてしまいそうなときの

ホームから線路に吸い込まれそうな感覚
金属の刃を当てようとした時の冷たさ、

そういうものを、感じる人がいる、

そういうものを感じて
生きている人がいる、
または過去に生きていた人がいる

と少しでも想像して
いただけたらと思う。

その感覚も、
そして実際に自殺してしまった時の
苦しさや痛みは
本人にしか当然わからないけれど、

それでもそこに想像を馳せてみることは
傍観者から1歩だけ近づくことになる
と、

わたしはおもう。


この記事は、
どうしても、死を考えている時の
あの心の苦しさや心地よさ、
息が上手く吸えなくなる感覚
飛ぼうとした時の浮遊感や恐怖心、
緊張感、そういう
感覚的なものを、
書き残しておこうと
スマホをとった。

あの孤独さを、あの感覚を、
味わったことの無い人には
やはり伝えるのは難しいとおもうし、
もしかしたら同じように
死を考えた人たちは全く別の感覚を
持っていたかもしれない。

そういうことを話し合える人や
コメントしてくださる人がいると
嬉しい。


それではこれから、少しずつ
このように雑多な様々に考えたことを
記す記事は
#思いつき以上思考未満
それ以外は、別の専門分野を書いた時に
タグをつけて投稿していきたい。


参考画像
トップ画

#自殺
#自殺未遂
#生と死
#activesuicide
#passivesuicide
#思いつき以上思考未満
#想像力

 追記: 4/10 改編

ここから先は追記として、
井上真央さん主演のドラマ
『明日の約束』
(フジテレビ系、2017年)より、

 井上さん演じる、
スクールカウンセラー藍沢が、

 退任の挨拶の時に生徒たちに語った言葉がある。

 正確ではないと思うが、
ざっとこんな台詞だった。


 自殺という行為が辛い状況から逃げる手段だと思って欲しくない。もしかしたらこの中にも死にたい、死んで楽になりたいという悩みを抱えている人がいるかもしれません。でも、忘れないでください。
 悩みを抱えながら、生きているということは誇りに思うことなんだと。
 わたしは吉岡くんに生きることを選んでほしいと伝えたかった。彼が抱えていた悩みから生きて逃げる勇気を持ってほしい。
 生きて逃げることを第一に考えてください。苦しさに耐えても心を失って命を失ってしまったら何も意味がないんです。だから辛くても逃げてください。
 生きることから逃げさえしなければ、人はやり直せるから、自分を大事にしてください。たとえ幸せが約束された明日でなかったとしても。それでも、明日も生きているということが何より大切なんだと信じてください。

 この言葉は、様々な想いを越えて
生きたい、と思った私に、
改めて味わい深く感じられた。

#フジテレビ系ドラマ
#明日の約束
#生と死の狭間
#cakesコンテスト2020

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