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たまごボーロ

一回脱線しましたが「素人が料理を作る」編です。

軽く前回のおさらいを少ししておくと、料理人が辞めてしまい、変わりに料理をしてくれた女性の方も退職することになりました。

そして残されたのは僕一人。

料理をしたこともない僕が素人料理人として作ることになりました。

さてさて、どうなることやら・・・

傷だらけの僕

女性料理人の方の退職までの間、料理を教えてもらいました。前もポストしましたが、お店の提供する料理はイタリアンがメインです。

ベシャメルソース(ホワイトソース)・トマトソース・アメリケーヌソース・アンチョビソース・ドレッシング(和風・イタリアン)・ピザ生地などなど、色んな仕込みがありました。

僕は料理素人です。食材を切るのも、業務用グリルを使うのも、食材の保存方法も何も出来ない・分からない状態でしたので、一つ一つ手取り足取り教わりました。

経営者としては全く喜べる事ではありませんが、当時お店も忙しいお店では無かったので、営業中もひたすら食材切って、食材切って、食材切って、指切って、食材切って、指切ってを繰り返していました・・・(MAX絆創膏が手に7箇所ありました・・・切り傷+火傷)

ソースはレシピの通りに作れば、何となく形には出来ますが、問題は最終の仕上げ。合わせる素材によって塩分などの最後の調整をして、お客さんに提供します。

僕に唯一出来ること

何も出来ない自分に唯一出来る事がありました。

「舌」

僕の母親の口癖は「食べる物だけは良い物を食べさせたい」でした。

そうです。僕は小さい頃から「美味しい物」を教えてもらってきました。側から見たら、贅沢と言われる食生活をして来たのだと思います。

でも、どんなに「良いお肉」を買っている母親でも、母親が自分の為にお金を使っている姿を小さい頃から僕は見た事がありませんでした。

母親は僕が小学4年生くらいから「スズキ」の事務員さんや、ブライダルのコーディネーターの仕事をずっと続けながら子育てをしてくれていました。

僕には姉が二人いるのですが、僕が小学生時代とかは、朝から姉二人のお弁当の準備と夕飯の準備(仕事から帰ってからすぐに食事が出来る様に)

掃除・洗濯・朝食の準備片付けをして、仕事に行って夜帰って来て、夕飯の準備後片付けをして・・・

朝起きた時から夜眠るまで、ソファーに座ったりして休んでいる姿を見る事もありませんでした。
(今実家に帰っても、ゆっくり座っている姿を見ませんが・・・)

どんなに忙しくても、コンビニのお弁当を子供に食べさせる事もしませんでした。(おにぎりのビニールの外し方を、僕が大人になった時でも知らなかったので)

「子供のために」生きてくれて来た母親のお陰で、僕には「美味しい」と「不味い」の分別をつける事が出来る「舌」が身に付いていました。そこだけは、何も出来ないながら自信があったのです。

だから、お客さんに食べてもらう料理の味は作れる。僕が養ってきてもらった「舌」は間違えない。そう信じて進める事が出来ました。

「素人料理人」を選んだのには訳があった。

それから、スムーズに料理が出せるように、作る手順をとにかく体に染み込ませました。

その時お店で人気のあったメニュー「ジャンボオムレツ」

卵8個を使用して、特大のフライパンで作ります。包丁を入れると、中がフワフワのオムレツ知りませんか?

そこにアメリケーヌソースをかけて提供する商品だったのですが、これを作れる様になるまでに「卵200個」以上使いました。

それくらい遮二無二料理を作り続けました。(失敗したオムレツは僕が責任を持って食べました・・失敗したらまたオムレツ食べなきゃっていうプレッシャーと戦いながら・・・)

上記のポストを読んでいただくと僕の状況はお分かり頂けると思いますが、精神状態が不安定で毎日嗚咽(おえつ)を繰り返す中、どうしてやった事も無い料理に没頭出来たのか。

僕がやらなければ「営業を続ける事が出来ない」って当時は思ってました。

でも、「ホールで接客をしなくて良い」って気持ちがあったんじゃないかと当時を振り返ると思うのです。

当時の厨房は、ホールから見えない状態になっており、厨房の人間はお客様と話す機会はありませんでした。

ハンターという名のお客さんと自己実現からの「逃亡中」

お金が増える所か、時間が経過する事に減っていくお金と自分への自信。

こんな投稿をしておいて恥ずかしいお話ですが、当時修行させて頂いた「Sさん」から学んだはずの「逃げない心」を忘れていたんだと思います。

もう、自分自身どうしたら良いのかすら分かりませんでした。

僕の接客では「お客さんを呼ぶ事は出来ない」と塞ぎ込んでいた時期でしたので、僕の仕事は「料理を作る事なんだ」

そうやって、自分の脳内をすり替え「経営者」「店長」全ての肩書きから逃げて「素人料理人」という仕事を始めていたんだと思います。

この頃には、経営状況も悪化していて、飲食開業に猛反対していた僕の奥さんも一緒に働いてくれていました。

「僕は料理で大変なんだから。ホールはおかんと奥さんでやってよ」

確かに、料理を作る事は本当に大変でした。でも、「僕しかもう料理出来ないんだから」と体裁良く取り繕った言葉で責任を放棄したのです。

たまごボーロを買えるように

飲食時代編の最初で書きましたが、僕は飲食店の社長になりたくてなったわけではありません。もちろんこれは言い訳でしかないのですが、当時の僕は「覚悟なく」ただ「傲慢な」勘違い社長だったのだと思います。

業種こそアパレルと飲食で違いますが、社長という肩書で昔の飲食時代と今のアパレルの社長という僕、その違いはなんだろうって考えていました。

最近始めた「note」をきっかけに、昔の自分を振り返る事が多いのですが、自分の子供を見ていて強く意識した言葉があります。

「健気に生きる」

健気とは?

心がけや態度がしっかりしているさま。現代では特に、幼く力の弱い者が、困難な状況で立派に振舞うさま。
武勇にすぐれているさま。勇ましいさま。
心がしっかりしているさま。毅然。
健康なさま。壮健。
※引用:MAC BOOK調べ

今子供が3人いて、長女5歳・次女3歳・長男8ヶ月なのですが、子供って純粋に「健気に生きている」と痛感するんです。

「初めてのおつかい」で親が涙を流す様に、何に対しても「純粋」に「一生懸命」取り組む姿を子供は見せてくれます。

「勇ましさ」や「毅然とした態度」を子供が見せる事はありませんが、「物事に取り組む姿勢」には学ぶ事が多いのです。

姿勢というと僕は「猫背」です。すごく「猫背」です。(&ガニ股)(歩いているだけで、僕だと分かるそうです。)

この文章を打ち込んでいたら、「背筋がピン」となりました。

「ちゃんと仕事してんのか?こっちはハイハイしたり、掴まり立ちしたり、落ちてる物口に入れて怒られたり大変なんだぞ!ちゃんと稼いでたまごボーロ買ってこいよ!」

8ヶ月の長男に言われている様な気がします。

「自分を受け入れて自分らしく生きる」こと

「健気に生きる」こと

過去を振り返り、今を考えることでまた一つ成長出来る気がします。

「嫌〜、無理〜、痛い〜、もう泣いちゃうぞ!!」

子供の様に「可愛らしさ」も持ち合わせる事が出来たら「最強」ですね!!こんな事言ってたら姉にも怒られるので流石に無理ですが(笑)

業務変更をして挽回を目指す!

お店の方は、パスタだけはどうやっても素人には作れなかったので、メニューから外しましたが、その他の料理でもこれ以上ごまかし続けるのは難しいと思い、並行して業態変更を考えていました。

料理として提供出来る料理は残しながら、「居酒屋色」を強くしようと考えたのです。

僕はお店の料理を覚える事で精一杯で、尚更他のジャンルの料理など作れるはずもなく・・・和風業態を強くしていく為に、知り合いの方から他の居酒屋さんの社員さんを紹介してもらいました。

女性料理人の方の退職とともに、その方にお店に来て貰い、店名を変更しての業態変更に進んで行きます。

「同じ過ちを繰り返してはいけない」と良く言いますが、業態変更と共に僕はまた過ちを犯します。詳しくはまた次回の投稿で。

インスタはじめました

インスタをはじめました。日常の僕を更新していこうと思ってます。もし宜しかったら見てください。


飲食時代編マガジン作りました

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