いまさら真面目に読む『美味しんぼ』各話感想 第10話「手間の価値」
「初期の『美味しんぼ』からしか得られない栄養素がある…そんなSNSの噂を検証するべく、特派員(私)はジャングル(LINEマンガで30話ほど無料!)へ向かった…
そしてnoteの回を追うごとにあらすじの項目が長くなりすぎているのでできる限り簡素にしようと思います。
■ あらすじ
中華料理を食べに横浜は中華街へやってきた文化部の若手たち。(山岡・栗田・花村・田畑) せっかく来たのだから、雑誌に取り上げられている有名なお店に行きたいと思っていたが、そこには長蛇の列。並んでやっと入ることが出来たが、客を客とも思わないぞんざいな接客をされ山岡は憤慨。店を変えるも、その店については今度は味が気に入らない。わざわざ店員を呼びつけて「この豚バラ煮込みは出来そこないだ、食べられないよ」と言い放つ。そんなことわざわざ言うなと花村さんや田畑さん、店員も店主も怒る。そりゃそうだ。でも山岡は山岡イズムに則って「俺は正当のことを言ってるだけだよ」と一歩も引かない、メシの美味い不味いについては言わずにはいられない男なのだ。
更に激昂して包丁を突きつける店主と山岡の間に割って入ったのは在日華僑の顔役、周懐徳氏であった。周 大人(ターレン・たいじん)は場を収めようとしたのだが全然両者とも鉾を収めることはなく
「お前よりははるかにうまい豚バラ煮込みを作れるぜ」と山岡が煽ると売り言葉に買い言葉で、店主も「じゃ作ってみろ」と、いつのまにか店内はBreaking Downのオーディション会場と化している。周大人も自分のシマである中華街で日本人にこんなことを言われてしまっては顔もないだろうし、単純な興味もあり、自分の邸宅で店主、山岡両者に豚バラ煮込みを作ってもらって、味を判定しようと提案する。
周大人の前に両者の豚バラ煮込みが供され、判定となるのだが、結果は山岡の作ったものこそ「本当の豚バラ煮込み(東坡肉)」と判定され、山岡の勝利となった。*店主は面目を潰された上に、周大人から今後どんな仕置が待っていることか…
この勝利によって、「究極のメニュー」づくりに周大人という強力な味方を得て人脈を形成できてめでたしめでたし…という話である。
■ 日本人も悪いんですよ の元祖本家の回
ネットミームのひとつ「でも、日本人も悪いんですよ」の元祖本家の回
日本人、日本マスコミがもてはやすから、店主は堕落し手間を惜しむようになり、客は自分の舌で判断することもなく持ち上げ、ありがたがる。こうしたよろしくないサイクルを日本人が作っているのだから、「出来そこない」の豚バラ煮込みを作った店主を作り出したのもまた、日本人であるという論法である。むちゃくちゃ言うじゃん…
なによりも、山岡らは大手新聞社勤めのメディア側で、「もてはやす」側のにも関わらず、そこには一切触れずに、自分の舌で判断できない一般日本人客が、手間を惜しむ店主を作ったのだというのは、ものすごくマスメディア的他責思考がモロに出ていて嫌悪感がヤバい。そしてそのことにまったく自覚がない。周大人に「日本人も悪いんですよ」と言われた時に「いえ、日本のマスメディアの責任です」と言って出なかった山岡らはおかしい、だいぶおかしい。
■ 1980年代中盤にどれだけ「本物の中華」が受け入れられたか
この話が連載されていたのは1985年。確かに日本は豊かで海外旅行もバンバン行って現地で下品な振る舞いをして新聞に取り上げられていた時代だ。「OK,Google!農協観光!!」で検索するとすぐにわかる話。
その頃の海外旅行なんて、ロクなものではなかった。団体で移動して宿泊するのがメイン、しかも「お付き合い」で行きたくもないところに行き、買いたくもないものを買う旅行だった。メシや文化体験なんて二の次三の次で、夜にカップラーメンやインスタントの味噌汁を飲んでいた時代。
そんな人間ばかりだから、中華街で供する料理も、現代でいうところのスコットランドの寿司バーほどの文化的解像度は望むべくもないわけで、まったく本場の味ではなかっただろうと推測される。本場の味を再現するよりもまずウケること。客が来るような味、システム、作り権威付けすることが第一で、 両者ともに当時は本場の味ということにあまり価値がなかったのだろうと推測する。
それで中国本場の味に出会えないことを日本人の舌、習性のせいにするのはいささか暴論であって、この回は「本場の味を出していれば美味いのだから当然繁盛する」的な中華選民思想が垣間見えてあまり好きではない。
■ 食文化が受け入れられることの難しさ
日本を例に取ってみても、実際1980年代には和食、寿司のステータスは高かったとは言えない。地道な営業・啓発活動、そんなものが実ってハイクラスの料理に和食のエッセンスがないものの方が逆に珍重されるというくらいまで和食は世界的地位を向上させた。
それにしたって何十年もかかってのことである。しかも時は1980年代中盤で、日本は海外に進出する方は貪欲で意欲旺盛だけれども、海外からの客を受け入れる側としては甚だ未熟であった時代だ。
日本食とは何か、というテーマを決めず海外に殴り込んでいった積極的な時期でもあると言える。そのお陰で今現在、日本食が世界でリスペクトされているわけだけど、私は1980年代の中国料理に対する態度として、マスコミが好き勝手に権威付けをしている中で、何が美味い・本場・正統なんてことを理解する土壌がなかったのはむべなるかなと思う。
本当に、食文化を吸収するのは難しいな、と思わされる回でした。
■ 今さら読む『美味しんぼ』
たぶん初期の『美味しんぼ』からしか得られない栄養素とは、このような時代のエッセンスや息吹なんだろうと思う。
真剣に読んで損はしないのではないか、そう考えてこれから1話ごとに私見を交えつつ読んで感想をアップしていきたい。
https://note.com/pastalion/m/mbaf78f52f8d7
・実は、本業は…
私の本業は観光促進、移動交通におけるバリアフリーを目的とする組織のイチ職員で、食い物のことに関しては偉そうに話せる立場にないんです。≠鉄道オタク の視点で、日本の鉄道はこれからどうなっていくのか、特にローカル線って維持するのがいいの?すべきなの?っていうところを考えるためのマガジンも出しています、もしよろしければ是非以下を…
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