見出し画像

いまさら真面目に読む『美味しんぼ』各話感想 第11話「活きた魚」

 「初期の『美味しんぼ』からしか得られない栄養素がある…そんなSNSの噂を検証するべく、特派員(私)はジャングルへ向かった… 


■ あらすじ

 日本を代表する大企業「大日エレクトロン」の社長がこのたびゲストハウスを建て、その落成祝いをするということで駆けつけた東西新聞社の文化部一行(部長、山岡、栗田)こういうときは経済部とかの担当がゴマすりに行くんじゃないのか? 一行の中に「言わずにおれない男」山岡士郎が加わっているのが気になる。
 なんでも、ここの社長は板前並の腕前を持つ食通だそうで、来客を手ずから拵えた料理でもてなそうという趣向のようだ。

だからって文化部が行く筋合いはないだろう

 祝の席に招待されたのは、主要な取引先のみならず、大日エレクトロン社員の家族もいたようだ。優秀な社員を顕彰して招待しているとはいえ、ワンマン社長+大企業と、その社員の家族…考えたくもないほどおぞましい席だ、社員としてはここに出席することは義務であるし、妻や子供も連れて来なければならない。政財界のトップが集まる場で、たかだかイチ社員が悠々振る舞えるわけもなく、終始この家族は肩身の狭い思いをし、お追従をうたなければならない…これは世の習いである。軽井沢まで来て、かわいそうなことだ。
 さて、料理通・食通の社長が自ら包丁を振るって来賓に料理を振る舞う段となり、設えた水槽の中から活きたシマアジをざっぱとすくい上げると、見事な包丁さばきで刺し身を造り、来賓に供す。パフォーマンスとしては申し分ない、ワンマン社長だけあって「魅せ方」を心得ている。振る舞われたお歴々も口々にうまいうまいともてはやし、社長は得意満面だ。
 しかし、よりにもよって招待した自社の社員の小ボウズが「ちっとも美味しくなかったよ」と言い放つ。やばい。やばすぎる。うまいともてはやした財界のトップたち、そして自社の社長のメンツをイッパツで潰す無邪気な発言を、父親母親はどのような心持ちで聞いただろうか。

ゴリッと寿命が削れる音が軽井沢に鳴り響いたという…

 「こどもは正直ですからな」という前段があってのこの問題発言。読んでいる側にも変な汗が出るやつ。昭和と違って令和を生きる我々には、子供は大人に劣らず打算的で、良くも悪くも空気を読む生き物であるということがわかっており、だからこそDV等家庭内問題の深刻さが取り沙汰されているのだが…
 社長は肩をプルプル震わせながらも精一杯取り繕って「子供にはシマアジなんていう高級魚の味はわからないよね」なんてことをいうが、子供は引き下がらない、両親は這いつくばって額づき社長に詫びる。地獄絵図だ…
 そんな地獄に山岡がさらに地獄をマシマシする「その子の言う通りですよ、このシマアジは少しもうまくない」と言い放つ。少しもうまくない、うーん少なくとも言葉を使う商売をしているのだから、もう少しなんというか手心というか…でも言わずにはおれないのが山岡イズムなのである。社長もゲストの前で恥をかかされたままでは終われない、激昂して山岡に詰め寄るものの「口で言ってもわかりますまい、本当にうまいシマアジを持ってきますよ」と躱されてしまう。
 
 翌日、果たして山岡は本当にうまいシマアジを持ってきた。社長の生け簀に泳いでいる魚は、狭いところに閉じ込められ餌も食えず弱りきったものであるのに対し、山岡のシマアジは釣りたてをすぐに活けジメにし、血を抜いて仕立てたものである。現代の感覚からすると、そりゃあ後者のほうが美味いに決まっているし、もっというなら時間が許すならば、活けジメにしてから2,3日寝かせておく方がより美味いだろうということは多くの人の知るところである。

活け締め。40年前はあまり一般に知られるものではなかったのだろうか。うーん…

 負けを認めた社長は、社員とその子供に詫びるために、社員宅に出向いて「夢の国」のチケットを渡したという。大企業のワンマン社長が、自慢の趣味の分野で一本取られた時、このように素直に振る舞えるというのはそれだけで称賛に値する。なかなか年を取って成功体験・失敗体験を積み重ねていくうちに「過ちを認めて詫びる」ということがなかなかできなくなっていく。しかも子供相手に。社長、ご立派です。

■ 活け締めと生食新鮮信仰

 日本人は生食が大好きすぎて、あらゆる食べ物に「これ、生で食べられるのかな」というヨソからすると気持ち悪い趣味趣向を持っている。「生でもいけるよ」って言われると良いものだと盲目的に思い込む。私もそうだ。現代において特段、生食をしなければならない理由などどこにもないのに、なにかというと生で食べたがるし、生で食べるとテンションが上がる。そして生で食べられるもの=良いもの という固定観念が形成されている。生食の条件の一つは、素材の「鮮度」だ。腐った魚を生で食うと死んでしまうからね。生食とは尊いもの→生食には「鮮度」が必要→=鮮度」のいいものは美味しい=「鮮度」が良ければ生食をする、という方程式が確立するのもむべなるかな。

「究極のメニュー」づくりを担当している栗田でも、活け締めの現場を見てこの反応 

 だから、つい先程まで生きていた魚を刺し身にすれば当然美味しいはずだと思い込むし、素人ならそれを殊更珍重するのは無理もないことだ。そしてこの生食新鮮信仰はいまでも根強く支持されている。日本人のサガ的なものだろうなと思う。

■ 活け締めの普及と発展(津本式)

 生食新鮮信仰も根強くあるものの、現代ではかなり活け締めという技法がもたらすメリットについて広く認知されてきた。生に限らず、魚食を好む日本人としては変な話だが、魚を適切に捌いたうえで「寝かせる」という技法もまた巷間に浸透してきた。要は魚の熟成である。
 その技術に長ずるのは寿司屋や割烹であるが、そこに魚を卸す段階で「魚を仕立てる」というキャッチフレーズで爆発的に人気を博したのが「津本式」といわれる魚の解体・血抜き・熟成を一体化して行う方法である。これが特定界隈で爆発的に流行った。

 「津本式」ではとにかく魚から血を抜き、そのうえで水分も抜く。若干ドライな状態を保ちながら、適切な冷温でしばらく保存する。この過程で活け締めの理論を使い、そして応用しているのだ。
 そのことによって魚肉のタンパク質は分解され多量のアミノ酸となり、血による臭みもなく、まさにベストな生食用魚肉を提供できる手段として「津本式」は一部愛好家に脚光を浴びた。
*神経締め という技法もあるが、ちょっと脇道にそれるので割愛。

■ 1980年代中盤に活け締めは一般的であったか

 これについては適切な資料が出てこなかった。ただし、漁船で釣って、イケスに放り込むだけではなくて、血抜きをするという手間は「魚を高く売る技法」として1980年代以前に確立・知悉されていた可能性は高い。
 なにせ物の本によれば、活け締めによって「鮮度を保てる」ことは江戸時代から知られていたからだ。これはプロ漁師、アマ釣人問わずだ。それを商業ベースにのせられるかどうかについて試行錯誤があったものの、技法をしては広く認知されたものであったとする。
 まあ一般人が活け締めなんていう字句を目にしてそれにブランド価値を感じる…なんていうのは平成の世を待たないといけないんじゃないかな、と思います。

■ Ikejime(活け締め) というブランド確率の成功

 実は活け締めって、海外への日本食輸出・ブラド展開の際にも併せて紹介され、その価値が国際的に認められています。日本食を支える魚、その下処理の緻密さ、オージャパーン!そういった文脈です。他国では基本的に生食の魚というものがメジャーでない以上、魚の臭みは香辛料や加熱で取り除けばいいわけですから、不要な技法であることは想像に難くありません。
 ただし、日本食レストランをやるには必修レベルにまで取り上げられたし、"Ikejime"で英語wikipedia記事が作られるくらいですから、プロとしては知っておくべき事柄にリストされているでしょうね。
 

 と、いうわけで、今回の『美味しんぼ』冒険はおしまい。頼れる文献が手に入らなくて憶測が多い記事となりましたが、新鮮=美味い信仰はけっこういまだにどの食材に対しても、みなさんお持ちではないでしょうか。
 食材ごとに、ベストな食べごろ・拵え方・食べ方が違うわけで、採れたてをそのままいただくのが、その食材のベストを引き出しているとは限らないんだってことだけ伝われば幸せです。

◆ 私の本業は…

・実は、本業は…
 私の本業は観光促進、移動交通におけるバリアフリーを目的とする組織のイチ職員で、食い物のことに関しては偉そうに話せる立場にないんです。≠鉄道オタク の視点で、日本の鉄道はこれからどうなっていくのか、特にローカル線って維持するのがいいの?すべきなの?っていうところを考えるためのマガジンも出しています、もしよろしければ是非以下を…
=============================================

ローカル線の存廃問題についての記事をまとめているマガジンです。
よろしければほかの記事もぜひ!

地方のローカル鉄道はどうなるのか、またはどうあってほしいか|パスタライオン ~鉄道と交通政策のまとめ~|note


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?