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【セカンドブライド】第14話 初めてのフルマラソン挑戦記⑤

フルマラソンも残すところ10キロを切っていたけれど、どうにも上手に辛さを逃すことが出来なかった。「辛い」と言う想いに脳の大半が占められて、真っ向からしんどさを受け止めてしまっていた。

その時、「ぱるちゃん、イヤホンしたら?」とカエルさんが耳を指さして言った。そうだ。イヤホンを首にかけたまま、その存在を忘れていた。イヤホンの電源を入れて耳に入れると言う動作さえ、何だかすごく面倒に感じた。でも何とか音楽をかけて走り出す。身体にリズムが戻って来る。音楽に脚を合わせた。不思議と大分、楽になった。

40キロと言う表示が見え、その少し先に「あと2キロ」と言う表示が見えた。あと2キロなら走り切れると思った。そしてどうせなら、最後は頑張ってみようと思った。音楽を聴いて楽になった様に感じてはいたが、脚の重さは変わらなかった。スピードを上げると自分の身体に、ロックされたままのベビーカーを押した時の様な抵抗を感じた。「えいやあ」っと気合を入れて、無理やり走った。

走る前、フルマラソンを完走出来たら、何かが変わると信じていた。
でも、完走を目前にした今、「何も変わらない」かもしれないと思った。
いっそのこと、変わらなくても良いじゃないかと思った。

そうだ。本当は自分以外の何者になれる訳じゃないのなんて分かってたことだった。でも、みんなに協力してもらって走れているのだから、この挑戦はどうしても自分に負けないで終わらせなきゃと思った。せめて、走り始める前より少しだけ自分を誇れる様な気持ちになりたいと思った。

集中を高めていく。ただ、前の人の背中を見て走った。一人抜いたら、さらにその前を走る人の背中を見て追いかける。そして追い抜く。ただただ、それを繰り返した。カエルさんは黙って私の後ろについてきた。

先にゴールしたクラブのメンバーがコースを逆回りに遡って応援に来てくれていた。「ナイスラン!」の声が嬉しかった。メンバーに、片手だけ挙げて応えた。

遠くにゴールとなる競技場が見えて来た。ゴールできそうだとほっとしたところで、カーブに差し掛かる。そのカーブの所に父の姿が見えた。

私が「走るのが楽しい」と言うと、「今、大切なのは趣味じゃないだろう。」と言っていた父。マラソンを走ることには、反対だと思っていた。だから応援の姿をみて驚いたし嬉しかった。「お父さん!」と言ったら父が「おう。来たか。頑張れよ!」と右手を上げた。「ごめん!止まれないから行くね!」と言ったら父がもう一度「おう。頑張れ。」と言った。

小さな頃、父とジョギングをした日々の記憶が蘇る。私が5歳の頃、ある出来事をきっかけにチック症と診断された。その時、母は妹を妊娠中だった。父は会社から帰ってくると毎日、私とジョギングをする様になった。チック症にジョギングが、医学的に正解だったかは分からない。大した距離を走っていた訳でもなかったが、ジョギングの最後はいつも父に「競争だぞ」と言われてダッシュした。必死で父の背中を追いかける。家の前の電柱がゴールと決まっていた。父は毎回、私に僅差で勝たせてくれた。普段厳しい父に、「だんだん速くなるなあ。」と言われるのが嬉しくて毎日一生懸命走った。私の症状が改善するまでしばらくの間、それは続いた。

その頃の父の背中が見えた気がした。だから、もう一段ギアを上げて走った。息が上がり、もう何がなんだか分からないほどに苦しかった。

競技場に入り、トラックを一周回り、青いマットを踏んでゴールした。ピピと電子音が鳴る。

「やっとゴールだ。」と思った。終わったんだ。
そのままトラックの中の芝生に倒れこんで座った。

その視線の先に、カエルさんがコースに向かって深々と一礼しているのが見えた。






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