子宮移植したサル、出産に成功
Yahoo!のコメントを覗いてみたら、感情的な意見がちらほら見えて、臓器移植に対して生命とは何かと問われているようにも。
タンパク質や水や骨があっても、生命活動をさせることは今だ不可能で、生体臓器を人造するがやっと。
臓器移植で助かる人間もいるのなら、このような手段も受け入れられる世の中でありたいと思う。そりゃ、代理母とか養子縁組とか、手段はあるんだけど、結局は個人が納得するかどうかじゃないかな。
移植を望む個人の気持ちを抜きに余所の関係ない人間が持論を主張して、あーだこーだというのが善意だと勘違いしているひともいるんだが、黙らせる方法はないものだろうか。
臓器も部品と言えば部品なんだよね。輸血だってある意味、血液という部品なんだし。ただ、生命体の臓器を部品のように扱うことに抵抗を感じる人はすくなからずいる、生きている臓器は置き換えられないものがある。
それでも、自分はこういう臓器移植の先には明るくても暗くても伸びしろを感じてやまない方です。
不妊治療に一つの選択肢を与えるものだし、子供が欲しいと願うカップルに希望を見せるものだと考える。これからは高齢出産が増えていくだろうし。まあ、どこで移植する子宮を手に入れるのかってのもあるんだけど。
この移植技術がいい方にも悪い方にも進んでいくだろう。そりゃそうだ。だけど、この技術からなにができるのかを常に考えて、明るい未来に進む方向を指さしていくのが、今いる人たちのすること。最初から反対するのは周辺技術の進歩も妨げる悪手だよ。
これが人類に必要ないって言い切れるのはSF作家が原稿に書くときくらいですよ。あと、神。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?