見出し画像

Diet

現代英語における「diet」は、「毎日規則的に食べるもの」「習慣的な栄養の摂取」「ある特別な理由に基づく食事の種類や量の制限」「体重を減らすために実施する食事療法」となっている[3]。Wikipedia

転職して、デスクワークから肉体労働が増え、体重が減った。

前職で湖の近くに住んでいた時は、一念発起して湖の周りをぐるぐるしていたら一時期痩せたが、転勤してセブンのお弁当ばかり食べていたら元に戻った。

画像1

転職時提出した健康診断の体重が74.7㎏。身長が160㎝しかないので、完全にシンドローム。

その後、仕事をしているうちに勝手に減っていって、似非ミニマリストとしては、この機逃すべからずと思い立ち、断食を始めた。

前職の時に、見るに見かねた先輩というか先生が、職場のPCのデスクトップに勝手に健康管理表をつけてて断食のすばらしさをプレゼンしてくれたため、経験があった。湖をぐるぐるしてたのもちょうどその時だった。

おりしも、グレタさんが醜い大人たちに警鐘を打ち鳴らしていたときだったため、面白い角度から批判される中で健気に航海をし、未来を憂う姿に共感されてしまい、食べることを止めた。

現職では、食材の破棄も仕事のうちに入る。せめて、このロス分だけでも自分が食べることを止めればトントンになるのではないかと思い至り、一人ハンガーストライキを決め込むことになった。というか減量よりそっちが主目的だったような。

不思議なことに、断食は意外と耐えられる。腹は減るが、それ以上でも以下でもない。だんだん食欲に対して無関心になるというか、食への興味が一切なくなっていくのだ。これが行き過ぎると拒食症になるのかなあ。

糖分を絶っては仕事に影響が出てしまうので、炭酸ジュースは飲むし一日一袋チョコレートのお菓子を買って食べていたので、ストイックなやつとは程遠かったが、生きるための食事というよりは、「チョコおいしいな」という嗜好品の意味合いが強かった。

だんだんスピリチュアルな話になっていくが、断食をしていると変に感覚が鋭くなる。なんとなくいつもと違う感じに気づくのが多くなり、他人のミスをばれずにちょっと直すというのがこのころのマイブームだった。

あと、断食を連続して3日目ぐらいになると妙に世界に溶け込んでいる感じがする。なかなか表しにくいが、サウナの後の水風呂に長時間入っていると、水温と血液温度が均衡しあって、肺や脳が冷えていくのがわかる感覚?余計わかりにくい?あれが熱感以外に拡張されている感じで、どちらかといえば快感に近い。

2か月の間に、飲み会があるときはちょっと食べたり休みが多くなると食べなかったりで、ダラダラと断食していった。

あと、献血ブーストというものもあった。

献血は、人の優しさに包まれるいいものだ。いい大人になると、見知らぬ他人が優しくしてくれるのはお金を払うか血の代償を払うしかない。献血をすると、怠惰に過ごしていた休日を一発で徳の高い一日にしてくれるので、心の健康も保証してくれる。

どんどん体重が落ちていくので、わりとこまめに体重計に乗っていたが、どうもダイエットの停滞期は献血で乗り越えられることが分かった。単純に400ml分減少しているのか、血を生み出すエネルギーなのか、なにが体の中で起こっているのかは不明だが、とにかく献血バフは経験則として実感できる。

画像2

いまではふつうに食べているが、59㎏になった。

なにより嬉しいのが、実年齢がやっと体年齢に追いついたこと。

どちらかというと体年齢を取り戻したのか。


画像3

特にダイエットを意識したわけでもなく、仕事以外は運動もせずダラダラとすごしている。毎日の習慣というものは、人を結構変えてしまうのだなあという知見を得た。

献血のもう一つの特典は、結構すぐに血液検査のデータを送って、体のいけない箇所を教えてくれることだ。赤血球とヘモグロビン濃度は普通の人に比べてやたら高いが、それ以外は健康です。

献血はみんなが幸せになるのでお勧めですが、他は個人の感想であり、効果には個人差があるので、体が頑丈でない限りおすすめは控えます。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?