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レッテル

実家はモノが多かった。

その反動からか、一人暮らしをしばらくしてから、あんまり多くのものをもっていたくなくなった。

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 大学では正当ではない入学手続きをした後、スラム街と呼ばれる中でも最もひどい11号棟の1階、蔑称グランドスラムと呼ばれる5角形のふざけた部屋に入ることになった。1kですらなく、1だ。1ヵ月もいれば、肺がかびる宿舎カゼが蔓延する。そんな環境では置けるモノは当然最小限に限られる。
 東日本大震災では、ニュースが非日常を報道し、諸行無常を味わった。どうせ流されるなら、いずれ打ちのめされてもまた揃えられるもの、ちゃんとした購買ルートがあって、それがなにかさえ覚えていれば再現できるもので暮らそうと思うようになった。

その頃からミニマリストという言葉も、だんだん囁かれるようになっていった。そうなりたいわけでもなかったが、なんとなく自分の行動原理と傾向が近いような感じで、少なからず影響は受けていると思う。

 ただ、細かいところのニュアンスにはいちゃもんをつけたくなることもある。やたらとアップル製品を使っていたり、「私服の制服化」が義務となっていたり、ときめきがすべての判断基準となっていたり、悪魔の発明であるふとんやベッドを放棄して、わざわざ寝袋で頑張って寝ているところだったり、やたらと持ち物をカウントしたりするところだったりする。
 気持ちがわかる部分はだいぶある。ちょっとこだわりが感じられるものだったり、デザインと機能が洗練されているものだったりが好きだし、モノを買うときはまず捨て方も考えてしまうし、一生に十回もない引っ越しの時いかにスムーズにできるかを考えてしまうし、旅行の時はストイックに荷物を減らして、「荷物それだけ?」と言われる優越感も味わいたいし、正直なところ、持ち物もリストアップして自分の流儀をアウトプットしたくなってしまうし、現にしている。


レッテルとは便利だ。ミニマリストですと名乗れば、説明しなくてもどんな感じか伝えることができる。

 B型なのだが、B型と気づいてもらえると嬉しい。あんまり世間一般では評判のよろしくない方の血液型だが、そういう情報を掴んでいる人に対してなにかちょっとやらかしちゃったときは、「まあB型のやることなんで勘弁してください」とちょっとほのめかすことができるのだ。その人がAやOで、Bなところを警戒されて先回りフォローなどされていると、B型でよかったとしみじみ思う。
 初心者マークに近いものがある。あれも、つけているデメリットよりも、後ろの車が警戒してソーシャルディスタンスを開けてくれるメリットの方が大きく、しばらくつけっぱなしにしていた。

話がそれてきたが、ミニマリストですと名乗れば何となく察してくれるのは便利だ。だが、正直あそこまでではないのも事実だ。ムダはムダで人間には必要だ。あんなにプロフェッショナルで意識は高くないので、ミニマラーとかミニマル同好会ぐらいがちょうどいいレッテルな感じがする。残念ながらそういった言葉はないが。



このところ新感染症の影響で、お休みが増えることに伴い、効率化も一長一短だなと思うようになった。掃除はルンバがやってくれるし、洗濯もジェルボールを一つ入れてボタンを一つ押せば、乾燥まで終わってしまう。

暇なのだ。時間を持て余している。

実家から支援物資が届いた。このご時世、マスクと消毒液も入れたらしい。どうせ本当に必要なところに回るはずだったやつを買い占めたのでは、とみてみたら、意外にも新しいやつは母親のパート先で売っている1箱だけだった。ほかのマスクは、だいぶ昔にストックしてありそうなものと昔もらった非売品だった。かき集めたのだろうか。消毒液は、地元の市役所で配布しているアルカリ電解水がペットボトルに入っていた。

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少し実家を見直した。

このページは・・・
・これが自分のミニマリズムだ!
・意外とマキシマリズムもわるいものではない
・B型万歳!!
について主張してきました。伝わりましたでしょうか?


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