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そろりそろりと物書き仕事に戻ってからの3ヶ月を振り返ってみる

 おっかなびっくりという感覚で、お仕事を再開してから3ヶ月が過ぎた。正直なところ、「これが書きたい!」というテーマがあったわけでも、それを見つけ直すことができたわけでもなかったし、体調面での不安が解消したわけでもなく、見切り発車と言って差し支えない状態だった。「また誰かに迷惑をかけてしまうかもしれない」という怖さが常に頭の隅にこびりついているのも確かだ。

 ネットでの売文業にも「勘所」というものはあって、最初の一ヶ月でそれがどちゃくそ鈍っていることを思い知らされた。毎日、いや毎分「わかんねー!インタネットわかんねー!」と心中で叫びながらキーボードを打っていた、気がする。気がするというのは、4月頃のことを上手く思い出すことができないから。「辛ぇ、インターネット辛ぇ」と思っていたことしか思い出せない。そして、自分のパフォーマンスに心底失望していた。

 「やはりお仕事再開するのは時期尚早だったかな?」と思っていたところ、古くからの友人から「気楽な気持ちで来ませんか?」と誘われて、長野県に日帰りで取材に出かけた。体力的に心配が残る中だったけど、行ったら行ったでかなり楽しめた。「やっぱり自分は人に話を聞いたり、足を運んで見てみることが好きなんだ」と実感できたこともあるし、ちょっとした変化や何かしらの未知の事柄に気づけるようになっていた。

 思えば、以前に心身のバランスを崩して、何を書いていいものか皆目見当がつかないまま漫然と過ごしていた日々から抜け出せたのは、パートナーと長野旅行へ行ったことがきっかけだった。

 具体的に「これ」と明示できるものはないのだけど、長野という土地には自分にとって何かトリガーがあるのかもしれないな、と感じながら東京圏に戻ってから、不思議とキーを打つ際の指の動きが軽くなったし、外出して耳目がちゃんと機能している感覚を取り戻せたような気になった。

 それまでの自分ならば、ここでアクセルを余計に吹かしてまた盛大に事故ったかもしれない。とはいえ、自分なりに「余計な事まで考えない」ことを意識して、ちょっとでも変調を覚えたら躊躇なくデバイスをオフにするようになったこと、何かを溜め込む前に誰かに話すこと、この3点を心がけることが、前までと変わったことになるだろうか。

 ここでの「余計な事」とは、例えばメディア全体としてのバランスとか、PV/UUとかシェア数とか、世に出した後に起こるもろもろ。もちろん分析はするのだけど、「コントロールできる範疇にない事」をあれこれ深く考えることを避けるようにした。まったく考えないというのはまだできていないのだけど、考えることをひとまず「置く」ようになったのは、「そんなこともできてなかったのか」と感じられる向きはあるにせよ、個人的には大きな進歩と言って差し支えないだろう。

 自分の場合、瞼に痙攣感を覚えると明らかに不調のサインなので、ひとまず画面から離れて、目薬を差して、できるだけ大人しくするようになった。それに加えて、ブルーライトカット入りの眼鏡をかけるようになって、目の疲れが軽減されたことも大きかった。いずれにしても、それまではおざなりにしていた身体を休めることが今のところ上手くいっている。これも「それまでできなかったのか」事案ではありますが……。

 このお仕事をしていると、スタンドアローンになりがちでもある。自分で済ませることができる裁量がかなりあるだけに、重ねに重ねた選択の「重み」がのしかかることもある。そういった選択を他の人と共有するだけでも、それが軽くなる。結局ひとりで何もかも出来るわけではないので、頼れるところは頼るようになるだけでも違うんだな、と今更ながら実感している最中だったりする。

 こうしてみると、自分の未熟さに愕然となるのだけど、それを「恥じる」ことはないな、と思えるようになった。「誇れる」ことは金輪際ないけれど……。とにかく、仕事との向き合い方や距離のとり方が多少なりとも意識して変えたことで、また別の新しい何かに出会えるかもしれないし、ちゃんと寝て起きて空気を吸っていられる限りは、これからも何とか「書いて」いけそうだと、3ヶ月を経て思えるようになった。

 ひとまず。ほどほどに、飛ばしすぎず、物書き仕事を続けられる感謝しつつ、これからも研鑽していきたいと考えています。あ、「こいつ飛ばしすぎだ!」と感じたらこっそり教えてくださいね。よろしくお願い申し上げます!


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