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何度躓いても生きていかなければいけない

 自分の人生が「失敗だ」と思うようになったのは、いつ頃からだったのだろうか。就職活動に失敗した時か、高校の数Ⅱの授業についていけなくなった時か、引っ越しをして転校先に馴染めなかった時か……。いずれにしても、他人への失望感だったり、社会情勢だったり、責任転嫁しようとしても上手くはいかず、結局は自分に返ってくるような事を繰り返してきた。

 2018〜19年頃、身体の変調により仕事ばかりか生活にも支障が出た時は、味覚からおかしくなった。その時のことは以前にも記した。

 しばらく以前と同じように仕事ができるようになっていたものの、気持ちの浮き沈みが激しい上に、「これまでと同じような働き方でいいのか?」といった疑問を抱えたまま、すぐには答えがでず、公私での小さな、ほんの些細なトラブルが重なったのが、2021年の春頃。ここで一気にパフォーマンスが落ちたのだけど、そこから浮上しようとした時に、今度はまず「目」にきた。なんだか視界がチカチカする。「ついに老眼か?」と疑って眼科に行くが、特に問題ないという。そうこうしているうちに眼前が真っ白になる瞬間があったり、頭が割れそうな痛みに襲われたり、急に音が遠くに感じられるようになったりして、どうやら神経の負荷らしいということに行き当たった時には、いささか遅きに失した。

 「再帰性うつ病」というのは、これをすれば治るというものではない。それは分かっていたのだけど、「またやっちまった」感が強い。いろいろな方々にご迷惑をまたかけてしまったし、何の言葉も浮かんでこない。親しい人と会話を交わすのにも汲々としてしまう。秋頃には「これは今度こそもうダメかもしれない」「誰かに迷惑をかけてしまうくらいなら、もう働きたくない」ということばかり考えて一日が過ぎた。

 振り返れば、自分は新型コロナウイルス感染症の蔓延が広がっても、自分の行き方には相対的にはそれほど影響がないと考えていた。もともとインドア派だし、ひとりで行動することが多いし、既にほぼリモートといった働き方をしていたからだ。しかし、日々が平坦になったような感覚や、特に知人・友人や仕事の顔なじみの方々と会話する機会が減ったことは、想像以上にダメージを受けていたのだろう。結局「ひとりでも平気」というのは強がりだった。

 前に仕事に復帰した時は、「また書けるようになる」「安定した地位を確立して働く」という目標があった。前者はなんとかなったが、後者に関しては正直に言って失敗だった。たまたまコロナ渦に当たってしまったという要因はあるものの、「再帰性」のリスクを減らすということに比重を置きすぎていたのかもしれない。

 今回に関しては、「目標」を定めることも覚束ないというのが本音。特に「これが書きたい!」といったモチベーションが上がっているわけでもないし、自己肯定感が地に落ちている。

 それでも、「生きることが働くこと」と自分で書いた。何度躓いても、動けばなんとかなるかもしれない。ようやくそういう気持ちになれたのが、3月の中旬だった。

 「目標」とか「モチベーション」とか、そういう言葉に頼るのはやめる。やっているうちに見つかるならば重畳だし、見つからないならそれでいい。これまでやってきて身につけたことは簡単には錆びない。また転ぶのは怖いけれど、這ってでも進んでいく。今はそんな気持ちで再びキーボードを前にしている。

 また多大なるご迷惑をかけてしまうかもしれませんが、どうぞよろしくお願い申し上げます。


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