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【映画】ビフォア・サンライズ 恋人までの距離

■作品説明

監督:リチャード・リンクレイ
キャスト:イーサン・ホーク(ジェシー)
     ジュリー・デルピー(セリーヌ)
ジャンル:ドラマ/恋愛
制作年&国:1995、アメリカ

ビフォア・サンライズ 恋人までの距離(1995)

■ストーリー

パリへ向かう長距離列車の中、オーストリア人夫婦が喧嘩を始める。隣席の喧騒を避けて席を移動してきた女に男が声を掛け、食堂車に誘う。二人は意気投合するが、列車は男の目的地であるウィーンに到着する。そこで、男は翌朝のフライトまでの間、一夜限りのウィーン旅行に女を誘う。

男はアメリカ人のジェシー、女はフランス人大学生のセリーヌであった。二人は既に夕方となり観光名所の多くが閉まったウィーンの街を散策する。話題が豊富な二人は絶え間なく会話を続けて親密さを深めていき、明け方を迎える頃には男女の仲となる。

翌朝、パリ行きの列車が到着したホームで、互いに愛を告白する。二人はあえて連絡先を交換せず、互いのラストネームも知らないまま、半年後にこのホームで再会することを約束して別れる。別々に旅を続ける二人は、それぞれ穏やかな表情を浮かべるのであった。

Wikipedia

こういう恋がしたい。ただそれだけ。

ひとり香港映画祭をやっていた矢先のこと。
何となく違う系統の作品に寄り道したくなって、ふと目に付いた『ビフォア・サンライズ 恋人までの距離』(1995)を見てみた。

見終わってすぐ、嘆息。
そして切なさとうらやましさの混じった複雑な感情。

別に狙ったわけではなく、たまたま居合わせた同じ電車で出会った男女がたまたま意気投合して、「なんだかおもしろそう」的な第六感でウィーンで途中下車して朝まで語り合う、ただそれだけの話。

…なんだけど。

最初から最後まで「物事には終わりがある。どんなものにも別れはある。だからこの一瞬一瞬を大切にしよう」というありきたりなテーマを感じさせられたけど、まさにこれを地で行く作品だったと思うね。

言われなくてもこの一瞬は一瞬でしかないし、気づいたときにはすでに過去。
アクアタイムズにもそんな歌があった気がする。
いやアクアタイムズと言えばむしろその日常の何気ないことが奇跡を歌っているバンドやったし、通じてて当然か。ひとまずそれは別の話として。
だからこそ、別れまでの時間をすごく大切にする。
話をしてお互いを知って、理解して、愛そうとする。

「この世に魔法があるなら―それは人が理解し合おうとする力のこと。たとえ理解できなくてもかまわないの。相手を思う心が大切」

ビフォア・サンライズ セリーヌのセリフ

「どんなカップルも一緒にいると数年で――互いの反応が予測できるから憎しみ合ったり飽きてくるなんて…私はそうはならないわ。相手を知れば知るほどその人が好きになる。どう髪を分けるのか、どのシャツを着るのか。どんな時にどんな話をするのか…。すべて知るのが本当の愛よ」

ビフォア・サンライズ セリーヌのセリフ

セリーヌのセリフ、むちゃくちゃじーんと来た。
私、はたして今まで恋人に対して理解を示そうとしたっけ。
私のことを理解しようとしてくれないアイツが悪い、とかそういうので済ませてなかったっけとハッとさせられた。

恋愛ごとに限らず、この作品自体が期限付きであることを最初から提示してる。

ウィーンで下車した瞬間から二人の時間が終わりに向かい始めていることを示唆していて、
すでにこの辺から泣き始めてた私。
いや泣いたって仕方ないんやけど。笑

特別な場所を訪れ特別な時間を過ごすことだけが旅じゃない。

私は旅行が好きだ。
よく旅に出ては面白いものを見て触れて、ああリフレッシュができた、
明日からまた嫌な上司やら仕事やらの顔を見なきゃだなーなんて思うことが多い。

思えばただの現実逃避なだけで、結局はその「いやなこと」から一時的に逃れられても
また自分を苦しめ、痛めつける日々が来るわけで。
それでまたある意味現実から離れられる「旅の計画」を立てるというループに陥りがちだ。

確かにそれは一時の辛さを和らげてくれるという意味で、私にとってはセラピーの一種のようなものだけど、根本的な解決にはなっていないのは事実。
だから結局はただの逃避行為にしかならないわけだ。

また以前、彼氏とフィリピンに2週間、滞在していたことがあったけど観光地を見つくした後は退屈で死にそうになった。
それもそのはず、私の中で旅行とは普段自分が見られないものを見たり体験する場所だという定義があったからだ。
裏を返せば、この目標が達成されさえすれば、その旅行にもはや興味は持てず、あとは飛行機が出る日を今か今かと待つのみ。
これって全くもって面白さに欠ける話だけど、私以外にもこんな人いるんじゃない?
ちなみにフィリピンで私は途中から部屋にこもってオンラインでバイトをしたり、Netflixばっかり見るようになっていたけど、彼氏は地元のジムを自分で探してトレーニングしに行ったりしていた。
この時は「そんなの日本でもできるじゃん」って思っていた私だけど、帰国日に「フィリピン楽しかったなぁ」と言った時の彼は本当に楽しそうな顔をしていたから、なんだか悔しかったのを覚えている。

たぶんそこに彼と私の間で旅に対する考え方の違いがあったんだと思う。

旅は非日常を経験すること、と思う私と
旅でも日常を経験するのは大切だ、と思う彼氏。

きっと日常、言い換えれば何気ない瞬間を楽しめるかどうかが旅に脚色を加えるんだろう。
それこそ海外旅行なんて、行きと帰りの日を決めて行くという意味で終わりが決まっているんやから、そこを「もったいない」という気持ちで楽しみ切れなかった私は負け犬だったなと今更ながら思う。

来月、私は2年ぶりに大好きなウズベキスタンに行く。
そこで友達やその家族に会う予定だが、それ以外はマジでノープラン。
でもそれでいいのかもしれない。
埋まらない予定表を見て、つまらないなぁと思うより、埋まっていないからこそ何気ない日常を経験するいいきっかけになるかもと期待したい。

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