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受け入れることを諦める

最近、受け入れる、という言葉が使われる場面が増えてきたと感じる。
ありのままの自分を受け入れる。他人との違いを受け入れる。今を受け入れる。苦手なものも受け入れる。
私自身は受け入れることを諦めている。だから、殊更になんでもかんでも受け入れようとは思わない。


昔は違った。頑張ってなるべく色々受け入れようとしていた。それを諦めたのはシステマのマッサージがきっかけだ。
そのとき私が受けたのはスティックを使ったマッサージだ。モスクワ本部公認インストラクターの元島さんにして頂いた。彼は最近健康に関する興味深い本を出している。

彼のマッサージは凄く痛かった。痛いマッサージはそれ以前も経験していたが、そのときは身体の深くまでスティックが入ってきて、悶絶し、何度か呼吸ができなくなった。最近のシステママッサージはソフト化しているらしいが、深いレベルの緊張にアプローチするコンディショニングは痛みを伴うことが多い。どちらを受けるかは事前に要望可能なので、参考になれば幸いです。


マッサージ中、私は呼吸してなんとか痛みを受け入れ、リラックスしようとしたが、起きてくる緊張は私のコンフォートゾーンをとうに超えていて、どうしようもないと絶望した。

「痛みを受け入れようとしないでください。受け入れようとしたら、自分に耐えられる痛みしか受け入れられません。蝕まれる、という感じでいるのがオススメです」

元島さんの声が聞こえたのはそのときだ。
意識が遠のいていたので、正確には何と言ったか不確かだが、蝕まれる、という表現は今でも記憶に焼き付いている。


それから、私の中で何かが変わった。痛いのも苦しいのも相変わらずだが、無理に「受け入れよう」と思わなくなった。ただ呼吸だけに集中した。呼吸ができなくなるほど緊張が強くなっても、鼻から吸って、吐くという動作を続けていたら、少しずつまた息が出入りし始めるのを感じた。

あのマッサージの後、私の物事への向き合い方は変化した。強い緊張やストレスを無理に「受け入れよう」とするのをやめた。不快感が強くなったときは、「あー今蝕まれてんなー」と思いながら呼吸し、休むか動くかを、身体と相談して決めるようになった。

受け入れる、というのは能動態の言葉だ。脳から身体に命令を与えて行うことなので、筋肉の緊張が自動的に起きる。それに大して、蝕まれる、は受動態だ。自分でコントロールしようとしていないので、こちらのほうがむしろ楽だといういことに最近気付いた。

私は数ヶ月の引きこもり期間を終え、再び社会に出る準備を進めている。これから先もストレスに蝕まれたら、呼吸して、回復しながら戦い続けたい。

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