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考察 「なぜ先生は剣を何振りも作るのか?」(その1)

執筆:狛犬(狛犬&獅子)


令和2年3月30日、刃渡り137cm・全長190cm・鞘拵え2mの日本最大級の 剣が完成した。剣の名は「天沼矛」またの名を「天尾羽張剣(十握剣)」
この4年で太刀や剣を三振り先生は作られた。
一振り作るだけでもゆうに1年はかかる。「なぜ先生は剣を何振りも作るのか?」この事を私なりに考察してみた。すると、ひとつの結論にたどり着いた。あくまでも私見である。
けれどもこの結論が今の私の活動するエネルギーになっているのも事実である。

それでは、「なぜ先生は剣を何振りも作るのか?」を始めます。

私が先生と呼んでいるのは、一般社団法人白川学館代表であり平安より続く白川神道、そして何千年何万年と続いている「おみち」の継承者「七沢賢治」のことである。
先生との出会いは8年程前。白川学館が立ち上がってすぐに門人として「おみち」を習い始めた。その後、七沢研究所にご縁を頂き、今までご厄介になっている。
そして、気が付くといつの間にか刀作りの担当者になっていた。

初めて刀作りを担当したのが「横綱太刀」。日本人力士を横綱にするために作った太刀。
そして二振り目が「八握剣」。天皇陛下の御代がわりの為に作った剣。
三振り目が先ほど収めた「天沼矛・天尾羽張剣(十握剣)」。祝殿の御神体として作られた剣である。

なぜ先生は短期間に三振りもの剣を作ったのだろうか?先生のことだから 何か意味があるはずである。確かに一振り一振りそれぞれ意味は有る。それを三振り作り終えて納めた時に、不思議な共通点が見えてきた。

『もしかしてこの三振りの剣、全て「タケミカヅチ」が関係しているのではないか?』と思えてきた。

「タケミカヅチ」ご存じ雷の神として日本神話に登場する有名な神である。ちなみに先生の好きな神様でもある。
これだ!先生が好きな神!これだけでもう、間違いないと思えてきた!!

「タケミカヅチ」と三振りの剣「横綱太刀・八握剣・天沼矛(天之尾羽張剣・十握剣)」の共通点

一振り目は「横綱太刀」と「タケミカヅチ」の関係。タケミカヅチは日本神話に登場する神。「古事記」の中に国譲りのお話がある。その中で大国主の息子タケミナカタと力くらべをした。その力くらべが相撲のはじまりともいわれている。そこで「タケミカヅチ」は相撲の神とも呼ばれている。

「タケミカヅチ → 相撲 → 横綱太刀」

無理なくつながった。

二振り目は「八握剣(ヤツカノツルギ)」
この三振りの剣、実は全て隕鉄が使われている。
隕鉄とは、隕石の中でも、鉄・ニッケル・クロムが含まれており鉄の純度が90%以上のものを隕鉄と呼ぶ。この剣は、その中でも鉄が93%と純度の高いものを使用して作られている。隕鉄自体も鑑定書付きで博物館に展示されるレベルの物だ。

隕鉄の加工はとても難しく、普通の刀鍛冶では、隕鉄をまとめ上げることすらできない。(注:融点が違う鉄以外の物質が含まれるため、まとまらずバラバラになってしまう。)
なので隕鉄刀で有名な榎本武明が大正天皇に贈った刀も、隕鉄と鋼の割合を6対4ぐらいまで混ぜてまとめ上げている。

今回この三振りの刀を作り上げた刀匠は、日本で唯一いや世界で唯一、隕鉄のみで剣として打ち上げることのできる刀匠である。
先生のお父様の代から縁のある刀匠は、刀鍛冶歴40年、今までに刀を400振り以上作っている。隕鉄での刀作りを試行錯誤のうえ、体得した刀匠は、いまでは隕鉄の癖を見極め、40振り以上の隕鉄刀を作っている。
(注:隕鉄だけでは日本刀として登録することができないため、刃の部分のみ鋼を使用。)

剣作りは、剣の材料になる隕鉄を焼き、鎚を打って・畳んで・伸ばして日本刀を作る。
隕鉄に始めて鎚を入れることを「初打」という。
今回は、その初打ちの時に一人のゲストをお招きした。菟田家当主。九十代続いている日本の中でも名家中の名家。古事記にも高倉下として登場する。
その高倉下の末裔である、菟田家の当主に一打ち鎚を振るっていただいた。

不思議なことに、菟田の当主が鎚を入れただけで、出来上がった剣、「八握剣」に菟田流の印でもある「菟田煮」が浮かび上がった。
「菟田煮」とは剣の波紋に煮え粒と呼ばれる点々が現れる。その煮えの付け方は菟田流独特で真似をして出来るものではない。 
刀匠が、初めて自ら打った剣に自分の流派とは違う「菟田流の証の煮」が現れたと驚いていた。
この剣には不思議なことがまだまだあるがその話は後程。

「八握剣」と「タケミカヅチ」の関係だが、神武東征のおり神武天皇が負けそうになっていた時に、天照大御神に言われて神武天皇を助けたのが「タケミカヅチ」である。

天照大御神に神武天皇を助けるように言われたタケミカヅチは「私が行かなくても、国譲りの時に使った剣を送れば片が付く」と剣を送りその剣を神武天皇に届けたのが高倉下である。その剣を使い神武天皇は、東征をやり遂げたのである。

「タケミカヅチが剣を送る→高倉下・菟田家が隕鉄を打つ→八握剣が出来る」これも見事につながっている。

そして、三振り目「天沼矛・天尾羽張剣(十握剣)」。
この剣は、制作過程においてことごとく雨や雷について回られた。
「天沼矛・天尾羽張剣(アメノオハバリノツルギ)(十握剣)」の剣を打つ初日に刀匠の作業場にお邪魔した時のこと、晴天だった空がいきなり曇りだし豪雨。
剣が打ちあがり「焼き入れ」の時には、先生にもいらしていただいたのだが、先生が到着早々、雷鳴が轟き、焼き入れする頃には豪雨である。
雨や雷はまだ続く。伊勢の鞘師に剣を届けた時も雨。
伊勢神宮に完成の予祝の為に参拝に訪れた時は、「まさか雷が鳴ったりして!」と刀匠と冗談を言い合っていたら「ゴロゴロゴロ」と、まるで聞いていたかのように雷が鳴りだした。

外宮参拝の時は、参道までは晴れていていざ参拝というときに、雷が鳴り雨が降り出した。内宮でも同じく、内宮の長い階段を上り始めた途端、豪雨で雷も鳴り出した。
参拝を終えると、傘を持っていたにもかかわらず、全身びしょ濡れで、靴の中までぐっしょりだった。

その後いったん晴れたが、伊勢から甲府に戻る途中、甲府盆地に入るまで前が見えないぐらいの豪雨が続いた。
甲府に戻り、先生にお聞きしたら「祝福と禊だね」とおっしゃられた。
この剣は、間違いなく雷の神「タケミカヅチ」に祝福されてるようだ。
「天沼矛・天尾羽張剣(十握剣)」この剣は八握剣と同じ高倉下が打った隕鉄を使用して作られており、まさに雷の神「タケミカヅチ」がこの剣に入ったかのようである。
そして、焼き入れの際にも「剣を持った高倉下」が炎の中に現れたのをカメラで捉えている。
間違いなくこの剣も「タケミカヅチ」とつながっている。

と、いろいろ述べてきて何だが、私の頭の中に一つの疑問が湧いて来てしまった。
『先生はなぜ「天尾羽張剣」を作られたのだろう・・・?』
(注:この天沼矛には別名で天尾羽張剣「十握剣」という名が付けられている。)

国譲りの時も神武東征の時も「古事記」に出てくるのは「布都御魂(フツノミタマ)」。国譲りの時、稲佐の浜に剣を突き立て切先に胡坐をかいてタケミカヅチが座っていた。
その剣が「フツノミタマ(剣)」。神武東征の時、病に苦しみ負けそうになった神武軍を助けた剣が「フツノミタマ(剣)」・・・

暗礁に乗り上げてしまった。

もう一度「天尾羽張剣」を調べ直すことにした・・・。
先生が作るのだから、何か意味があるはずだ! 何だぁ。

あっこれだ。手がかりを見つけた。

やはり「天尾羽張剣」でなくてはならないことが分かった。「天尾羽張剣」がないと「タケミカヅチ」は生まれてこないのである。

「天尾羽張剣」。この剣の持ち主は、イザナギの命である。
イザナギとイザナミが国生みを終え神生みをしている時、イザナミが「火のカグツチ」を 生んだ。その時に負った火傷がもとで死んでしまった。
それを悲しんだイザナギが火のカグツチを切り殺してしまった。
その時に生まれてきたのが「タケミカヅチ」である。
そう、この剣がなければ「タケミカヅチ」は生まれてこなかったのである。

やはり「天尾羽張剣」には意味があったのである。そして別名「天沼矛」。
もちろんこれはイザナギの神・イザナミの神の二神が国生みをする時に使ったものである。

これで全ての剣がつながった。この剣を「言霊学的」に使うとどうなるだろうか?

(つづく)


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【狛犬(狛犬&獅子)プロフィール】
道人(どうじん)
 【狛犬】
大野靖志との出会いがきっかけとなり 七沢賢治と対面。その折「弟子にしてください!」と言う。
賢治先生は弟子は取っていなかったが、なんと言った者勝ちで「一番弟子となる。
その後、白川学館が立ち上がり一期生として入門。七沢研究所に参加。

【獅子】
狛犬の誘いを受け、大野靖志に逢う。その後、白川学館二期生として入門。一人で居ると必ず「狛犬は?」と聞かれるのが悩み。
元・番組制作会社勤務の腕を買われ、七沢研究所に参加。

現在:出家1号2号となる。肩書き「道人」

作品:「白川学館入門講義」「白川探訪」
   「横綱太刀物語」 他。


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