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「予兆」 ─ 未来を予知するボディワークの美

執筆:美術家・山梨大学大学院 教授 井坂 健一郎


肉体と場との関係から知り得ること

榎倉康二(えのくら こうじ, 1942-1995)は、1970年代初頭から紙、布、フェルト、革などに油を染み込ませる手法で作品を制作し、それらをあらゆる空間に設置することにより、場を変貌させるインスタレーションを試みました。

それと同時に、自身の肉体と場との関わりを多くの写真作品を通して問題提起してきました。

それは、「自分の居場所を確認する試み」でもあったのです。

榎倉は自身の作品について次のように語っています。

「肉体と物との緊張感こそ私が探りたい事であり、そしてこの緊張感が自分自身の存在を自覚し得る証しだと思う」
(岡田潔,『1970年 − 物質と知覚 もの派と根源を問う作家たち』, 読売新聞社, 美術館連絡協議会, 1995年, p. 54)

榎倉が言う「自分自身の存在を自覚し得る証し」は、次にやってくる未来の予兆を摑むことにもつながり、彼は自らの肉体と場との関係からそれを体得したのです。

宇宙、地球、肉体が一体化するとき

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「永遠に寄せては返す波が岸辺を洗う。世界に帰属するための媒体としての身体、あるいは、周囲の世界からの分離の気づきとつながりたいという我々の思いを、これ以上に痛切に表現した作品はない。」
(Groom, Simon. "Encountering Mono-ha", Mono-ha: School of Things. Kettle’s Yard, 2001, pp.17-19)

上記は、美術展の企画などを担当するキュレーターのサイモン・グルームが榎倉の作品「P.W.-No.40 予兆 - 海・肉体」を評したものです。

波打ち際に肉体を沿わせた「その一瞬」は、その一瞬の前後にはない未来への入口に立ち会える瞬間でもあります。

その一瞬の次に起こる一瞬は、波が引いていくかもしれませんし、肉体を包み込んでしまうことも想定されます。

つまり、榎倉作品での予兆とは予定調和ではなく、思いがけないことが起こる兆しを孕んだ一瞬を暗示しています。

床に手は触れず、影もまた近づかず

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榎倉の「P.W.- No.51 予兆 – 床・手」は、自身の手が床に触れる直前に起こる手と床の「間」を問題とした作品です。

この作品もまた、その次の瞬間に起こることを予想できません。

次の瞬間に手が床に着地するかもしれませんし、そのまま手を遠ざけるかもしれません。
あるいは、しばらくの間、手の位置を固定して床が発するエネルギーを感じ続けるのかもしれません。

「次の瞬間に絶対こうなる」ということはないのです。あらゆる状況が想定できましょう。

これらの行為のストーリーは多様にあるわけです。「絶対こうなる」というのは、経験上での思い込みでしかなく、それが日常生活において、自身を危険にさらすことにもつながりかねません。


場と同化する肉体と心

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榎倉の「P.W.- No.46 予兆 – 柱・肉体」を見た人は、美術作品と思わなければ何をやっている場面なのか想像がつかないでしょう。

気分が悪くて倒れ込んでいるわけではありません。

この作品では柱に肉体を沿わせていますが、もしも構造物に「気持ち」があるとすれば、肉体を沿わせることでその「気持ち」がわかるようになるでしょう。

暑い日も寒い日も、その場を支えるために立ち続ける柱。

肉体を場に同化させると共に、意識を物質に擦り込ませます。それが意識を肉体から解放させることにつながります。

そうすることによって、あらゆる雑念のない「空」の境地に至ることができます。

その「空」の状態で得る予兆は、いかなる事象にも対応できる精神の完成に至ることでしょう。

宇宙エレベーターとしての造形

榎倉の作風の特徴として、「事物と肉体が対した時に起こる緊張」が挙げられます。
その緊張から生まれる「自己消滅」や「無機物への回帰」が、人間の意識を宇宙へと誘うに違いないでしょう。

今回取り上げた写真作品のみならず、彼の絵画、インスタレーションにも同様の「宇宙エレベーター的要因」が大いに含まれていますので、ぜひ榎倉作品の全貌に触れてみてはいかがでしょうか。


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【井坂 健一郎(いさか けんいちろう)プロフィール】

1966年 愛知県生まれ。美術家・国立大学法人 山梨大学大学院 教授。
東京藝術大学(油画)、筑波大学大学院修士課程(洋画)及び博士課程(芸術学)に学び、現職。2010年に公益信託 大木記念美術作家助成基金を受ける。
山梨県立美術館、伊勢丹新宿店アートギャラリー、銀座三越ギャラリー、秋山画廊、ギャルリー志門などでの個展をはじめ、国内外の企画展への出品も多数ある。病院・医院、レストラン、オフィスなどでのアートプロジェクトも手掛けている。
2010年より当時の七沢研究所に関わり、祝殿およびロゴストンセンターの建築デザインをはじめ、Nigi、ハフリ、別天水などのプロダクトデザインも手がけた。その他、和器出版の書籍の装幀も数冊担当している。

【井坂健一郎 オフィシャル・ウェブサイト】
http://isakart.com/










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