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低テンションは正義

いつもの通勤ルートとは違う路線で向かうは横浜。

東横線の車窓からの眺めを視覚情報処理しながら、いつの間にか昔のことが蘇ってきた。当時はシャカリキに仕事をして終電から始発まで乗ったなーなんてジジくさいことを回顧していた。回顧のさらに奥深くに潜ろうとしていたその時、みなとみらいに到着。何年振りかにみなとみらいに降り立った。

懐かしい。
駅を出て、変わってないところと変わりまくったところが入り混じる嬉しさと寂しさが絡まって消化するのに少し時間を要した。

入社してすぐの2年間通ったこの通勤路を久しぶりに歩くが、今でも自動運転機能がついた車両の如く、自動的にルートを体が覚えていた。


仕事に託けて、同期へ連絡しておいた。その同期とは実はこのnoteに書いた女性の同期。

コロナ禍でどうにも飲みに行けないので、ランチだけでもと誘ったら、在宅ワークだったのにわざわざ出てきてくれたわけだ。


二人で会話するのは数年振りで少し緊張感のある中で合流した瞬間、緊張が吹き飛んだ。数年振りにあったとは思えないほど、テンションが低い。それが妙に心地良かった。無理してテンション上げてくれないこの感じ。これだ、求めていたのはこれだ、と心から思えた。低テンションって正義だと思えて、なんだか嬉しさが込み上げてくる。

同じ小籠包・サンラータンメンセットを食べながら僕は聞き役だった。BTSにハマっていることや娘と月見をしてお団子を食べたという他愛のない話を聞きながら僕は平和を感じ続けていた。母親を本当にやっていることを驚いた僕に「母親やってみたらできてる」とこれまたテンションを無理にあげないトーンで微笑み返してくれた。

わざわざ横浜に来てくれたんだからとランチをご馳走してくれた。東京と横浜なんて30分あれば来れるのに。「こんなこともないとなかなか会うことないんだから」と心温まるような冷たいような一言をボソッと添えてくれる。ここまでくるとさすがだと思わざるを得ない。

会わなくなる予感がしたその人と今度はまた会いたくなる予感がした。次会うときはゆっくりビールを今度は僕がご馳走して、また他愛のない話を延々としたい。

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