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切羽詰まってゲーム機を買った話

2023年の初夏、ニンテンドースイッチ有機EL本体を買ってしまった。ゲーム機を購入する余裕があるわけではない。なんなら、ゲーム機を買っている場合ではないのだ。

だが、人生で初めて、かなり切羽詰まりながらゲーム機を求めることとなった。

なぜか? 運動をするために。
そして、運動不足の解消、からの、体重を落として色々な不具合──主に腰痛だ──をなくしていくために、ニンテンドースイッチを、加えて『リングフィット アドベンチャー』と『フィットボクシング2』をも購入したのだ。

それまで、とくに2022年の冬から2023年の春にかけては身体と精神の具合が極悪でロクに人間としての生命活動ができていなかった。
外に出かけることがまともにできていなかったし、何食って生きてたかもよく覚えていない。寝たきりといっても過言ではないくらいに動かず、どんな動作をしてもすぐに腰が痛くなるし、筋肉も衰えてしまったのか何かを拾おうとしてしゃがもうとしても、屈伸するのが大変だった。完全に老人だ。

このままではさすがにまずい。ロジックとしてそう分かってはいても、身体が、精神がついてこない。

ものすごく興味をひかれた美術展が冬場にあった。1月の下旬で終わってしまうので、会期中に必ず行って見てみたい。絶対に得るものがたくさんあるはずだ。本当に見てみたかったのだ。

だが精神が追いついてこない。早く行かなければ終わってしまう。貴重な展覧会が。安っぽい言い方になるが「運命的なものを感じた」美術展が。
なのに、まるで立ち上がるという行動を忘れてしまったかのように立ち上がれない。「行きたい、見たい。でも今日は行けそうにないな……明日こそ」の繰り返し。

身体はもう当然言うことを聞かない。それに何の整備もされていないので少し歩いただけで腰痛がひどくなり歩けなくなる。こんなんじゃ展覧会なんてまともに楽しめるわけがない。

結局その美術作品展には行くことができなかった。
たくさん勉強したいことがあったのにも関わらず。

しばらく、浮き沈みの激しい日々を送った。
感情がコントロールできないことがまま有り、些細なことでイライラするシーンも増えた。

そんな中でもプレイできていたゲームがあった。『モンスターハンターライズ:サンブレイク』。
ありがたくも、友人がニンテンドースイッチライトを、送ってくれたものがあった。

オンラインプレイをするのが日課だった。4人集まって強敵に挑むプレイスタイル。最中、普段だったら気にならない他プレイヤーの行動やミスがまあ驚くほど気に障る。
そのイライラはどんどん膨れ上がり、プレイがまったく楽しくなくなっている。
なかなかまともな精神状態じゃないな、とゲームを中断して、一旦横に置く。そう判断できる心がまだ残っていたのは、今思えばラッキーだったような気がする。

散歩をして少しずつ体重を落とし、調子を整えたいがそれも無理。運動不足ばかりが極まってゆき、それによる腰痛も……


ジム。いっそジム通いを始めるのが賢明では?
始められる状態にないのは明らかだ。契約したとしてまともに通うこともできないだろう。

月に数千円を支払うことで「行かねば損」の精神を練り上げて継続できるのでは? と安易に思ったが、人目を気にして身支度するコスト。サボるのも最初は抵抗感があるだろうがそれも慣れてしまえばサボりもやがては容易になる。

このままでは非常にマズイ。
迷いに迷ってゲームに頼ることにした。本体とソフトの価格を合計すると5万円近い出費になる。正直な話、そんなものを買う余裕など全くない。が、逆を言えばジムに払う月謝を考えるとそっちの余裕もないのだ。

だが、ゲーム機のほうは買ってしまえばそれっきり。サボっても月謝はかからないし、何より重要なのは「人目を気にしなくて良い」という事実。
どんなに頭がボサボサでも、シャツがヨレヨレだろうと、インストラクターは画面の中のデータなのだ、何も気にしなくて良い。しかも大好きな声優の声が運動のサポートをしてくれるし、励ましてくれるし、労ってくれる。

結果、ゲームでのトレーニングを続けられたことにより物を拾う際の屈伸も苦ではなくなったし、腰痛もかなり改善されたと思う。しばらく歩いていても以前と全く違ってすぐ腰が痛くならない。
ああ、体を動かすのに苦しまなくて良くなった……というだけでもう、「成果は出た」と断言して良い。

気軽にサボれる。
というのは、実はすごく大事なことなのかもしれないのか? だからこそ気軽に続けていけるのかもしれない?


さて。
そうして大塚明夫さんの声に導かれながら虚空を殴り続ける日々なんだけども、これってきっと、サンドバッグがあるととっても捗るんだろうなあ……とも思う。

サンドバッグも、パンチングボールドラムも買うわけに行かない。といって、「このあたりを殴る」みたいな意識をしておかないと、目線の先にあるニンテンドースイッチの有機EL画面を殴り飛ばしてしまう可能性がちょっとだけある。

だからではないけど、あまり言葉に出したくない──出せない──この世界に対するありとあらゆる愚痴や、この世の理不尽をゲーム機の画面と己の間に浮かべては、夜な夜な只管に殴り続けている。

"痛い" の "痛い" の、飛んでけ!

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赤嶺 臣
死ぬ前に残しておこうかな、くらいのものを書き綴っています。 サポート? やめておいた方がいいよ。