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2021年東京のゼッケン 連載第1回

 車いす陸上選手の鈴木朋樹がInstagram(インスタグラム)に投稿した写真には、本人の姿は写っていない。陸上競技用の車いすの一部分、ゼッケンを付けた座席付近が背後からクローズアップで捉えられている。ゼッケンそのものは国内外で開催される他の陸上競技大会で目にするものと、大きさや形、材質にも違いはないように見える。ただ、そのゼッケンには、選手の名前の下に「TOKYO2020」という小さな文字と、パラリンピックのシンボルマークであるスリーアギトスが描かれていた。
 新型コロナウイルス感染症の影響で1年延期となり、5年ぶりに開催されるパラリンピック。このゼッケンを付けることができるのは、2021年夏の東京パラリンピックに出場する選手だけだ。

 FacebookやInstagramなどのSNSを使った選手自らの発信は、パラスポーツ専門のウェブサイトを作っている私にとって、彼らの近況を知る情報源の一つになっている。国内外の競技大会に出かけ、試合の終了後に選手から話を聞いたり、選手の所属企業の広報窓口を通して個別にインタビューを申し込むなど取材の方法はいくつかあるが、新型コロナウイルス感染症の影響で、対面で選手を取材する機会をつくることが難しくなっていた。
 選手のSNSを見ていると、トレーニングの様子が写真や動画でアップされていることがある。小中学校などでパラスポーツ競技の講師を務めたことを報告していたり、トレーニングウェアやシューズを提供してくれるスポンサー企業を紹介しているものもある。家族や友人などと楽しく過ごしている日常の一コマが垣間見えることもある。そうした写真や動画を見ることで、断片的にではあるが、選手の様子を知ることができた。
 コロナ禍が続く中、私がフォローする選手は増えていった。陸上、ゴールボール、水泳、車いすバスケや車いすラグビーなど、様々な選手の投稿をこまめにチェックするようになっていた。

「明日から僕の東京パラリンピックが始まります」
 車いす陸上の鈴木朋樹が投稿した写真の下には、短いコメントが書かれていた。フォロワーたちが反応し、「頑張れ」「輝け」「応援しています」などのメッセージが続々と書き込まれている。
 鈴木がInstagramに投稿する頻度は多くない。ひと月に2~3度あれば多いほうだ。前回の投稿から3カ月以上の期間が開いていることもある。
私が鈴木を取材するようになってから7年ほど経つが、こんなふうに大会に掛ける意気込みを、事前に自ら発信するのを見た記憶がなかった。
パラリンピックは、パラスポーツの国際大会の中でも最高峰と位置付けられる大会だ。
 鈴木にとって初出場となるパラリンピック。これまで出場してきた大会とは異なる、特別な思いがあるのかもしれない。

 国立競技場のトラックを走る鈴木を想像した。照り付ける太陽の下、鈴木の両手が車いすの車輪の外側に付いている漕ぎ手(ハンドリム)を上から下へ押し出す。漕ぎ手に連動して車輪の回転数が上がり、車いすのスピードが上がっていく。黒いフレームの車体が風を切って走っている。複数の選手の集団から鈴木の車いすが前へ前へと抜け出していく。そんなイメージが思い浮かんだ。

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 車いす陸上競技用の車いすは「レーサー」と呼ばれている。レーサーと聞くと、「F1」など自動車レースのドライバー(運転する人)を思い浮かべる人が多いかもしれない。しかし、車いす陸上において、レーサーは競技に使う乗り物(車いす)を指す。
 日常生活で使用されている車いすは4輪構造になっているものが多い。座席の左右に車いすを動かすための車輪が付いており、座った人の足元近くにも左右にキャスターと呼ばれる小さな車輪が付いている。一方、レーサーは小さい前輪1つと座席の左右に1つずつ車輪が付いた3輪構造だ。前輪から後輪までの長さは1m70㎝~1m85㎝ほどで、縦に長い。前輪と後輪をつなぐ車体の軸となるフレームにはアルミやカーボンの素材が使われている。
 選手は直径約70㎝の後輪のホイールに付いている円周状の漕ぎ手(ハンドリム)を、グローブを装着した手で押し出す。するとハンドリムに連動して車輪が回転し、レーサーは前に進む。ハンドリムを時計に見立てると、12時の位置で手を触れ、6時の方向へ反時計回りに一瞬で押し出して手を離す。レーサーのスピードを上げるため、選手たちは、この動作を繰り返す。

 レーサーを漕ぐ動作は、自転車に乗った時に、足でペダルを踏みこむ動作に似ている。踏み込むピッチを上げると自転車が加速するのと同様に、ハンドリムを押し出すピッチが上がると車輪の回転数が増えて、レーサーが加速していく。
 パラリンピックに出場するような世界トップクラスの選手たちは体型や漕ぎ方などにあわせて、レーサーをオーダーメイドするのが普通だ。選手それぞれ座席の広さや高さ、車輪の大きさなどを選んでいる。レーサーの車体ができあがってからも、座席にウレタン製のクッションを付けて臀部の高さを変えるなどの調整を加える。自分に適した状態になっている時、レーサーは単なる「乗り物」ではなく、まるで身体の一部のように感じられることもあるという。レーサーに乗って走り続けるうちに、それは自分の身体や動作に馴染んだものになり、身体と一体化していると感じられるようになるのかもしれない。

 鈴木がInstagramに投稿した写真を改めて眺めた。レーサーの座席背面に付けたゼッケンに焦点が当たっている。
 そのゼッケンの白地は、スタートラインに引かれた白い線を想起させた。名前を刻んでいる黒い文字が、レーサーの黒いフレームに見えてきた。いよいよ明日、鈴木はパラリンピックの舞台に立つのだ。(つづく)

(文・写真:河原レイカ)

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