見出し画像

救世主はどこにでも:佐藤尚武と村上宗隆

 佐藤尚武という人物を知っているであろうか。おそらく1930年代の日本外交史を多少かじったことがあれば名前を聞いたことがあるとは思う。彼は、1937年4月から6月まで、当時の林銑十郎内閣の外務大臣を務めた親英米的な人物だ。彼が外相を務めていた時期の日本外交は「佐藤外交」とも呼ばれ、研究者の中ではそれが当時の日本の置かれていた国際状況を改善する可能性があったものとして高く評価するものもいる。
 そもそも当時の日本の国際状況はどのようなものであったか。すでに1933年3月に日本は国際連盟を脱退し、1935年には中国における華北分離工作が行なわれ、1936年には日独防共協定が締結されている。そのため、日本は、特に対中、対英、対ソ関係においてかなり関係を悪化させており当時の日本外交はかなり難しい状況にあった。そのようななか国際協調路線を目指す佐藤が外相に就任し、それが陸軍内の穏健化傾向と重なったこともあり、対外関係の改善の可能性がうまれたのである。
 佐藤の存在は、危機的状況を迎えた日本にとって救世主のように自分には感じられた。そして、自分が佐藤に対していだいた感情と同様の感情をいだく人物がいる。それは東京ヤクルトスワローズの若き4番村上宗隆である。ヤクルトは、当時の世界における日本同様、セ界において危機的状況に陥っている。セ界の火薬庫といわれていた時代は終わり、打線は湿気まくり、二年連続最下位、20年シーズンに関しては勝率が4割にも満たない状況であった。しかし、そんなヤクルトにも希望がある。それが村上宗隆だ。正直、野球をやったことはなく技術論などはほぼわからないが、村上はすごい。今期の成績は打率.307、本塁打28、打点86、OPSは1を超えている。去年何試合か球場に見にいったが、勝つか負けるかより村上がホームランを打つかどうかのほうが個人的には重要であった。正直、試合に負けても村上がホームランを打ってくれればそれでいい。そのくらい村上は自分の心の支えであり「パクス・ムラカミーナ」とまで言っても差し支えないであろう。一番お気に入りの村上は、7月2日対広島戦でスコットから打ったサヨナラ満塁ホームランだ。かっこよすぎる。
 佐藤のことを考えているとき、必ずそのそばに村上がいる。村上をみているとき、必ず佐藤の面影がそこにはある。佐藤外交は、結局三ヶ月で終わってしまい、大きな成果を残すことはできなかった。だが、(おそらく)佐藤の生まれ変わりである村上はセ界において危機に瀕するヤクルトを救ってくれるはずだ。

これからも佐藤のことを考えると村上の顔が浮かぶであろう。あのぷにぷにしててかわいい顔が

佐藤尚武はより知りたい方は、以下の文献をご参照ください
・臼井勝美「佐藤外交と日中関係:一九三七年三月―五月」入江昭・有賀貞編『戦間期の日本外交』東京大学出版会、1984年、241~266頁。
・武田知己「佐藤尚武:洋服を着た武士」佐道明弘ほか編『人物で読む現代日本外交史』吉川弘文館、2008年、39~52頁。

村上宗隆についてより知りたい、見てみたいという方は是非神宮球場へ!


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?