3章⑨【仮想空間】 Season2 パラレルワールドの事実 09/30/2017
都市伝説[平成29年9月30日(土)]
今日はお休み。
一日、ゆっくりユーチューブの過去動画で都市伝説でも鑑賞しよう。
大学生は最高である。
好きな時に好きな人と好きなことできるのだから、人間関係にがんじがらめになった社会人には戻りたく無いなあ。
と言っても、オタクだから、ほとんど好きなことを1人で楽しんでいる。
現実から離れた、都市伝説の動画を見るのが、一番楽しくて、心安らぐ。
現実なんて、無くなってしまえ、現実が本当にバーチャルだったら、どんなにいいだろう。
平行世界があったら、行ってみたいものだ。
過去に戻るなら子供の頃がいい。
中学生、小学五年生。
子供の頃に戻って、人生もう一度やり直す。
今度は、親の言う通りに勉強して、運動も頑張って、親から褒められれば、虐待もされないだろう。
うちの親は、成績が良いことが人生において一番大事なことであると信じている。
成績が悪いのは、頭が悪いから。
頭が悪い子供が生まれたのは、自分の頭が悪いから。
親は、自分の頭が悪いことを、子供のせいにして暴力や暴言を吐く。
成績のいい姉は、叱られたことがない。
今度、また、子供時代に戻ったら、姉よりも勉強して、良い成績をとって、何も指摘できないほど優秀な子供になろう。
しかし、非の打ち所がなかったら、親は自分の頭の悪さを悲観するだろう。
そうしたら、また、暴言、暴力が始まるかもしれない。
一刻も早く独立できるように、頑張ろう。
仕事の仕方さえ忘れなければ、高校入学とともに一人暮らしをすればいい。
親がいなくとも、家事はできる。
嫌なことが起こりそうな時の回避もほぼできる。
こういう暗いジメジメしたトラウマを忘れさせてくれるのが都市伝説である。
都市伝説で面白いのが、『溜池Now』は、GyaOの動画配信サイトのもので、これは全く知らなかったが2006年から配信していたらしい。
ショコタンとムーの編集部のおじさんが織りなす、とってもシュールな空気感が都市伝説をさらに異様にする。
最近は『やりすぎ都市伝説』の過去動画観ている。
『やりすぎ都市伝説』は、10年も前から放送されていたようで、初回から現在までの動画を順繰りに観ていくと結構ボリュームがある。
初登場の関さんは、まだキャラも出来上がっていなく素人感が初々しい。
動画を観ていると関さんの成長も見守れるわけで、いろんな面で充実感がある。
都市伝説なんて、小さいおじさんとか人面魚なんか、浅はかで馬鹿馬鹿しいって思っていたけど、実は、奥が深くて面白いのだ。
この世はバーチャルリアリティー[平成29年11月25日(土)]
この世は、バーチャルリアリティーという動画を見て、急に悟った気がした。
YouTube動画を見て悟るとは思いもよらなかった。
長年、死んだらどうなるんだろうって、人間が究極の時に考える疑問を解決したいって思っていた。
オカルトの部類に入るのかも知れないが、現代のITの進化を考えたら、なくも無い、あり得る、可能性0では無い。
『現実はバーチャルリアリティーである説』とは、
この世はゲームであり、我々はシステムエンジニアによって管理され、いつ電源を落とされるか分からない世界にいるということである。
電源を落とされたら、この世の終わりである。
でも続きがあるかもしれない。
リセットして、また人生が始まる。
これが輪廻転生になるのかもしれない。
たまに、バグ(エラー)が発生していることが、あるのだけど、目眩とか錯覚と思ってしまうという、マトリックスのような世界である。
バカバカしいと思いながらも、目眩がすると、もしかしたらバグが出ていたのかな、などと変な想像をしてしまう。
だけど、この世が、本当に、バーチャルリアリティーだったら虚しすぎる。
あの感動も、あの虚しさも、あの時のあのことも全部虚構になってしまう。
しかし、反対に、全部諦めがつくかも知れない。
好きなことをして暮らせばいい。
ゲームだから落とし穴はある。
でも、ゲームだからリセットできる。
人生がバーチャルリアリティーだったら、自分自身って何だろうと思う。
どうせバーチャルリアリティーなのだから、と判っても、嫌なことがあったり、悲しんだりするのだ。
「こらこら!バーチャルなのだから、振り廻せれちゃいけないのに」
バーチャルリアリティーの動画を見てからは、神社にお参りに行くことも無くなった。
神社で、お参りする時に住所や名前いうのも、つまりシステム管理者に住所氏名を伝えないと管理できないというのである。
この世に神様はいないのか。
そんなことを知ってしまうと、お参り自体が馬鹿馬鹿しく思えてくる。
願いは叶う。
思いは実現する。
遠き昔から、スピノザも言っているでは無いか。
空海も言っている。
どうして空海は、もっと分かりやすく、
「現実がバーチャルリアリティーであって、お願いしたら叶えてくれるのは、担当のシステム管理者だ」
ということを後世に残してくれなかったのだろう。
哲学者は、なぜ難解な言葉で、まるで暗号のように格言を残すのか。
難しくて、何もわからないでは無いか。
もしかしたら、ちゃんと哲学書を読み込めば、バーチャルリアリティーなのだ、ということが別の言葉で書かれている可能性がある。
宗教を介しているからわかりにくいのだろうか?
それとも、人間に、このことがバレないように後に改竄したのだろうか?
それとも、偉人たちは、変人扱いを受けてしまうのを避けるために、敢えて宗教を介して、難解にしたのだろうか。
人間を幻滅させない為に。
そう思いながら、たまには、おじいちゃんのお墓まいりに行こうかなと思う。
「バーチャルリアリティー」だったら、おじいちゃんも復元させられるかも知れない。
だけど、そこまでは、やっぱり。
現実は、ゲームの中だけなの仮想空間なのかどうかは、イタコさんくらいしか、わからないのかも知れない。
イタコさんが本物だったら。
☆この世はバーチャルリアリティーだと思いますか?
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2018年の夏。 幽霊や宇宙人は相変わらず見えないけれど、ある日、世界が変わってしまった。 ある日から、ボクの周りが変わってしまった。 ど…
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