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酒飲みの私が居酒屋でオジサンを1年間観察した結果。オジサンは店の名物になった。

私が酒場の楽しさを知ったのは、二十代の半ばを過ぎた頃からである。

私の住む町には、駅前や商店街界隈を始めとしていくつもの酒場がある。
なので、酒場に居合わせたお客に別の店の評判を聞き、翌日の夜にはその店に出向いてみる、ということがいくらでもできた。
「〇〇さんからこのお店を教えて頂きました」などと言うとどの店のご主人も必ず歓迎してくれた。
そこでたまたま紹介主を見かけたりして「先日はどうも!」「本当に来てくれたんですね!」と、双方ほろ酔い顔で運命的な再会を祝福しあうこともあった。当時この町で初めての一人暮らしをスタートした私にとって、酒場で出迎えてくれる人たちの存在はとても心強かった。

そんなふうにして何軒かのお店を渡り歩き、結局私は自宅から一番近いお店に腰を据えることになった。
(おかしな表現だが、実際週に5日のペースで通ったこともあるくらいだから、ズバリ「腰を据える」という言い方が正しい)
居酒屋A屋」としよう。

A屋は、商店街のメイン通りから少し外れた路地裏に、隠れ家のごとくそっと佇んでいる。
1階がカウンターと四人掛けのテーブル席が2つ、2階が予約専用の座敷という構成である。
が、2階の座敷は商店街界隈の店主たちの打ち合わせや子連れのママ友らの会合に使用されることが殆どなので、私のような一人客にとっては1階がすなわちA屋の実質的な全貌と言ってよい。
 
ところで最近、私はA屋に来るとあるお客のことが気になっている。
マツダさん」という男性である。
(ちなみに、「気になっている」というのは恋愛対象としてということではない。私はマツダさんが放っている独特の人柄について、純粋な好奇心から強い関心を持っている。)

マツダさんは、我々と同じく一人でA屋に訪れる。年のころは六十~七十過ぎくらいだろうか。
来訪時はいつもスーパーでの買い物帰りで、両手にパンパンのビニル袋をひっさげている。
「今日もライフ行ってきたからな、寄ったろかと思てな。」などと言いながらやって来るのが常である。(「寄っていただきありがとうございます」、私は声に出さずにそう答える。)

マツダさんは必ずカウンターのど真ん中に座る。
隣席に友人が座るから、というわけではなくA屋の小型テレビが1番見やすい席がそこだからである。マツダさんは、テレビが好きなのだ。
運悪く席がふさがっている時には、テレビをわざわざ自分の目の前まで移動させるくらいに。

マツダさんの来店時間はだいたい、午後7時前後である。なので、A屋のテレビではニュース番組が流れることが多い。
マツダさんは、物騒な事件のニュースが流れると「こんなことするヤツはな、拳銃で撃ち殺したったらええねん」と実際の報道より物騒な意見を大声でかますため、マツダさんの隣に座るとハラハラする。

また、マツダさんはテレビと同じくらいプラモデルがお好きなようである。時々、スーパーの袋の代わりにディアゴスティーニの創刊号を抱えて来る日がある。
ディアゴスティーニは創刊号から最終号まで1パーツずつ揃えることでプラモデルが完成する雑誌であるが、マツダさんは創刊号しか購入しない。
私が「おお、創刊号ですね」と声をかけると「創刊号はな、安いからな」と得意げに返された。
創刊号しか購入しない理由は、マツダさんのお財布事情によるものなのか、彼の興味を最終号まで持続させる内容のディアゴスティ―ニにいまだ巡り合えていないからなのか、そこのところは不明である。

酔って上機嫌になったマツダさんは、持参したスーパーの袋から3割引きの総菜や袋麺を取り出し、周りの常連客に配布することが度々ある。
ご本人はその後「荷物が軽うなったわ」と嬉しそうに帰ってゆくが、私はA屋の常連客の何人かがそのお土産に内心困惑していることを知っている。

A屋の殆どの常連客には、愛称がついている。何度か来店を重ねるうち、大将が頃合いを見計らってつけてくれることが多い。
常連客の多くはこの下町界隈に住むご近所さん同士のため、同じ相手でも昼と夜で呼ばれ方が変化する人もいる。源氏名のようで面白い。
もちろん、マツダさんにも「マツじい」という愛称がある。あるのだが、マツじいと呼ばれることをマツダさんご本人が非常に嫌っており、呼ばれるたび真剣に「こら、なんちゅうた!」と怒るので、私は呼ばないことにしている。
しかし、「マツじい」という言葉の語呂があまりにも良いためか、ご本人が不在の時にマツダさんの話題が出ると、私はつい「マツじい」と口走ってしまうことがある。
そうなると、大将が「その名前で呼んだらあかんやん」と笑ってツッコむのを呼び声に、周りの常連客も「マツじい」の話に花を咲かせることとなる。
かくして彼のあずかり知らぬところで、「マツじい」なる渾名は大流行しているのである。申し訳ない。
(ちなみにマツダさん曰く「『おマツさん』なら、呼んでほしい」そうなのだが、そちらはちっとも浸透しない。)

マツダさんは時々、A屋に険悪な空気をもたらしてしまうことがある。私はもちろん、多分他のお客さんだって彼が悪意をもった人間でないことは重々承知している。
ただ、マツダさんは、思ったことをそのまま喋ってしまうようなのだ。
言い過ぎてしまう。それも、相手を挑発するような物言いで、言い過ぎてしまうことがある。
私の印象としては、かわいく例えるなら「クシャミやオナラがとても大きなおじさん」という感じである。
しかし、大した害がないとはいえでかいクシャミもオナラもできれば聞きたくないものなのであって、日によっては看過できないこともあるわけで、看過しきれなかった小さなうっ憤がA屋にしばしばさざ波を立てた。

しかしこれだけ長々と語っているものの、ほんとうのところ私はマツダさんをよく知らない。
テレビとプラモデルが好きで、買い物は3割引きの時間を狙ってライフで行う、生ビールと刺身が好きである、程度のことしか分からない。そういえば私は、昼間マツダさんに出会ったことが一度も無いのだった。

私のマツダさんへの興味は深まるばかりだ。
正直に告白すると、私はマツダさんの「人柄」に惹かれていたというよりは「偏屈なジイサンが、周りに煙たがられているにも関わらず手土産まで持って足繫く同じ店に通ってくる」という状況から目が離せないでいた。

A屋は(私にとっては貴重でありがたい安息の場であるが)もちろん普通のお店であるため、合わないお客とは自然と出会わなくなってゆく。
毎日のように顔を合わせていたお客とある日パッタリ会わなくなり、別のお客から「実はあの方、〇〇さんと反りが合わなくて…」というような話を後日聞くようなことも、私は何度か経験した。

果たして、マツダさんはどうなのだろう。

マツダさんは、週2日程度の頻度でA屋にやって来るようになっていた。私は彼以上に足繁く通い詰めるため、そのうちに、マツダさんに対する周りの反応が変化してゆくのを感じていた。(ご本人は週2でやって来るのだが、マツダさんの話題は体感週5くらいでのぼっていたように思う)
大将が「色々あるけど、マツダさんもA屋が好きなんだ」と総括するとカウンター常連席が「うんうん」と「そうかなぁ、苦笑」で半々くらいという感じになってきた。

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ここまでが、昨年に書き上げた私のA屋およびマツダさんの記録である。私は1か月程A屋へ通えず、春が来てまた通いだし、いつのまにか6月になった。この間にまた変化があった。

A屋にマツダさんがあらわれると、女性たちから歓声があがるのである。

あ、マツダさん!」「マツジイ!」マツダさんも、両手いっぱいの手提げ袋をこころもち上げながら「おぉ」と笑う。
さながらアイドルである。アイドルは言い過ぎかもしれないが、ゆるキャラくらいの人気を感じる
マツダさんとお会いできなかった日には、お店から「これ、マツダさんが昨日持ってきてくれたから」とおすそ分けを頂くようになった。
もちろん、スーパーで買ってきたものである。完全に定着している。
店の端々にはプラモデルや小さなフィギュアが置かれるようになり、「これ、どうしたの?」と尋ねるとだいたいマツダさん由来のものだったりする。

 今、大将が「マツダさんもA屋が好きなんだ」と言えば、全員がうんうんと頷くだろう。あっぱれ、マツダさん。

もはや、マツダさんは私にとって謎の人ではなくなった。マツダさんは、A屋馴染みのとっても愛らしいオジサンである

私は昨夜、マツダさんが差し入れたサクマドロップスの缶の上に、昼間ガチャガチャで入手したハムスターの人形を置いてきた。
上機嫌で帰ってきたものの、夜が明けて酔いがさめた今、「邪魔ではないか。引き取りにいかねば」と既にソワソワしている。
置きっぱなしで愛されているマツダさんはすごい。やはりあっぱれ、マツダさん。

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