京都旅行/日記

はじめに

この記事は神社仏閣などの見出しと、個人的な日記が混じっている。
六道珍皇寺や子育て幽霊の飴屋さんの話が目当ての方はそこだけかいつまんで見ることをお勧めする。

到着までのトラブル

4月の14.15と夜行バスで京都へ行った。
前日は休みをいただき、13の夜に夜行バスに搭乗。
夜行バスって一日経つだけで値段がとんでもなく張り上がるんですね、倍額程になっていた。
てっきりトイレのないものと思っていたがバスの真ん中あたりに用意されていて安心。
しかし何よりも肝心な充電口が私の席だけ壊れており充電ができない。それに気がついたときにはもう充電は残り17%ほど。
京都に着いたら友人が迎えに来てくれることになっており、連絡のためにも多少の充電は必須だった。
スマホの画面を見てる時間は絶対に常人より数倍長い私です、絶望。
隣は知らないおばさま。しかも夜行バスなので寝の姿勢。誰にも頼れず打つ手なしと諦め、事前にかっこんでおいた酒で眠った。

京都に着いたのは朝の5時で、霧雨が降っていた。春の陽気を予想していた私は肌寒さに震えた。
スマホの充電は切れていた。少し違和感を覚える。寝る前は17%はあったぞ?
とにかく連絡を取れないとまずいのでコンビニを探す。
東京駅もそうだが、慣れない人間が来る土地のくせに駅の直近にコンビニがなさすぎる。スマホマップが見られないと、自分の足で回るしかない。
しかし幸いセブンイレブンを見つけ、丁度いいインスタント充電器を買うことができた。すぐさまスマホに接続。しばし待つ。

しかし待てども画面が起動しない。もしかして壊れていたのはバスの充電口じゃなくて、私のスマホ?
それともインスタント充電器の質が悪い?
慣れない土地でのアクシデント、それも命に代わるとも言えるスマホ。私はもう…もう…
画面を確認しながら何度もケーブルを抜き差しする。すると、スマホを傾けたときに「スライドで電源オフ」の表示が見えた。は?
画面は一見真っ暗なのだがスマホを傾け、斜め下から見ると文字が表示されている。おかしくなってしまったのだ。充電ができているのかも確認できない。

よりにもよって旅先で?

人と待ち合わせしてるときに?

私はスマホをぶん投げる気力もなく、ただただ諦めと、そして儚い祈りを込めてまだ伽藍とした構内で立ち尽くしていた。

好事家の友人

スマホが応答した。なぜかはわからないし、このブログを書いている今現在もなんか画面がチラチラとする不具合が起き続けている。
でもそんな不具合はどうでも良かった。スマホがついた。
地図が見られる。電車に乗れる。
友人との合流もできる。知らない土地で拠点の目処も立たず何もわからない私に、この現地の友人はとてもありがたかった。

朝の5時、さらに小雨ではできることも少ないということで部屋にも上げてくださった。神社などに行こうとは思っていたのだがそれらが開く10時までを持て余していた私は、手土産も持たず実家に上がり込み居座った。
友人は神経症らしく、玄関の靴の配置を5分ほどかけて並べては変え、並べては変えていた。’’綺麗に整えたい’’とか’’片付ける’’、そういう動機ではなく’’これはこうだろう’’という友人なりの正解があるようだった。それはおそらく友人の美的価値観に基づくものだと思う。そして友人の生活と部屋はその病的とも取れる美的価値観で構成されているようだった。友人の中では全てがあるべき位置にあり、それから外れていたらあるべき形に戻す。
丁寧に生きたいと友人は零した。
部屋は美しく統一されていて、秘密/谷崎純一郎の主人公の部屋の描写の現代版という印象を受けた。てか改めて思えば友人自身がその主人公に似ている。
木製のデスクには暖色のランプが灯され、果物の身を模したガラスが入った小瓶が光を受けていた。
それについて触れると、部屋の光源に置くのだと教えてくれた。
聖書における禁断の果実らしい。
デスクの前には大きな窓があり、そこにも小さなガラス製の果実が垂らされていた。曇りのぼんやりと落ち着いた光できらめいていた。
友人を通して見る世界の話は聞き心地が良く長居をさせてもらってしまった。
猫にも挨拶をして、親切にしていただいたことにお礼を言って、お暇をさせていただいた。
お昼も過ぎていたので、そのままバスに乗り目星をつけていた神社へ行った。

六道珍皇寺を目指そうと思ったのだが時刻はすでに15:00で、お寺の閉まってしまう1時間前だった。なのでこちらは今回は諦め、子育て幽霊伝説の飴屋を経由し、閉館時間まで余裕のある六波羅蜜寺へ行くことにした。
ところが地図で見るよりもそれぞれの距離はとても近く、六波羅蜜寺への通り道で六道珍皇寺にお邪魔することができた。

六道珍皇寺


今回の京都旅行で大きな目的であったのは何を隠そうここだ。

以前に、ある短編を読んでいた。
青子さんにお薦めしていただいたちくま文庫のホラー短編集「家が呼ぶ」から物件ホラーにハマりたどり着いた「超怖い家」という単行本。
こちらに収められている「たかむらの家/花房観音」の舞台がここだったのだ。

わたの原 八十島かけて漕ぎ出でぬと 人にはつげよ あまのつり船

百人一首に収録されているこの和歌をご存知だろうか。
読み手は島流の刑に処されてしまったが、それでも堂々とした態度で、心配もいらない様子だ。心配はいらない様子だと伝えてほしい、おそらくその’’人’’とは彼の大事な人だったのだと思う。そんな切ない歌を読んだ彼こそ小野篁である。

そんな切ない和歌とは裏腹に、六道珍皇寺に伝わる彼の姿は得体の知れない怪しい冥土の使いだ。
六道珍皇寺には、篁が底を通って地獄へ行き来し、閻魔様に支えていたという井戸がある。 

門をくぐってお堂の右側に木造の倉庫があるのだが、中は見えない。
但し書きには「左の穴からのぞいてください」「写真は禁止」の文字。
中にあるのは小野篁の像、そして小野篁の彫った閻魔像などだ。


実際支えていた人が掘ったと思うと、なんとなく現実味のある迫力を感じる。
小さい穴からこっそりのぞいてる状況もあいまり、ギョロリとこちらを見られたら、なんて想像をしてしまい興奮する。小降りだった雨が突然強くなり、何人かいた観光客が帰って行った。急な土砂降りだ。

お堂の脇には塀があり、井戸はその塀にある小さい格子から覗ける。
靴を脱ぎ小上りから中庭を除くと、奥の方の右になんとかといった感じで井戸が見える。格子窓の上には説明書き。
平安の時代、真夜中に井戸へひょいと身を投げる小野篁を想像する。
夜な夜なこっそり冥土へ通うのは、イタズラのようでどきどきするのだろうか。

幽霊伝説の飴屋

子育て幽霊の昔話を小さい頃に児童書で読んだ。最初は実在した場所だったんだ!?と驚き人間に報告したのだが、知っている人はいなかった。嘘?
というわけであらすじを引用させていただく。

ある夜、店じまいした屋の雨戸をたたく音がするので主人が出てみると、青白い顔をして髪をボサボサに乱した若い女が「飴を下さい」と一文銭を差し出した。主人は怪しんだが、女がいかにも悲しそうな小声で頼むので飴を売った。
翌晩、また女がやってきて「飴を下さい」と一文銭を差し出す。主人はまた飴を売るが、女は「どこに住んでいるのか」という主人の問いには答えず消えた。その翌晩も翌々晩も同じように女は飴を買いに来たが、とうとう7日目の晩に「もうお金がないので、これで飴を売ってほしい」と女物の羽織を差し出した。主人は女を気の毒に思ったので、羽織と引き換えに飴を渡した。
翌日、女が置いていった羽織を店先に干しておくと、通りがかりのお大尽が店に入ってきて「この羽織は先日亡くなった自分の娘の棺桶に入れたものだが、どこで手に入れたのか」と聞くので、主人は女が飴を買いにきたいきさつを話した。お大尽は大いに驚いて娘を葬った墓地へ行くと、新しい土饅頭の中から赤ん坊の泣き声が聞こえた。掘り起こしてみると娘の亡骸が生まれたばかりの赤ん坊を抱いており、娘の手に持たせた三途川渡し代の六文銭は無くなっていて、赤ん坊は主人が売った飴を食べていた。
お大尽は、「娘は墓の中で生まれた子を育てるために幽霊となったのだろう」と「この子はお前のかわりに必ず立派に育てる」と話しかけると、娘の亡骸は頷くように頭をがっくりと落とした。この子供は後に菩提寺に引き取られて高徳の名僧になったという。

https://ja.wikipedia.org/wiki/子育て幽霊

まだ生きた我が子が腹に残されたまま埋葬されてしまった母親が、我が子になんとか栄養を与えようと与えていたのが、ここの飴だ。
看板に大きく’’’幽霊飴’’と書かれていてわかりやすかった。
店内にはおそらく老夫婦がいて、朗らかな雰囲気だった。
客は、私の他に制服を着た若い少女が連れ立ってきていた。
試食を勧めていただいたので遠慮なくいただくと、想像よりずっと甘くて、確かにこりゃいい栄養だわ!と思った。多分黒糖かな?見た目も琥珀の結晶のようで綺麗だった。一袋500円。
店内の写真を撮っていいか尋ねたら快く了承してくださった。


斜向かいには子育て地蔵尊がある。この奥に件の墓地があったのだろうか?

あとめちゃくちゃ余談だが京都の方は昔は風葬(埋めないで晒し置く)が普通だったと聞いたんだけど時代が違うのだろうか?

六波羅蜜寺

空也上人像を見た。疲れたので気力があれば後で書き足す。
受付で荷物を預かってくださり、なんだか皆親切に感じた。



疲れたのでとりあえずここで一旦区切る。まだ1日目の最初なのでもっと書き足すと思う。

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