紙ストローを強制するな

年間何百杯とコーヒーを飲む。
珍しくもなんともない人種だ。わたしもその一人である。

それはそうと缶コーヒーはカウントしない。
あれは別の飲み物だからだ。決して缶コーヒーが嫌いなのではなくあれは間違いなく別の飲み物なのだ。
橋本環奈もわたしも同じヒトであり、別人であることと何ら変わりない。

そしてどんなに暑い夏でも基本的にホットコーヒーを飲む。これまたアイスコーヒーが嫌いな訳でもない。すぐ飲み干してしまう部分は少し嫌いだが責任者はわたしだ。

それとは別にアイスコーヒーには二重の壁があるのだ。近年はこれによってホットコーヒーの選択圧がさらに強まってしまった。

以下はわたしがアイスコーヒーを楽しむために乗り越えていて欲しい二つのワガママだ。

①氷
コーヒーを凍らせた氷であることが望ましい。
水由来の(普通の)氷で提供される場合は最低限低ミネラルで不純物や空気を除いた透明な氷であって欲しい。
理由は記すまでもないので割愛する。

この壁を超えているかどうかは加点基準であってマイナス方向には捉えないようにしている。
それこそ素早く飲んでしまえば影響はほとんどないからだ。

コーヒー氷: 嬉しい、加点
透明氷: よろしい、なんなら少し嬉しい
普通の氷: 残念、悲しい 

この程度だ。

②ストロー
近年建設された壁だ。今も各地で工事が進んでいる。そして避けられない。
紙ストローという敵が大手を振って街を闊歩しているのは(わたしにとって)由々しき事態だ。

初めて紙ストローでアイスコーヒーを飲んだ時、本当に信じられなかった。

これがプラストローの代替として許容されているなんて!紙の味が鼻や口まで上がってきた。

–−まずは謝罪だ。紙ストローを作っている方、ごめんなさい。今後も改良よろしくお願いします。

もちろん、長く食品業界に携わる身として紙ストローが採用され始めている理由を知らない訳ではない。
環境負荷への考慮を積み重ね、行動を起こすことで将来の地球や食卓を守ろうという考えは素晴らしく、共感もしている。

わたしが議論したいのは提供の方法である。

選択の余地が与えられても良いのではなかろうか。

事実こうしてまだ紙ストローを受け入れられない人間もいるのだ。
プラストローを選択する権利を与えてはくれないだろうか。代償なしにと言うつもりはない。
頭カチカチ人間のために購入という選択肢を残して欲しいのだ。
現にビニル袋は有料化の形で選択制を採用している。強制購入でもビニル袋廃止でもない。

前エントリでも書いた通りわたしはご飯をおいしく食べることを大切にしている。未来のために今の食事を犠牲にするのはナンセンスではないだろうか。
プラストロー代+地球保護団体への寄付分を乗せてそれでも払いたい人のために選択肢を残しておいても良いのではという提案だ。

食事で得られる幸福の総和を現時点で積極的に減らすことが有意義だとはとても思えない。
犠牲の精神は決して美しくなく、むしろ議論からの逃避に近しい。総合的に考えようよ。

以上がわたしのワガママだ。正しさの主張ではなくエゴを述べ、議論を望んだに過ぎない。

さて、したがってわたしはこれらの二つの壁ゆえにアイスコーヒーをあまり飲まない。
期待値の低いガチャを回さない。
それだけの話だ。

本当に地球(自分の食事)の保護を思う気持ちから言えば機能性のみならず触感的に代替可能なレベルの紙ストロー開発を切に望んでいる。アイスコーヒーもおいしく飲みたいのだ。

タイトルはまさに心の叫びである。

いつも通りコーヒーを飲みながら本稿を書き終えた。

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