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映画『フロリダ・プロジェクト』

普段は映画の感想とかまったく残してないけど今回は特別。
2017年アメリカ公開の映画「フロリダ・プロジェクト」がすごく好きな作品だったので記録を残したい。

これを積み重ねて自分が良いと思うのはどういう映画なのかが明瞭になれば喜ばしい。

概要

タイトル : フロリダ・プロジェクト
監督 : ショーン・ベイカー
公開 : 2017年
出演 : ブルックリン・プリンス/ ウィレム・デフォー
         ブリア・ヴィネイト/ ヴァレリア・コット/クリストファー・リヴェラ

あらすじ : 夢の国、フロリダディズニーワールドのすぐ隣にある安モーテルが舞台。その日暮らしの母娘二人の生活は、煌びやかで原色に塗装されたモーテルとは対照的だが決して灰色ではなかった。娘のムーニーにとってモーテル住まいの子どもたちとのちょっと危険な毎日は冒険そのものであった。母ヘイリーも厳しい実情を嘆くことなく、娘とかけがえのない時間を過ごしていた。しかし親子二人の前に貧困という現実が立ちはだかる。

ちなみに本作でアカデミー助演男優賞ノミネートのウィレム・デフォーはモーテルの管理人役です。

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こういう映画にネタバレ云々は無いと思っていますが以下ではエンディングまでの内容をすべて含む感想になります。ご注意ください。

内容の前に

主役の母娘ですが母親役ブリア・ヴィネイトは演技初挑戦だったそう。自然な演技で違和感なく素晴らしいと思いました。感情の上下の表現が大げさすぎない所がよかった印象です。

娘役ブルックリン・プリンス(公開時8歳)の演技がとにかくすごい

ブルックリン・プリンスさんのキュートな笑顔、最後の最後で泣く場面。そうした感情表現はもちろんのこと、良くも悪くもギリギリの、めいっぱいの日常シーンでこそ特に心情が伝わってきました。もちろん独特のカメラワークの寄与も大きいとは思いますが。

わたしのような素人から見ても彼女の今後の役者人生が素晴らしいものであることは間違いないと思います。直近では11歳にして俳優業のみならず映画の脚本と監督に挑戦しているとの情報もあります。今後の映画界を背負っていくであろう彼女に期待です。

ストーリー

ざっと書き出してみるとこんな感じです。

モーテルの子どもたちは自らの貧困・境遇を嘆くことなく、当たり前のこととして日々を送っているが故に大人たちより充実した時間を過ごしていました。彼らにとっては目にするものすべてが新鮮でワクワクするものなのです。ディズニーワールドに行くまでもなく。

新しい友達ができても数か月後には別れの時が訪れる、といったモーテル特有の短いスパンの人間関係にも主人公ムーニーは慣れていたのだと思います。そんな中で親同士の仲たがいを原因として友達と遊べなることもあれば、悪戯が原因で新たな友達ができたりもします。その新たな友達と仲を深めストーリー後半には二人は大親友になります。

娘を思う母ヘイリーは決して要領が良い訳でもなく仕事を失った後は窃盗・詐欺などで食い繋ぎ、後半では体を売ることで生活費を捻出することになります。また管理人ボビーは厳しいことを言いながらも実質的には彼女ら親子を含めモーテル暮らしの人々の実情を理解し、支える存在として描かれています。

一方で貧困というものは容赦なく、「上手く生きる」術を知らないヘイリーの労働にはすぐに綻びが生じてしまいます。詐欺行為は禁止され、売春行為は通報されてしまうのです。結果的にそれを原因として彼女は児童福祉局から「母親失格」の烙印を押され、娘はどこかに引き取られることが決まるという結末になります。

エンディングが賛否両論らしい

自室(モーテル)に児童福祉局や警察がやってきて今後お母さんと一緒に生活できないことを告げられ、感情が爆発したムーニーは走って逃げ出し、隣のモーテルの親友を泣きながら訪れます。

親友の女の子はムーニーの手を取り走り出します。

二人は何かしらの方法でディズニーワールドのパーク内に侵入し、シンデレラ城へ向かう二人を後ろから撮るカットでおしまいです。

どうやらこの最後の演出に賛否両論、つまりは否定的な意見があるみたい。

大枠としてはモーテル住まいの子どもたちにとって
日常生活がカラフルで冒険的

大人は華美なディズニーパークのすぐ隣で退廃した生活に苦しんでいる

時間経過と共に子どもたちにも貧困という現実が突きつけられる

親友が泣いているから美しい景色を見せてあげたい
=彼らにとってまさしく夢(=虚構)であるシンデレラ城に向かうことで現実との対比、置換が完成

といった形で構図的にも理解しやすくきれいな対比だと感じました。


この最後の展開に対する日本語の意見をざっと確認してみましたが

どうやら

・虚構に向かうという締め方に納得できない方

≒なんの解決にもなってないという意見の方

・シンプルにどうやって侵入したのかを気にする方

・ポスターとのギャップに違和感を唱える、憤る方

・おそらくディズニー信者の方でディズニーサイドが良く描かれていない(決して悪く描かれていない)ところに納得がいかなかったのかな?という方

などがいらっしゃいました。

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確かに日本語版ティザーポスターの煽り文
「誰もみたことのないマジカルエンド」

というのは本作と一致しない気がしますね。
マジカルエンドを期待して観た方にしてみるとやや肩透かし感があったのでしょうか。

もしくは日本人の多くは
・子どもが出てきて
・ディズニー絡み
とくればハッピーエンドを期待するのが自然でしょうしそういう方々と合わなかったんですかね。

ちなみに言うまでもなくわたしはこういう締め方好きです。
わたしと同じような評価の方もたくさんいらっしゃいましたし、鑑賞者の立場によってかなり捉え方が異なる演出だったようです。
監督がそこまで意図していたのだとしたら恐れ入りますね。

高評価が多いと予想してレビューを確認したわたしとしては視野の狭さを思い知らされたというか勉強になりました。

そもそも本作全般が賛否両論らしい

というかそもそも本作の演出・設定に不快感を覚える方も一部いるようです。
なんと!想定外でした。

特に母親の行動に対する批判的な意見が散見されました。

わたしの理解としては
『満足な教育を受けられず「正しい」生き方を知らない母親が不器用ながらも自分なりに精一杯娘のためを思って行動するも
結果的には不正解であったため社会常識に則った「正しい」判断により離別を余儀なくされる。
愛情があっても社会的正しさによりこうした現象が起こり得る現在の制度の構造的問題を指摘すると共に
その遠因(または直接的原因)が貧困とその再生産にあることを浮き彫りにしている。』作品であると思っています。

わたしはそうではありませんが子を持つ親からすると母親の振る舞いに不満があるようです。

要約すると、もっと生活を改善する術があっただろう!という趣旨の感想が多かったように思います。だから児童福祉局が介入してくるのは当たり前だ。そうなるまで行動しない母親が最低だ。理解できない。と論理が展開されていきます。

挙句、だから本作には共感できず映画としての出来が悪い。と言う方もいます。これは完全に自らの快・不快と映画への評価を混同しています。

先に述べた通り、主人公母娘を含む多くの登場人物が社会的に正しい行動を取れない原因のすべてが彼らにあるわけではありません。教育が行き届かず貧困の再生産が生じる社会の構造にも問題があるということを描いています。

明らかにその構図が示されているにも関わらず母親の行動に批判的意見が集まったのはなぜなのでしょうか。

逆にアニメのアンパンマンにおいてバイキンマンの悪さが批判されないのはなぜでしょうか。

そう、フィクションであるにも関わらずこれほど否定的な意見を集めたのは「あまりにリアル」だったからではないでしょうか。不快なものに思わず反応してしまうのは動物的正しさですし。

結果、映画の出来の良さの証左なのではと思います。

また「自分なら○○する」「△△するなんてありえない」といった感想を持つ方は、そのような「正しさ」を知らない人が存在することを認識すべきだと思います。

わたしが以前のエントリで書いているとおり、相対的に上の位置にいる人は往々にして下の位置にいる人の実情や感情に疎くなってしまうものです。

今回は「日本における普通の親」という立場にいる人たちはそれだけで登場人物より上に立っていたのです。もちろん気が付かないうちに。

否定的意見の盛り上がりはこの映画の良さの証拠

こうして振り返ってみると鑑賞者は

・主人公母娘にとっての幸せとは

・なぜ不幸せな結論に陥ったのか

ということについて自ずと考えています。

これによりテーマとして据えられている「格差」や「貧困」について考えが及ぶことでしょう。

ただ否定的意見を述べている人がいるという点も非常に大切です。この映画で言えば彼らはディズニーワールドに行く側の人間です。モーテルの人々の心情に考えが及ぶことはありません。

・自分がそちら側にもなり得ると気が付くことができるか

・気付かない人がいることに気が付けるか

格差の中にも格差がある。上級とその他ではなくその他内にも格差がある、という点も今後の社会のポイントとなるでしょう。

本当に良い映画でした。役者の方々の演技、美しい映像、テーマ。

数年後にまた観たいと思える作品でした。

もちろんブルックリン・プリンスさんの今後にも期待です。


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