マガジンのカバー画像

<マイ・チョイス―わたしがした、自分らしく生きるための選択>

13
映画『パピチャ 未来へのランウェイ』をきっかけに、「自分らしく生きるための選択」をテーマに素敵な方々から寄稿を頂きましたのでまとめました。
運営しているクリエイター

記事一覧

壁に梯子をかけて、一緒に乗り越えたい

私が邦銀で銀行員をしていたとき、毎日同じような格好をして、決められたルールの中で粛々と仕事をしていて、ふと自分の個性が失われていくような感覚に陥ったことがある。それに反抗して起こしたささやかなムーブメントは、絶対に銀行員が着ないような、規則に反した服装をすること。周囲からは「一体何を目指しているんだ」と好奇の目で見られたが、私はルールや固定観念に依らない自律的な自分を保つことができ、一種の誇らしさを感じていたのを覚えている。どんな状況に置かれても、周りからどう見られようとも、

あえて、地球の反対側へ

一人娘である私を、地球の反対側に送り出すことは、難しかっただろう。 「Voice Up Japan」の活動を始める前は、とにかく自分をチャレンジさせたいと言う気持ちを抱いて、南米チリに渡航を決めていた。「チリにとりあえず行きたい。」と親に伝えた19歳になったばかりの自分は、慣れた環境から離れて、自分自身を「挑戦」させるために環境を変えたかった。人間関係が複雑になり、将来何がしたいかわからなくなっていたと同時に、社会が言うような「安全な道」を選ぶことがどうしても嫌だったからだ

命のきらめきがこの手のなかにあるうちに、自分にできること

人生で「選択」することを意識したのは、高校生のときだ。 将来やりたいことも決まらず、自分の境遇や社会に不満ばかり感じていた私は、紛争地で撮られた一枚の報道写真を見た。 そして、自分の手のなかには、「人生を自由に選べる権利」があることに気づいた。 その権利は、世の中の全ての人が持てるわけではないことも。 私は、選択肢がもつ重みを気づかせてくれた紛争地に、生きる選択肢を増やすことを自分の仕事にした。 私たちの活動現場シリアの戦闘で故郷が破壊された人々がたどり着いた避難民キャンプ

「自分らしく生きるための職業選択」

「おまえ、オカマじゃねえだろうな?」 『パピチャ』の冒頭、銃を持った武装集団を目前にしてドレスを伝統衣装で覆い隠したネジュマとワシラの怯える姿に、遠い記憶の彼方に追いやった言葉が蘇ってきた。 20年近く前、ようやく就職した番組制作会社で先輩ディレクターにこう言われた。シスジェンダーのヘテロ男を演じながら自分を隠し怯えて仕事するか、カムアウトして嘲笑に耐えきれなくなってから辞めるのか。いきなり選択を迫られた気がした。“To be hetero, or not to be h

明日の私自身は勇気を意識することができるだろうか

久しぶりに、多角的に刺激溢れる映画を見た。 エゴの強い社会のルールや、性差が作る偏見や抑圧に反発するということはとてもストレスフルなことであるが、それに彼女達らしいアプローチで立ち向かっている姿が勇敢で…、(その勇敢であるという言葉に落とし込めないくらいの力強さだ!)きっとその態度でしかいられなかったのだ。彼女達をアクティブに奮い立たせるのは決して怒りだけではなく、「ハイクを使ったファッションショー」というアイデアやクリエイティビティもそうさせる。一貫した姿勢と強靭さを作る

このイカれてふざけた世界で闘うために

 「イカれてる」  映画が始まってすぐ、 “女の正しい服装”のポスターを目にしたネジュマがつぶやく。女に身体的な自由を与えず家に閉じ込め、父や兄や夫に従わせ、女の口を塞ぐため、男たちがヒジャブを着けろと女性たちに強いる。ヒジャブを着けず“正しい服装”をしていない女は、どんな目に遭っても仕方がないとみなされる。女の夜の外出は咎められ、ネジュマの親友は大学寮暮らしがバレただけで「尻軽だ」と恋人であったはずの男から殴られる。1990年代のアルジェリアは確かにイカれてる。  でも

私たちには屈しない強さがあるのだから

主人公のネジュマの真っ直ぐな視線に何度も心を揺さぶられた。彼女たちがサッカーを雨の中する楽しそうな姿をみて涙が溢れた。生きてきた環境も場所も違うはずなのにどこか、自分の記憶や感情とリンクして、声を上げて泣いている自分がいた。彼女たちは、ただただ自分らしく、生きたいだけ。 映画から溢れ出す底なしのエネルギーはネジュマ役を演じたリナ・クードリ氏や、監督ムニア・メドゥール氏の「パピチャ」としての思いが滲み出ているのだろう。 パピチャはアルジェリアのスラングで面白くて、魅力的な、そ

日常に潜む女性差別に抗うために私がしている小さな選択

90年代のアルジェリアと現代の日本 学生時代に留学していたヨーロッパの国で、アルジェリア移民の学生と仲良くなったことがあります。日本のアニメや「カワイイ」文化が大好きな弾けるように元気な女の子でした。私をバイクの助手席に乗せて街を走り回ってくれたり、タンクトップとショーパン姿で彼氏と遊んだりと、かなり自由に青春を謳歌していました。  映画「パピチャ 未来へのランウェイ」は90年代のアルジェリアが舞台。自由奔放だった友達の姿からは全く想像できないほど、厳しい女性への抑圧が描か

誰も戦いたくなどない、でも、生きるために、必要な戦いがある。

 大学生のとき、大好きだった友人がいました。彼女は卒業後、24才で死を選びました。  理由はまったく分かりません。大学時代の彼女は誰よりも頭が切れ、ユーモア含んだ鋭利な言葉を紡ぐ人で、私は彼女を心から尊敬し、追いかけるように彼女に並びたいと思い、そして幾晩も幾晩も夜通し語り会うような濃密な時間を過ごしました。  プライドの高い人でした。学業でも何においても一番でいなければいけないという強いプレッシャーを生きている人で、今にして思えば、私のように“ちゃんとしてない”女が珍しかっ

ムニア・メドゥール監督「パピチャ」に寄せて

 隅から隅まで素晴らしい映画に出会えたことに感謝しつつ、脚本も書いたムニア・メドゥール監督はどれほど涙を流しながらこの作品に挑んだであろうと想像した。事実に基づいた想像力が真実を生み出す瞬間に溢れた109分は、観る者の感情を激しく揺さぶりながら問い続ける。「生きる」と「生かされる」の違いは何だ、と。内戦、宗教的弾圧、テロなど様々な暴力に晒されながらも夢を追う誇り高き少女と友人たち、彼女たちを見守る母の姿に胸を打たれる。その反面、自分らしく生きようと闘う女性たちを破壊しようとす

私たちがまだ使っていない「選択肢に気づく映画」

 お洒落が好きな女子大生の日常と緊張感あふれるシーンを対比する。1990年代のアルジェリアを描いた映画「パピチャ」は、冒頭の数分で見る人を引きずり込む。2人の女子大生が夜、寮を抜け出して遊びに行く。タクシーの中でパーティーに合うドレスに着替え、化粧をする。 世界中のどの国でも起きていそうな、ごく当たり前の若い女の子の日常は、検問のシーンで一転、非日常になる。車内の2人はベールを被り、色鮮やかな服と化粧した顔を隠す。銃をかついだ男性に夜間外出の理由を問われると嘘でかわす。  

『守りたい』の殺意

 お母さんの作ってくれる大鍋の油からぽこんと浮き上がる郷土菓子、お気に入りの曲を集めたカセットテープをBGMにタクシーの車窓を流れていく 夜の街、砂浜で笑いながら転げ回って青い海を眺める少女たち、友達の裸の肩にもたれて汗をかくミストでけぶったお城のようなサウナ、親友の真っ赤なペディ キュア、風にはためいて陽射しを透かす「ハイク」という黄みがかった布、そして少女たちの手による深夜の大学女子寮での圧巻のファッションショー。アルジェリア「暗黒の十年」を舞台にした映画「パピチャ」は過

【特別寄稿連載企画】豪華執筆陣による「マイ・チョイス―わたしがした、自分らしく生きるための選択」始動!

 昨年度の第72回カンヌ国際映画祭「ある視点」部門出品、同年の米アカデミー賞国際長編映画賞のアルジェリア代表に選出され大きな話題を呼んだ映画『#パピチャ 未来へのランウェイ』が10月30日(金)よりBunkamuraル・シネマ、ヒューマントラストシネマ有楽町ほか全国で公開となります。  この度国連が採択する国際ガールズ・デーに合わせて、この公式noteにて<選択>をテーマにしたエッセイ連載企画「マイ・チョイス―わたしがした、自分らしく生きるための選択」を始動いたします!