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「自分らしく生きるための職業選択」


「おまえ、オカマじゃねえだろうな?」

『パピチャ』の冒頭、銃を持った武装集団を目前にしてドレスを伝統衣装で覆い隠したネジュマとワシラの怯える姿に、遠い記憶の彼方に追いやった言葉が蘇ってきた。

20年近く前、ようやく就職した番組制作会社で先輩ディレクターにこう言われた。シスジェンダーのヘテロ男を演じながら自分を隠し怯えて仕事するか、カムアウトして嘲笑に耐えきれなくなってから辞めるのか。いきなり選択を迫られた気がした。“To be hetero, or not to be hetero: that is the question.” 脳内シェークスピアは滅茶苦茶な台詞を唱えてくるし、黒猫ジジのように全身の毛は逆立つし、答えるまでの数秒間が永遠に感じられたように思う。

それから1ヶ月も経たず、僕はその会社を辞めた。


就職氷河期、バブルの残り香を、トリュフを探す豚のように嗅ぎまわる半沢直樹世代の面接官たちは容赦なかった。

ドラマのごとく誰かを蹂躙するのが趣味なのかと思うほど、圧迫面接が必要だと信じて疑わない様子で、面接官に見下されたことは数限りなく、今なら完全に訴えられる罵りを度々受けたことは忘れない。(同級の女子学生が「うち、女子はコネしか雇わないんだよね。でもやらせてくれたら内定あげるよ」と帰り際のエレベーターで面接官のひとりに言われたと、泣いて帰ってきたところに出くわしたこともある)。

学生時代に成し遂げた誇れることは? といったベタな質問に対し、他の学生がキラキラしたインターン経験(disではない)やらパヤパヤしたサークル活動やら(決してdisではない)を堂々とアピールする傍で、勉強とバイトしかしていなかったため「じぇ、ジェンダースタディーズを……あ、フェミニズムを勉強しました!」と馬鹿正直に説明したせいもある。小さい頃から出自で差別されてきたため、性差別を解決しようとするフェミニズムに強く惹かれたのだ。

時は2000年代に入ってしばらく経ち、ちょうどバックラッシュ。自己PRをした瞬間、男性の面接官たちからは頭がおかしい人物かのように扱われたし、女性の面接官にも空気が読めない学生として哀れまれたように思える。

そんな中、唯一面接でアンチフェミニズムの視点から正面切って議論をしてきた女性プロデューサーに雇われ、ようやく小さな番組制作会社で働き始めた。

右も左もわからない僕になぜかVX2000を一台持たせ、「お前がいいと思うものを撮ってこい」と任せてくれて、非常に稚拙ながらも働く女性を追った数本のドキュメンタリーを放送させてもらえたことは今でも感謝している。

その会社で男性の先輩ディレクターに言われたのがあの一言だった。

なぜ彼があんなことを言ってきたのか理由はいまだに不明だが、僕は嘘をつくのに時間がかかった。隠すつもりは到底なかったのだが、説明しても伝わらないだろう、肯定すればこの人との仕事はやりづらくなるだろう……。逡巡したうえで嘘をついた。

あの嘘は正解だったと思う。当時周りを見渡せばセクシュアルマイノリティの扱われ方はひどいものだったし、テレビのコンテンツそのものも絶望的だった。でも、無意識のうちに「何かを奪われる」と感じ防御したことに対して、あとから悔しさのようなものがこみ上げてきたのを憶えている。

テレビっ子としての憧れもあって就職した業界だったが、その瞬間スンッと冷めてしまった。醒めたのかもしれない。

「石の上にも三年説」が金科玉条のごとく掲げられていた時代だったが、自分らしさと引き換えに職を手放した選択は、今となっては正しかったと言い切れる。何より、セクシュアリティを隠すことなく社会生活が送れたことで、自分の嘘で自分の心を痛める回数はかなり少なくて済んだと思う。

再就職先はモード誌にした。ハイファッションに自由を感じたからだ。カムアウトしても、フェミニズムを勉強してきたとアピールしても、会社の出版物に対して思うことを問われて「おたくの男性誌はホモソ臭がして気味が悪い。ゲイから見てそうなのだからよっぽどですよ」と素直に(実際はこれを10倍くらい薄めて)批評しても採用してくれた出版社に就職。こうして現在に至る編集者人生は始まった。

(一編集者の自分語りがそろそろウザくなってきた方々、もう少しご辛抱いただきたい。ちゃんと『パピチャ』に繋げます。見捨てないで!)

もちろんプライベートな部分をわざわざ公にする必要などどこにもない。でも晒したおかげでひとつ見分けられたことがある。特権の存在だ。

セクシュアリティを公にすることで何かを失っても、失わなくても、手にしたものは大きい。

たとえば何度目かの転職時、エージェントのミスでどう考えても都内で社会的文化的に自立した生活など送れるはずのない職を提案されたときなどは、「いいじゃない。稼ぐ彼氏を見つければ」と言われてのけぞったことがある。女性の平均賃金が異様に低いのはこういうことかと身をもって学んだし、目と鼻の先で「オカマのクセに生意気」(ジャイアンかっ)と言われ、同性愛者はある人々にとって“二級市民”なのだと思い知らされたこともある。

逆に、ゲイであっても男性であることで信用を手にする現場にはうんざりするほど立ち会う。上司と並んでいるのに、男性の僕の方ばかりに話しかける人なんてザラ。度々会話する機会があり、気さくな人だと思っていた仕事関係の男性が、当時の女性上司に冷たく説教してきたこともある。正気を疑ったが、自分にはそんなことを一言も言ったことがない人だったので、マンスプっぷりにひどく驚いた(もちろん僕が説教するに値しなかったからという可能性も十分にあるけれど……)。

かと思えば激務が数年続いたときには、出産と育児でキャリアと労働を制限される同僚女性たちを「産休・育休で長期間仕事を休めて羨ましい」と妬む、裡なるミソジニーを発見して慄いたこともある。

ある時は下駄を履かされ、ある時は脱がされ、ある時は加害者になり、ある時は被害者になる。それを繰り返してきたことで、知識として学んではいてもおぼろげだった男性特権、異性愛者特権の輪郭を比較的明確につかめたことは、かなり人生を豊かにしてくれていると思う。おかげで本当の敵を間違えないようになった。

もしクローゼットの中に閉じこもり、公の場でヘテロセクシュアル男性としての絶対的特権を守るべく自分を偽る毎日を過ごしていたら、きっと被害者意識にまみれ、“声高に権利を叫ぶ”マイノリティの人達を敵とみなして、「キジも鳴かずば撃たれまい」的ク〇リプをつけるような立派な偽装ヘテロ男性に成り下がっていたかもしれない。自分が手にしている特権を無視して……。

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『パピチャ』で自由を求める主人公ネジュマたちを責め苛むのはそんな男性たちだ。先住民たちを蹂躙した側面を持ちながら、長年大国に蹂躙されてきた被害者としての歴史ももつ彼らは、権利を奪われる恐怖も知りながら、同時に奪う快感を貪っている。他人の権利を奪うことのできる特権を被害者意識で巧妙に隠し(もしくは見えなくして)、支配欲の虜になっている姿が劇中では見て取れる。背後には彼らの闘争心を利用しているもっと大きな支配者の影があることには気付かず、西洋の服装に“毒された”女性たちを敵とみなし銃を持って取り締まる。

ファッションは炭鉱のカナリアだ。自由の危機を投影する。

服装の制限は大抵の国で幼稚園にすら存在するもっとも初歩的なルール。合理的な理由がある場合もあれば、ありそうでない場合もあるし、まったくない場合もあるのに、区別がつきづらいため、人は意外なほど簡単に服装の制限を受け入れてしまう(日本でもKuTooに至るまでかかった時間がそれを証明している)。そのため器の小さなリーダーたちにとって自分の短絡的な義侠心をまず充足させるのにもってこいのツールであることは間違いない。服装という”自分らしさ”を抑圧すれば、見せかけの団結はとりあえず確保できる。他人を土下座させるよりもずっと簡単でもっと広範囲に支配力を演出することができるのだから。

服装の自由が奪われたとき、時代の終わりはすでに始まっている。そこにひとり抗うネジュマは単なる執着心の強い不良学生ではない。個人の権利を絶対に奪わせないと誓う孤高のプロテスターだ。彼女ほどの勇気が今の自分にあるのか。もう一度問うてみたい。

【著者】小山圭一(ELLE ONLINE エディター)
中央大学文学部文学科卒。編集者。大学入学後、仏留学を経てフェミニズム研究(主にボーヴォワール)に没頭しすぎたため(言い訳)卒業が1年遅れる。’05年より複数のファッション誌編集部を経て’12年より現職。母と姉の影響でモード史とパターンを眺めるのが趣味。

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映画『パピチャ 未来へのランウェイ』【10/30(金)全国ロードショー】


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