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『守りたい』の殺意

 お母さんの作ってくれる大鍋の油からぽこんと浮き上がる郷土菓子、お気に入りの曲を集めたカセットテープをBGMにタクシーの車窓を流れていく 夜の街、砂浜で笑いながら転げ回って青い海を眺める少女たち、友達の裸の肩にもたれて汗をかくミストでけぶったお城のようなサウナ、親友の真っ赤なペディ キュア、風にはためいて陽射しを透かす「ハイク」という黄みがかった布、そして少女たちの手による深夜の大学女子寮での圧巻のファッションショー。アルジェリア「暗黒の十年」を舞台にした映画「パピチャ」は過激派イスラーム主義勢力のテロの恐怖を描きながらも、幸せな風景に満ちている。だから、ヒロインのネジュマが、大切な姉ばかりではなく、ファッションデザイナーの夢まで奪われそうになっても「でも、私はこの国が好き」と国内に留まる決意をしたことがうなずけるのだ。 

 生死を脅かされながら日常を送るネジュマたちと私の人生を重ねるのは失礼かもしれない。しかし、映画が進むうちにネジュマが受ける抑圧に既視感があることに気付いた。「君たちが心配だ」「君たちを守りたい」といいながら、この映画に登場する男性たちが女性に向ける視線には、あきらかに憎悪と殺意が滲んでいる。彼らの言動は矛盾でいっぱいだ。銃口を向けて詰め寄る男は、ネジュマの名を何度も呼び、なんだか親しげですらある。ネジュマの親友・ワシラの彼氏は、女性は危険な目に遭わないようにヒジャブを着用すべきといいながら、ワシラが女子寮に住んでいることを知ると「寮で暮らす女は尻軽」という偏見でいきなり暴力を振るう。ネジュマの夢を応援してくれていた恋人は、彼女がファッションショーのために、彼と一緒に国外に逃げないと知ると、命を心配するどころか急に軽蔑をあらわにする。門番の「ポパイ」はネジュマのことをまるで親戚のおじさんのように案じていたのに、突然レイプしようとする。彼らの一瞬の変貌、怒りで歪む顔を私は知っている。

「君を応援したい。こっちの言う通りにすれば間違いないから」

 若い頃、年長の仕事相手からそんな風に言われた経験がある。ネジュマのようなプライドも知性もなかった私は、なんの疑いもなく、ハイハイと言うことを聞いていた。相当無理なノルマも、私の成長を思ってのことと良い風に捉えた。しかし、サポートしてくれているといいながら、彼が「私のために」本来他の人がやるべき仕事を無理して自分が引き受け、トラブルに発展し、私が批判の矢面に立たされたこともある。変だな、とは思ったものの、親切心なんだろうし、こっちの思い過ごしだろうと考え直した。しかし、顔色を伺うことにも疲れたし、成果をまったく出せないし、すぐ逃げ出した。その後、ずいぶん長い事、いや、正直なところ最近になってもまだ、思い出しては、熱心に面倒をみてくれようとした年長者とうまく折りあえなかった自分というものにクヨクヨし、反省することさえあったのだ。でも、本作を見るうちに謎が解けた。たぶん、あの男性は私のことが怖かったんじゃないか? 本人も気づかないうちに、コントロール下に置いて力を封じたかったんじゃないか? こういうことは、今も世界中、至るところで起きているんじゃないか? 当事者の若い女性は不思議にしか思わないだろう。自分はまだ何も手にしていないのに。なんで力がある相手が、自分を怖がり、恐れる必要があるのか? 私の勘違いなんじゃないか? 自分に非があると思い込んで、支配下に留まる人がいても当然だ。ネジュマ も途中までは「君のためを思って」加害してくる男性たちに怪訝そうな視線を向けている。「パピチャ」のもう一つの凄さは、徹底して少女の側に立ちながらも、抑圧サイドの苛立ちまでも緻密に描き出しているところだろう。

 世界経済フォーラム発表のジェンダー ギャップ指数では日本は121位、アルジェリアは132位 である。女性の地位の低さでいえば、ネジュマと私たちは実はとても近いところに立っている。男たちがネジュマを恐れているように、国家もこの映画を恐れている。世界中で話題を呼んだ本作はアルジェリアではまだ公開にいたっていない のだ。

 最初から最後までネジュマの瞳に燃える炎。それが答えだ。この映画は、少女たちが連帯する物語ではあり、終わり方には希望がある。しかし、「がんばれ女の子たち!」と問題を当事者だけに丸投げする作りでは断じてない。作り手たちはネジュマたちの炎にどこまでも寄り添っている。だから、観ているこちら側が共に怒りに燃え、現在進行中の弾圧を自分の日常と地続きの問題として考えさせるパワーを放っている。きっとあの年長者に向かって愛想笑いしていた私の目にも、本人がそうとは知らず、大きな炎がごうごう燃えていたに違いないのだ。

【著者】柚木麻子(小説家)
1981年生まれ。立教大学文学部フランス文学科卒業。2008年に「フォーゲットミー、ノットブルー」でオール讀物新人賞を受賞、同作を含む連作短篇集『終点のあの子』でデビュー。以後、女性同士の友情や関係性をテーマにした作品を数多発表。2015年『ナイルパーチの女子会』で山本周五郎賞受賞。他の著書に「ランチのアッコちゃん」シリーズ、『本屋さんのダイアナ』『BUTTER』『デートクレンジング』『マジカルグランマ』など。

映画『パピチャ 未来へのランウェイ』【10/30(金)全国ロードショー】

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