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誰も戦いたくなどない、でも、生きるために、必要な戦いがある。

 大学生のとき、大好きだった友人がいました。彼女は卒業後、24才で死を選びました。
 理由はまったく分かりません。大学時代の彼女は誰よりも頭が切れ、ユーモア含んだ鋭利な言葉を紡ぐ人で、私は彼女を心から尊敬し、追いかけるように彼女に並びたいと思い、そして幾晩も幾晩も夜通し語り会うような濃密な時間を過ごしました。
 プライドの高い人でした。学業でも何においても一番でいなければいけないという強いプレッシャーを生きている人で、今にして思えば、私のように“ちゃんとしてない”女が珍しかったのでしょう。大きな柄の美しいスカーフをまとい、短いスカートに、ヒールをはいてかつかつと歩く彼女と、破れたジーンズにTシャツの私たちは服装から喋り方から顔つきから趣味まで何もかも違っていたけれど、どうしてなのか離れがたい思いで時を共にしました。それなのに、私たちは卒業間近に、恋愛を巡る醜悪な争いをしてしまい(よくある三角関係というやつです)、大学を卒業する頃には疎遠になってしまいました。

 「○○が過労死で亡くなったらしい」
 卒業してから1年後の夏、彼女の葬儀の連絡がきました。当時「過労死」という言葉は「オジサンサラリーマンのもの」という認識が殆どだったと思います。若く健康な彼女と「過労死」が結びつかない思いで、私は葬儀の後に彼女の家を訪ね「会社を訴えましょう」と彼女の母親に伝えました。その時に返ってきた言葉は、想像を絶するものでした。母親は静かにピシャリとこう言ったのでした。「会社は訴えません。あの娘は頑張って死んだんです」それはどこか誇らしげでさえあり私は何も言えなくなり、リビングの天窓から射す白い日射しを見上げたのを覚えています。
 それからしばらくして、彼女が会社に適応できず、入社後すぐに辞め、自宅にひきこもっていたことを人づてに聞きました。過労死は、母親の作り話でした。
 
 男のように頑張って死ぬ。
 そのことを名誉のように捉える母親に彼女は育てられてきたのか。
 男のように頑張って死ぬ。
 女のままでは生きられないから彼女は限界を超えるように一番でいたがったのか。

 私の心のどこかが、あのとき、彼女と一緒に死んでしまったように思います。
 彼女と私は大学では国際金融論を学ぶゼミにいました。将来は金融業界に入り、ウォール街でカツカツ歩く、それが「女性の自立」というイメージが私自身にあったのです。彼女と一緒にいたい! という軽い気持ちもありました。実際に勉強してみると私は全く金融に関心がないことに気がつき4年生になってから教育学のゼミに変更したのですが、あの時、あのまま私が「男のようなエリート」を目指していたらどうなっていたんだろうとふと考えます。または彼女ともっともっと話していたらどうだったろう。彼女の苦しさにもしかしたら近づけたのではないのではないかとも。「もう頑張りたくないんだよね」一度、彼女が私の前で泣いたことがあるけれど、その涙の意味が分からなかった当時の私の幼さを、悲しく思う。そんなことを彼女が死んで4半世紀以上経っても、まだ考え続けています 。

 日本社会で女性が生きること。無限に選択肢はあるように見えて、私たちはどこか「望まれる」娘であろうと、自分を小さな箱に押し込めて生きるようなことをしているかもしれません。そして社会もそれを求める。女が声をあげるのは怖いから。むかつくから。女が黙っていれば世界は静かなのだから。だから時に私たちは、誰の欲望なのか分からないまま、自分の人生を下を向いて歩くような気分になることもある。そんな人生、もううんざりなのに。
 その後私は、26才の年に自分で会社をつくりました。女性が安心して性を楽しめる場、仕事をできる場。よりよい生理用品やプレジャーグッズの輸入のお店をはじめたのです。ウォール街じゃなくてもいい、将来保障されていなくても自分のやりたいことをやろう。高い給料も、高い社会的地位も、安定した結婚相手もいらない。私のしたいことを私がしたいように。そのことで苦労してもしたいことを。

 彼女からはたくさんの手紙をもらいました。22才の誕生日の時、彼女が私にくれた手紙には「老いても話せる仲でいましょう」と記してあります。
 「パピチャ」をみて、なぜか彼女との時間を強烈に思い出しました。「パピチャ」で描かれる90年代が、ちょうど、彼女と私が生きていた時であり、女子大学という世界の物語だからかもしれません。そして女の子に厳しい世界で女の子として生きること、女性として生きることが、必然的に戦いに挑むことであることを示唆する物語だからかもしれません。誰も戦いたくなどない、でも、生きるために、必要な戦いがある 。
 彼女が残した戦いを、私は今もまだ終わらせられていないように思います。激しく泣きながら映画で描かれる女性たちの戦いの時間を、私も生きました。

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【著者】北原みのり(作家・ラブピースクラブ代表)
1996年、フェミニストの観点に基づき運営されるラブグッズストア「ラブピースクラブ」を設立。著書に『日本のフェミニズム』(河出書房新社)、『毒婦。』(朝日新聞出版)、『メロスのように走らない』(KKベストセラーズ)、『性と国家』(河出書房新社)など。
|Twitter|https://twitter.com/minorikitahara

映画『パピチャ 未来へのランウェイ』【10/30(金)全国ロードショー】


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