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【長編小説】陽炎、稲妻、月の影 #39

第5話 呻く雄風――(9)

 この土地に人間が定住するようになってほどなく、俺は生まれた。
 いや、生まれたという言葉は正確ではないか。神様というものは、人間の願いが寄り集まった結果、それを叶えるものとして顕現する。だから「生まれた」というよりかは「発生した」という言葉のほうが、張本人としてはしっくりくる。
 ともかく、俺が土地神としてこの土地を見守るようになったのは、ここに高校が建てられるよりも、世界規模の戦争が起こるよりも、もっともっと昔、人間からしたら気が遠くなるような昔からということだ。
 一番最初は、平穏無事に日々を過ごせるようにと、土地の安寧を願われた。
 小高い山を中心とした土地の守護は、始めのうちは大変だったけれど、少しずつ振るえる力も大きくなり、人間たちから感謝されるようになっていった。小さいながらも祠を作ってもらったときは、とても心が弾んだ。
 姿が定まったのも、確かこの頃だったと思う。
 真っ白な髪に、秘色色の着物。たれ目がちな目元と、左目尻にある泣きぼくろ。人間たちはそんな俺を視て、神々しくもあるが、同時に、親しみやすくもあると言ってくれた。
 戦が増え、それに伴い人間がたくさん死ぬようになると、土地の条件が良いのか、ここは徐々に冥界へと続く霊道となっていった。
 幽霊が怖いと怯える人間たちの為、俺はとにかく場を清浄に保つよう努めた。そうしていれば、人間の目に幽霊が映る機会は格段に減るし、霊が悪霊に転化することもなく、悪霊自体は俺の守護下には近寄れない。
 俺を信じてくれる人が大勢居たから、この共生関係は上手くいっていた。
 そうやって土地を守り、どれほどの時間が経った頃だろうか。
 ある日、冥界の番人を名乗る者が現れた。
 空色の着物に身を包んだその人は、挨拶もそこそこに、俺にこう言った。
「この土地は今も霊道になっているにも関わらず、とても清浄な空気で満ちている。実に良い場所だ。なあ君。君は、ここの土地神だね? 実は折り入って相談したいことがあるのだけれど、話だけでも聞いてくれないかい? ああ、ありがとう。なに、相談さえ許してくれない神様も、この世にはごまんと居るからね。君は温厚な神様のようで助かるよ。それで本題なんだが、実は、この先に設置していた冥界へと続く扉が、悪霊に破壊されてしまってね。私は今、新たな設置場所を探している最中なのだけれど、どうだろう、ここに扉を置かせてはくれないだろうか。君なら、この土地に死者の魂がどれだけ来ようと、この清浄さを保ち続けられる力があると私は信じている。ひいては、それがこの土地の人間を守ることにも繋がるのだ。お願いできるかな?」
 ここに住む人間のことを引き合いに出されれば、俺はこの話を受けざるを得なかった。
 とはいえ、この土地が霊の通過点から、現世における最終到達点になっても、大きな変化はなかったように思う。
 人間たちはいつも通り生活を営んでいたし、幽霊たちは大人しく扉を潜って冥界へ旅立っていく。幽霊の数は昔に比べると確実に増えていたが、反比例するように幽霊が視える人間が減っていったからか、人間が怯えることは少なかった。
 俺にとっては対して変わり映えのない、平穏な日々。
 けれど、時代の流れと共に、俺の力は緩やかに衰えていっていた。
 発展していく人間社会にとって、土地神という存在はあまりに脆弱になったのである。
 少しずつ忘れられ、薄れていく。
 それでも、小さな祠に訪れる信心深い人間が少なからず居てくれるおかげで、加護を途絶えさせることはなかった。心許ない綱渡りのような状況だったけれど、綱がなくならないのなら、それで良かった。
 だけれどそんな日常は、ある日突如として崩れ去ることとなる。
 それは、世界規模の戦争が終わり、世の中が落ち着きを取り戻しつつある頃だった。
 長らく人の立ち入ることのなかった山に、大勢の人間がやって来たのである。戦時中、いや、それよりも前から、ほとんど人間を見る機会がなかった俺は、久しぶりに祠の様子を見に来てくれたのかと、素直にその来訪を喜んでいた。
 しかし。
 彼らは大小様々な機械を持ち込んできたかと思うと、木々を切り倒し、土砂を削り始めたではないか。
 やめろ、やめてくれ。
 喉が焼き切れるくらい大声で叫んでも、誰の耳にも届きやしない。こんなに大勢の人間が居るのに、誰一人として俺が視えていないなんて、俄には信じ難かった。
 俺は、俺が思っていたよりもずっと力を失ってしまっていたらしいことに、このときになって、ようやく気がついた。
 俺の叫びは、誰にも届かず。
 そして。
 俺の大切な祠は、呆気なく壊された。
 これまでとは明らかな違いを伴って、力が失われていく。


 真っ白だった髪は、澱みを吸い上げ、灰色、そして黒色へと変化していく。
 これが捨て身な方法であることはわかっていた。だけど、この土地の安寧を願われた俺は、人の信仰がなければ、こうすることでしか、場を清浄に保てない。
 この土地を見捨てるなんて選択肢は、元よりない。
 この山は俺であり、俺はこの山なのだから。
 どれだけ弱体化しようと、この身が尽きるそのときまで、俺は俺の役目を全うするだけだ。


 後に、これが土地開発というものであると知った。
 その責任者らしき人間に、代々この近くに住むという老人が、抗議をしに来ているところを見かけたことがある。その人は祠の所在を問い詰めていたけれど、のらりくらりと躱され、とうとう立ち入りを禁じられてしまった。
 大切にしてもらっていた祠を壊されたときは、俺だって内心穏やかではなかった。
 きっと最後の力を振り絞れば、土地開発に関わった人間全てを呪い殺すことくらいはできただろう。
 だけど、そうしなかった。
 だって俺は、この土地の安寧を願われた存在なのだ。
 それと正反対のことなんて、衝動に身を任せてやっていいことではない。
 それは、過去から今に至るまでの願いを蔑ろにしてしまう行為だ。俺を信じてくれた人たちの思いを否定するようなことは、したくなかった。
 だから、俺は現状を受け入れることにした。
 これが俺の辿るべき運命なのだ、と。
 いつか消えゆく日が来るのなら、それもさだめだったのだろう。
 俺が居なくとも大丈夫になるのなら、それは願ってもないことだ。


 山の一部がまっさらになってしばらくすると、今度は大量の資材と人間が立ち入るようになった。
 建物の建築はあっという間に終わり、春になると画一化された洋服を着た子どもが大勢姿を見せるようになった。それが学校というものだと知るまで、そう時間はかからなかったように思う。
 大勢の人間が、毎日いろんな表情を見せながら学校生活を送っている。
 気がつけば、俺はそれを眺めるのが好きになっていた。
 なにせ、この土地にこれだけの人間が居るのは本当に久しぶりだったのだ。なんだったら、今までで一番賑やかになったと言っても良い。
 この子たちの学校生活を安全に保つ為に、俺は冥界の番人や死神とのやりとりが必要なときだけ姿を現し、それ以外の時間は土地の守護に集中することにした。
 それでも、俺の力が弱まっていることに変わりはない。
 いつの間にかこの学校は、空気が少し澱んでいる状態が当たり前となり。
 日常茶飯事的に心霊現象が起こるようになってしまった。
 人間側もこの状況を放置はできないと判断し、いろいろと対策を取ってくれた。けれど、その全てが焼け石に水でしかなかった。
 いろんな言葉を飲み込んで、俺は押し黙っていることしかできなかった。

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